さがしもの

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 海無し県は、風呂無しアパートに似ている。地図を広げて私はそう思った。私の部屋にはお風呂がある。けれどもこの県には海がない。  夏休みだった。大学一年だった。バイトも他の予定もない日だった。翌日も同様だった。けれども明日を逃すと、帰省から戻るまで何かしらの予定があった。そして帰省はまだ先の予定だった。実家は海あり県。そして実家から海までは自転車で三十分ほどだった。  海に行きたかった。今すぐに。  百均で買ってきた関東道路地図を広げると、とりあえずいくつかの国道をたどって海まで行けそうだった。車は持っていない。免許もまだない。鉄道はお金と時間ばかりかかってまったく海に行くのに向いてない。こっちで買った中古のママチャリをあてにしていた。自転車は中学と高校の通学で毎日のように漕いでいた。その自信があった。ピンクの蛍光ペンで海までの道のりをなぞる。最短は真東に向かうルートだったけれど、山越えがいくつもあった。もう一つのルートは、南東への道。険しそうなのは県境だけに見えた。蛍光ペンで塗ったのは、その南東ルート。そしてメモ帳に計画を書いた。明日、海までの日帰りサイクリング。鉛筆を走らせながら、心は自転車で颯爽と峠を駆け抜け、まぶしい潮風を浴びていた。なんだかすごいことを成し遂げるようなわくわくで、その日はなかなか寝付けなかった。  翌日、天気は上々だった。けれども県境を越える前に、計画はすでに破綻していた。  峠の手前には道の駅があった。これから先、この峠さえ上りきってしまえば、あとは海まで緩やかに下っていくだけのはずだった。メモ帳にはこの道の駅の到着が9:00となっていた。けれども時計は十時を回っていた。アパートから15キロほどは平坦で順調だったけれど、大きな川を渡ってから始まった上りの道が想像以上にきつかった。足には疲れがたまっていた。まだ峠ですらないのに。まだ隣町までしかきていないというのに。  用意しておいた飲み物も無くなった。この先補充できる場所も限られる。自動販売機でペットボトルを三本買った。盗まれたり無くしたりが怖くてあまりお金を持たずにきたのを後悔した。  まだ片道の半分も来ていない。絶望的な気持ちで自転車にまたがった。引き返したい気持ちも、決して小さくなかった。  峠は心配したとおりだった。普段から自転車で遠出するわけではない二十歳前の女子がママチャリで挑むには険しすぎた。ピンクで塗った行程は遅々として進まなかった。ついにはペダルを漕ぐこともできなくなり、自転車を押して坂を上った。わくわくなんてなかった。  思えば、大学生活だって期待外れだった。仲のいい友達もできず、授業もあまり面白くない。サークルは合唱団に入ったけれど、高校の部活とは違いコンクールには出ずにクリスマスの頃に行う定期演奏会を活動の目標としていた。それもなんだか物足りなかった。そして何より、同級生たちとなじめなかった。多分、誘われなかった飲み会の一回や二回あったのだろう。定期演奏会に向けた曲選びが始まるというお盆明けまで活動のないこの時期、先輩たちの車で遊びに行く子たちもいるんだろう。今日だって一人自転車押してるのなんてきっと私くらいだ。同級生同士のカップルも五月早々にはできたけど、あのサークル内で自分に恋人ができる姿なんて想像できなかった。  そんなうまくいかないことばかり考えていると、坂の頂上にいた。ジェットコースターのてっぺんのようなそこから道は一度下り、そこから今度は同じだけの上りがあった。U字型の向こう側が県境だった。  サドルに座り、下り坂を思い切り加速する。今日一番のスピードでタイヤが回り、上りに転じてからも今度は降りることなく漕ぎ続けた。やっと上りきった県境で止まることなく、二時間遅れを確認するとそのまま加速した。上り坂じゃないというだけでぐんぐん進めた。  次の道の駅で短い休憩を取り、今度はもう悩むことなく先を目指した。  地図では平坦に見える道も、実際に自転車で通ると上りや下りが割と激しかった。どちらも走りに影響した。特に上りは大変だった。短くて急な上りはやる気を削ぎ、緩やかな上り坂は体力を奪った。  海に着いたのは午後二時だった。足がくたくたで、お尻はサドルに座っていられないほど痛かった。海が嬉しいというより、ほっとした気持ちが大きかった。あとはもう帰るだけ。帰りたいと思って帰るだけ。  計画では記念に貝殻を拾うはずだった。けれどたどり着いた埠頭には貝殻といえば牡蠣くらいしかなかった。防波堤からの海は見渡す限り広く、波はテトラポットに激しく砕けていた。地元ののたりのたりした海とは別物だった。両手を少し浸して海に着いた思い出とし、近くのコンビニで遅いお昼を買った。急がないと、暗闇の中峠を進むことになってしまう。  結局、日没前に峠にたどり着けなかった。県境に着いたのはすっかり暗くなってからだった。途中ライトの電池がなくなり、2キロ近く無灯火で引き返しコンビニで電池を買った。出費がかさむのも苦痛だった。その場で寝てしまいたい疲労と、人気のない山道を自転車で行く恐怖と、今進まないと帰れない現実が三つ巴のたたかいを繰り広げた。ほぼ下りという状況が、なんとか私の背中を押した。歩いてしか上れなかった道が、今度は座っているだけで勢いよく進める道になる。  県境の標識ポールの脇で水を飲みながら心の準備を整えていると、車が一台後ろから通り過ぎ、そして先でUターンして戻ってきて、私と反対側の路肩に停まった。嫌な予感がした。変な人に声をかけられたらどうしようかという不安は暗くなる前からずっとあった。ママチャリで峠道、ヘルメットもなく服装もただのジャージ。明らかに不自然だった。まともな人なら私を見て、こんな場所で何をしているのかと不思議に思っただろう。良い人ならまだいい。悪意を持った人に狙われたら、逃げきれる状況ではなかった。走り出すべきか迷ったほんの僅かの時間の間に、その車は運転席も後部座席も窓を開けて、私の名前を呼んだ。サークルの先輩と同級生だった。  テノールの先輩が運転する車には、ソプラノの同級生が二人とソプラノの先輩が一人乗っていた。安心した反面、もうこれでサークルでは変人扱い決定だなと落胆した。まさか本当に本人だと思わなかった、ここで何やってんのと当然の疑問を投げられた。恥ずかしかった。多分、一人で必死だったことが。けど、すぐに気づいた。ああ、彼女のはまともな、良い人の疑問だ。  私がここにいる理由を正直に答えると、先輩方は唐揚げと飲み物を、同級生二人はお菓子をくれた。夜道気をつけてね、と去っていった車のテールランプが見えなくなってから食べた唐揚げは至福の味がした。ぶどう味のグミを頬張ると力が湧いてきた。  U字を描く道を越えると、後は川を渡るまでほとんど下りだった。お尻はどうしようもなく痛かったけれど、自転車は勝手に進んでいった。橋を渡ってからは、開けた道だった。緩やかな上りを、休むことなく漕いでいけた。その日は十六夜だったのか、少しだけ欠けた月がいつのまにか空高くから路面を照らしていた。道路に落ちる自分の影、遥かにあってだんだん大きくなる山々。いくつもの街灯。虫の声、アオバズクの声。  アパートに着いたのは夜11時を過ぎた頃だった。駐車場には、さっきの先輩の車があって、四人が出迎えてくれた。聞けば、あれから先、危なくないようにと、私のことを見守ってくれていたという。自分探しお疲れ様、という声に、違いますよそんなんじゃないですよ、と手を振った。
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