庭師はかく語りき

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庭師はかく語りき

 あれは、日露開戦の少し前のことでございました。  あのお屋敷も当時は今よりもずっと大きくて、建物もさることながらとにかく敷地が広大で、住み込みの庭師だけでも私以外に五人おりました。  ええ、東北一の迎賓館と呼ばれた、岸上(きしがみ)伯爵邸でございます。  その敷地内で、現在の岸上伯爵のお祖父(じい)さま、ご当主でいらした岸上實篤(さねあつ)伯爵が、変死なさるという事件がありました。  当時はずいぶん新聞にも書き立てられましたね。明治最大の怪事件(ミステリー)だなどと。  ああ、お若い方はご存じないかもしれません。あの後すぐに日露が開戦し、話題といえばそればかりになりましたから。  変死と申しましても、實篤(さねあつ)さまのご遺体には、傷一つございませんでした。  それがなぜ怪事件か、と思われるでしょうね。  それは、實篤(さねあつ)さまが夜着のまま、ご寝室のある母屋からは相当に遠い、離れ座敷でひっそりと亡くなっていたからでございます。  座敷には鍵などありませんから、別に密室というわけではございません。ですが、敷地は高い塀でぐるりと囲まれ、門はもちろん、通用口も夜の間は内側から施錠されておりました。  何人(なんぴと)も夜中に敷地を出入りした形跡はなく、盗られたものなどもなく。争う声を聞いた者もおりませんでした。そういうところが、謎多き事件として世間の関心を引いたのでございましょう。  實篤(さねあつ)さまは厳しくも情に厚い方で、奥さまの脩子(ながこ)さまはとてもお優しい方でしたので、使用人はみな岸上伯爵邸で働くことに誇りと恩義を感じておりました。ご家族の仲も大変睦まじく、つまり邸内に實篤(さねあつ)さまを恨んでいるような者はいなかったはずなのです。
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