あとがき

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あとがき

 はい。  いかがでしたでしょうか、吉井パルス版現代語訳『巌頭之感』。  あらすじに書きましたとおりどうにも俗っぽくて、うっかり文学的な高貴さを求めて読んだ方には申し訳ない。  しかし。  私が藤村さんと性別が違ったり、年齢も思想も違えば、文化形態が彼の生きた当時と異なりすぎる二一世紀の現代日本を生きる者が訳したらこうなって必然でありましょう、と、大声で言い訳を叫んでいるわけでして。  うん、ここ笑って寛容になれたならあなた様は大人、と云ったものですぜ。  さて、この辞世の句を残した青年、藤村操さん。  詳しいことは一応調べましたが、あくまで資料でしかなく私の中に入ってこなかったのでおおざっぱに語りましょう。  そのほうが退屈も紛れるし、ゆるくて読みやすいでしょうから。  それじゃ満足できん意識高い方はググるなりヤフるなり、ウィキペディア読むのがてっとりばやいですよ。  しかし何もせんのも気が引けるので、私でも認識できた範囲を語りましょう。  藤村操さんは享年一六才、明治時代を生きた青年です。 『巌頭之感』は、彼の遺書でした。  遺書を残したことからお察しのとおり、この若さで、滝に身を投げ自分で自分を殺してしまったせつない方です。  将来をそれなりに嘱望されていただけに、社会へ放った波紋は小さいとは云いきれないものだったそうです。  後追いも少なくなかったようですし。  藤村さんご本人の動機は、本当に哲学的な絶望のはてに、か、惚れたカフェの女給にフラれて、か、とかで、どちらにせよ後者のほうが人間くさくて私は好きです。  しかしして、私はこの方に興味があるのではないのです。  ただ、大昔一〇代ピチピチだったころ、この『巌頭之感』を漫画で読んでこの文句にだけ惚れたのです。  当時ドラマ化もアニメ化もした人気漫画の原作に出てきたんス。  IQのだだっ高い女の子が、自殺ほのめかせて唱えてた。  当時高校生の中二病ド真ん中だった私の心にどストライク。 「かっけェ!」  で、暗記したんです。  今でも寝る前に暗唱してます  こう云う難しいことをぼんやり頭の中漂わせてると、よく眠れるもんで。  ちゃんと真面目に解釈するとどうなるのか、参考には何も読んでいません。  全編を通して、もう二桁単位の年数の夜をこえ頭脳にすりこまれたイメージで語っております。  だからどっかまっとうな解釈と違ってても個性だと思ってやわらかく受けとめたってくださいな。  それこそが、現代語のゆるい言葉に置き換えることこそが、目的だったから。  私も過去生きるのが苦しすぎて、もういいや、と追い詰められることが多々ありました。  それでも生きている。  気がつけば四〇年近くも生き抜いて、こうしてやりたいことみつけて、楽しんで、毎日充実しております。  好きなモノ嫌いなモノ、したいことしたくないこと、行きたい所、食べたいモノ。  様々に囲まれて、自分は恵まれていることを忘れないででも時々不安にさいなまれて、それでも、この藤村さんの言葉を胸に生きてゆけたら、強いように。  あなた様もどうでしょう?  古今東西でヒトは苦しみながらもその自分の感情とむきあい、時に生き抜いて時に膝からくずおれてしまっても、生物の全体として二一世紀まで歴史を編み上げてきました。  たくさんの試練。  たくさんの幸福。  時代はつねにヒトに厳しいものですが、乗り越え学習してきたからこそヒトはこれからも生きてゆけるのでは?  正しい命を作りましょう。  そうやって未来を作りましょう。  ありがとう藤村操さん。  少なくともここにひとり、あなたの言葉で生きてこられた女が居ます。  言葉や想いの降り積もる道を、私はこれからも歩きたく、この文章が誰かをちょっとでも救えていたらそれが道しるべになります。  生きる意志に花を添えあい、手をさしのべあい、ゆきましょうね。  遠く近い、それぞれにして同じ道を。
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