晴れた日に

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晴れた日に

「美和、悪い。 金曜は用事が出来た」 「ふーん、お家の事情?」 「まあね」 あたしの裸の肩を抱いている男。 いかにもモテそうな顔立ちのその目は満足気に天井を見ている。 彼には既に妻子がありお互い仕事も忙しい為、週に一度会ってこうするだけの関係が、もう二年も続いている。 最初から合意の元。 有名企業の広報課に勤めている彼は頭の回転が早く話も上手い。 こういう男は大概セックスも悪くない。 「いいけど、なんか最近面倒になって来ちゃった」 「おい、美和」 あたしは何だか覚めた気分になってベッドから下りる。 「俺が女として一番好きなのは美和だよ」 彼があたしの胸に手をやる。 その左手の薬指に指輪。 これ、絶対外さないのよね、この男。 『女として』 あたしはそれで充分。 その筈だったけど。 ホテルから出てタクシーに乗って帰る。 「……つまんないな」 美和は小さく呟いてスマホに逸巳の名前を見付ける。 逸巳さん。 一度会っただけの彼に再会したのは偶然だった。 街なかで、目立ってる二人がいると思ったら昔少し関係があった瑞稀と、隣にやたらガタイの良い逸巳がいた。 瑞稀は掴みどころが無く、麻薬みたいな男だった。 今から思うと綺麗な別れ方をしたお陰でなんのわだかまりも無い。 あれは瑞稀の優しさだったのだろう。 逸巳はその体に似合わず温和で中性的な顔付きの男だったが、どこかしら野性的な雄を感じさせた。 何年か経ってそんな逸巳と再会して、美和は逸巳と寝た。 逸巳は優しい男だった。 ただし、その対象は誰にでも。 二人でいても困ってる人を見掛けたら迷わず手を差し伸べる。 人を決して差別しない。 ……もし、あたしだけに優しくしろと言ったら彼はそうするんだろうか。 だけどそこまでの付き合いでもないし、あたしは優しいだけの男なんて望んでない。 それでも結婚をしている男と関係を持ち、たまにぽっかりと空いた穴を埋める為に、逸巳と会う。 『金曜空いてる?』 文字を打ち込み少しの間待つ。 『少し仕事で遅くなるけどいい?』 『いいよ、じゃついでにホテルでご飯しよ』 『分かった』 逸巳の返事を確認し、美和は車内で目を閉じた。 *********************** 金曜の夜、ルームサービスを頼んでソファに腰掛けた。 お互いに暇じゃない。 どちらかが遅れても片方がゆっくり出来るようにと私たちは待ち合わせからホテルで過ごす事が多かった。 だけど何だかさっき会ってから、逸巳の様子が少しおかしい。 「逸巳さん、なんかあった?」 「……美和さん、月曜に男性とホテルから出て来た所、偶然見掛けたんだけど」 「それがなに?」 逸巳は言いづらそうに口を開く。 「あの男、止めた方がいいよ」 「……なぜ?」 「同じ会社……の関連なんだけど、彼、結婚してる」 てっきりヤキモチでも焼かれるかと思ったら。 やっぱり逸巳さんだわ、美和はふっと笑った。 「そんな事、知ってる」 「え?」 「お互い分かってるし、逸巳さんには関係ない」 「駄目だよ」 珍しく強い口調で逸巳が言うので思わずカチンとして美和が言い返す。 「口出ししないで。 そもそも彼とは寝てるだけだし、これと大して変わりない」 「それでもやっちゃいけない事だ」 「偽善者」 「僕の事をなんて言ってくれてもいい。 だけど彼とは別れて」 「……あなたってもう少し大人だと思ってた」 逸巳が帰ろうとする美和の腕を掴む。 振りほどこうとして逸巳の頬を殴る勢いで手を振り上げるが、それも目の前で手首を掴まれた。 「殴るのも駄目」 強く掴まれてる訳でも怒鳴られてる訳でもないが、美和は逸巳を怖いと思った。 「大人とか子供とかは僕には分からない」 「あたしを束縛しないで」 「そんなんじゃない」 「してるじゃない」 「だって全部美和さんが傷付く事だ。 僕は嫌だ」 美和はびくっと体を強ばらせた。 逸巳の強くて静かな目。 「なんであたしにそんなに構うの?」 「気になるから」 「あたしの事好きなの?」 「美和さんは嫌いな相手と寝るの?」 美和の身体からふっと力が抜けた。 「分かった。 別れる。 ていうか、どうせそろそろそうしようと思ってたし」 「良かった」 逸巳が美和の手を離す。 「……逸巳さんて割と我儘だよね」 「そう、かもしれない」 「する?」 美和の言葉に逸巳は少し考えるように間をおいた。 「僕としたいの?」 「……別にそれ程でもないけど」 美和はぷい、と顔を背ける。 「じゃ帰る」 「え?」 踵を返す逸巳に美和は思いがけず慌てる。 だってあたし達は。 「…逸巳さん?」 戸口で振り返った逸巳は美和を見詰めた。 「嘘ばかり言ってると、いつかそれが本当になる。 僕はもう美和さんとそんな風に付き合いたくない」 ドアがぱたん、と静かに閉じられた。 *********************** 日曜の晴れた午後。 話がある、それだけ連絡をいれて美和は珍しく昼間の外に逸巳を呼び出した。 あの男とは別れた。 向こうは最後まで何だかんだ言ってたけど、「もうあなたに飽きたから」そう伝えると彼は黙った。 凄くスッキリした自分に驚いた。 付き合ってたのは寂しさからだろうか。 それでも存外2年は長く、また暫くは寂しいかなと覚悟を決めたがそれも無かった。 花の20代にわざわざリスキーな関係を選ぶなんて全く無駄な時間を過ごしてしまった。 こんな馬鹿なあたしを叱ってくれた逸巳にどう切り出そうか。 あたしはこんなの慣れてない。 1. ごめんね、ののち自分の非を述べる 2. ありがとう、ののち感謝の意を表す 3. その他 今日の主旨は 2. なのだけど、気まずい別れ方をした以上 1. は必定だと思っている。 ただあたしときたら 1. の論拠を揃えていない。 仕事の時のプレゼンよろしく何とかなるかと思っていた。 見上げると公園のベンチに座っている美和に気付いて、逸巳が向こうからやってきた。 彼が怒ってるような様子は無さそう。 『嘘ばかり言ってると、いつかそれが本当になる』 自分の非を述べる事への考察。 1-1. 嘘は言わない、これについて今後気をつけるべき点を述べる 1-2. 嘘は本当にはならない、これについて対抗意見と妥協すべき点を述べる 「…………」 これは更に分岐が必要みたいだ。 脳みその中で頭を抱えながら、あたしは焦る。 「美和さん」 目の前に立った逸巳が美和が座っているベンチに影を作る。 あたしは笑顔を作りつつも変な汗が流れて。 そして逸巳が腰を屈めて最初に口を開いた。 「僕のものになってくれる?」 それが意味する所を考え、瞬時に美和の顔が真っ赤になった。 逸巳はそんな美和を見て微笑む。 美和は腕を伸ばし、勢いよく逸巳の首に抱きついた。 首元に頬を埋める彼女の背中を逸巳が支える。 公園内の人々が二人をチラチラと見る。 でも、構わない。 「美和さん、言って」 「……いいよ!」
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