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絹子さま
当時私はあのお屋敷で、庭師見習いとして住み込みで働いておりました。
ちょうど春の花の盛りが終わった頃。その日私は、一匹の子犬を追いかけておりました。奥さまに可愛がられていた子犬ですが、やっと顔を出したばかりの新芽を掘り返したりする大変な悪戯ものでした。
その子犬が、私の仕事道具の円匙を咥えて走り去ったのでございます。遊びのつもりなのか、子犬は私を従えて庭を駆け回り、北の離れにある座敷の縁の下に駆け込みました。そして私がそこをぐるりと回り込んだ時には、子犬はもう、私の円匙を咥えていませんでした。
縁の下は暗く、這って進めば大の男でも無理なく入れる高さがありましたが、好んで入りたい場所ではありません。しかし円匙は間違いなくその縁の下にあり、仕事道具を取りに行かないわけにはまいりませんでした。
茶室のようにこぢんまりとした離れ座敷ですが、夕方の縁の下は中に進むほどに暗くなりました。円匙は座敷の中央あたりにぽつんと落ちておりましたので、私はひとまず安堵してそれを掴むと、その場でごろりと仰向けになりました。
このまま進んで反対側から出るか。それとも、来た道を戻るか。思案するうちに、その縁の下が思いのほか風通しが良く、ひんやりと涼しいことに気がつきました。
朝から働きづめで疲れておりましたので、怠け心を起こした私は、そこでしばらく休憩することにいたしました。ここなら誰にも見咎められない、親方にどやされることもない、そんな風に思って、ほんの少しのつもりで目を閉じました。
それがいけなかったのです。
ハッと気がついた時、辺りはすっかり暗くなっておりました。
熟睡してしまった私は、真っ暗闇の中、自分がどこにいるのかもわかりませんでした。下には冷たくざりざりとした土の感触があり、寝床ではないことを理解した頃、唐突に男性の声が聞こえてきたのです。
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