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お願い消えないで
郷里鹿児島から遠く北の九州。
冬の深夜の出来事だった。
馴染みの食堂からの帰りの途、音もなく雪がちらついてきたので、僕はユキのことを思い出した。
僕が愛したユキは雪のように白かったので、ユキと名付けられた。
それは僕がこの福岡に来てから知ったことで、ずっといっしょだったわけではなかった。
大学に入りたての頃はちょくちょく鹿児島に帰省していたので彼女の小さかった子供時代を僕は知っている。
ものすごく素早い元気な子で。
こんなに落ち着きのない子は初めてで。
それからまたしばらくして帰省した時にはもう立派な母猫になっていて、12匹の子供たちを生み育てた。
12匹の子猫たちは季節ごとに帰ってくる僕のことを家族とは思わず、姿を現して近づくとみんないちもくさんに逃げ出した。
でもユキだけはちゃんと僕のことを覚えてくれていて。
居間のかつてじいちゃんが座っていたところに僕が座って本を読むと、ユキも僕のひざの上にちょこんと座ってずっとじーっとしてた。
鹿児島にいる間はそんな夜が何度も続いた。
食事も彼女と二人で食べた。
実家なのに。
僕は子供の頃から、自分が食べるより誰かが食べ物をおいしそうに食べているのを眺めることが好きだった。
だからよくいろんな生き物に食べ物をわけてあげていた。
誰かのひもじさに僕の存在が少しでも力になれるなら。
彼女の死は遠く離れた福岡で知った。
行方知れず。
彼女らしい、静かな別れで。
同じ敷地にいたはずの母は、自分の愛犬以外には冷たく
死が近いのを悟って僕を探す旅に出てそのままのたれ死んだのだろう
そう言った。
僕は空を見上げた。
雪が僕のひざの上に乗って、すーっと消えた。
ユキが
ユキが雪になって僕に飛び込んできた。
ねえお願い!
消えないで
ひざまで来たのに
ここまで来たのに
目の前で消えないで
いかないで
そばにいて
独りにしないで
でも、消えた。
降ってきたところに戻っても
ユキはもう
飛び込んできてはくれなかった。
ゆき。
ついにあきらめて階段を上がり、冷たく冷えた重い鉄の扉を開けて、お帰りなさいが聞こえないアパートに帰った。
ふと、もの恋しくなってミルクを買い忘れたのを思い出し、また外に出た。
こんどは深夜スーパーの帰り道、半ば過ぎになって
また、ユキが。
下を見ない
もう下を見ない!
白い白いたくさんのユキが
僕に会いに来た!
いつまでも
いつまでもこうしていたくて
上を向いて歩いた。
ユキ、お願いだから
じーっとしてて
動かなくても、動いても
それでも
別れが来た。
かけなおしたマフラーがその時
ユキで濡れた。
誰かさんの涙で濡れた。
この、ほんの一夜の出来事を
僕はかみしめて
生きてゆくことに決めたんだ。
ああユキ、そうだよね
僕はこの離れたこの土地でも
決して独りではないんだね。
この遠い遠い北の空でも
冬が来れば
お前に会える。
降る雪は消えても
ユキや
こんこん
僕のユキは
消えることはないんだ。
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