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・3
隣駅に着いたのは、午後2時を少し過ぎた頃だった。電車に乗るのは久しぶりだったので少しどきどきしていたのだけれど、ひとまず無事にたどり着けた事に、ほっと胸をなで下ろす。
「ほら、いく」わたしは、いくの小さな手をひいて、ホームにゆっくりとつま先をつけた。
――今日。今からわたしは、いくとふたりきりで、短い時間を過ごす。
帰宅時間の予定を告げると、当然、母は「そんなのは駄目だ」と言ったのだけれど、わたしは食い下がり、お父さんにもお願いしてもらい、なんとか『今日』という日をつくる事が出来た。
その目的は、いくが前から「見たい見たい」と言っていた、打ち上げ花火を見せてあげる事と――もうひとつ。
わたしは、近くにあるショッピングモールのパンフレットを握りしめながら立ち止まり、まだ陽が高いところに位置している空を、ゆっくりと仰いだ。
「……ねえ、いく。
いくはさ、おねえちゃんの事、好き?」
小さな風が、ひゅう、とホームを通り抜ける。いくは、わたしの手を握りながら、きょとんとしていた。
「……ねえ。好き、かな」もう1度言ってから、いくの事を、じっと見つめる。やがていくは、特に深く考えるでもなく、「うん。大好き」とうなずいてくれた。
胸の奥が、じんわりとあたたかくなる。目を閉じて、わたしも、小さく首肯した。
「そっか。……じゃあさ。おねえちゃんのヒミツ、教えてあげようか。知りたい?」
「うん。知りたい」
「誰にも言わないって、約束出来る?」
「うん。出来るよ」
わたしは、ふう、と息を吐き出した。心を落ち着かせるように、深呼吸を何度か繰り返す。
……なぜ、『こんな事』をしようと思いついたのか。それはわたし自身よく分からないし、少なくとも論理的に考えて辿り着いた答えではない、という事だけは確かだった。
けれど、これはこの数ヶ月間、わたしがずっとずっと悩んで導き出した結果だったから。わたしはそうする事が正しい事だと信じていたし、信じたかった。
わたしはいくの肩に手を置いて、目線をいくの高さまで落とした。
そのまま静かにいくに顔を近づけて――内緒話をするように、本当に微かな声で、囁くように、告げた。
……練習通り、神妙な顔つきで。……深刻に。
「……ごめんね、いく。今までずっと黙って、隠していたんだけど。……実は、おねえちゃん、ドクターYの助手なんだ」
いくが、ゆっくりと目を見開く。……これでもう、引き返す事は出来なくなった。
その瞬間、わたしの頭の中で、魔法の砂時計が静かにひっくり返った気がした。
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