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ツンツン・・・
何が起こったのか陽太には判らなかった。何か尋常ではないことが、自分の身に振り掛かろうとしているのは判る。ただし、それが何なのか陽太には確証が持てないのだ。これは放っておいても良いものか? いやいや、これは明らかに自分に向けて、何らかの意図をもって成された行動だ。或いは現象と言うべきか?
じゃぁその目的は何だ? ってか、自分がこのような事態に飲み込まれている理由が判らない。ひょっとして心霊現象の類か? まさか。そんな訳はない。だったらいったい・・・
そんな風に目まぐるしく頭を回転させていると、それが再び起こった。
ツンツンツン・・・
オーバーヒートしそうなくらい考えに考えた末に出した結論は単純明快、後ろから誰かが突いているというものだ。誰かがだって? そんなことは明白じゃないか。今日からこのクラスの一員になった、あの編入生以外に誰が居ると言うのだ?
普通、転校してきたばかりの女子がいきなり初日に、前に座る男子の背中をシャーペンの裏で突いたりはしないものだ。そういった固定概念が足枷となり、陽太の脳は最も合理的な結論を導き出せずに、あわやオーバーヒート寸前まで行ってしまった次第である。
「ねぇ、水野君? ねぇってば」
押し殺した声で葵が話しかけてきた。あくまでも授業中ということで、大っぴらに後ろを見ることも出来ず、陽太は振り返ったんだか振り返っていないんだか判らない様な、中途半端な姿勢でまごつきながら反応する。
「な、何?」
「水野君ってさ、ウフフ・・・」何故か葵は、そこで言葉を切った。「付き合ってる娘とか居るの?」
ガタンッと机を鳴らしてしまった陽太は、慌てて前を向く。それと同時に、古文担当教諭の須山が黒板の前で振り返った。
「どうした、水野? まだチャイムは鳴ってないぞ」
教室のあちこちから忍び笑いが起きる。
「えっ、い、いや・・・ あ、す、すいません・・・」
後ろの席からも、葵の「クスクス」という押し殺した笑い声が聞こえた。
次の休み時間に陽太は後ろを振り返って、葵に苦言を呈した。
「あのさ、渡部さん? 授業中に変なこと言うの止めてくれないかな」
「葵」
「へっ?」陽太が間の抜けた顔で固まる。
「葵って呼んで。私、貴方のこと陽太って呼ぶから」
「いや、あの、人の話聞いてる? 俺は授業中に・・・」
「何が変なことなのよ? 聞いたっていいじゃない」
(何なんだこの娘は? ひょっとしてイタい娘なのか? なんか、面倒なのに捉まっちゃったぞ)
「いや、良いか悪いかって話じゃなくってさ・・・ それに初対面でいきなり下の名前で呼び合うなんて変だよ。まだ友達ってわけでもないのに」
「初対面じゃないでしょ。昨日、逢ったじゃない」
もう、彼女の理論が判らない。確かにそうだが、全然違う。理路整然としているようにも聞こえるが、ただの屁理屈と断じても構わない様な気もするし・・・
「き、昨日は渡部さんが・・・」
「葵! そう呼んでくれないなら、また授業中に背中突いちゃうからね!」
ダメだ。この娘に逆らうと、きっと碌なことは無い。何とかしてご機嫌を取って、この窮地を脱せねば。
「あ、あお、あお、葵が、みんなの前で挨拶しただけじゃないか」
「でも教室を出る瞬間、陽太のこと見たでしょ?」
(あれ? やっぱりこっちを見てたんだ・・・)
「解ってるクセにぃ~。ツンツン」
右の二の腕をツンツンされながら、どう反応したら良いのか判らず、陽太はただポカンと口を開けたまま、葵の顔を見つめ返すことしかできないのだった。
こんな具合に葵は、陽太の日常に溶け込んで・・・ いや、強引に割り込んでと言うべきか、とにかくその存在を主張し始めたのだった。放課後は街での買い物に付き合わされるし、苦手な教科を教えろと、無理やり人の家に上がり込むし、陽太の母、仁美とは意気投合するし、とにかく葵の押しの強さにグィグィと押し切られっ放しの陽太は、溺れる者の如くアップアップと息継ぎするだけで精一杯だ。
当然のことながら、そういった活発で積極的な女子はクラスの皆から慕われ、中心的な存在へとなっていったのは自然の成り行きである。そんな葵は陽太のことを「陽太」と呼び捨てにするし、陽太は陽太で葵のことを「葵」と呼び捨てにするものだから ──それは多分に、葵の脅迫に由来するものであったのだが── 周りの皆も、二人の間にある種の特別な関係が、既に築かれているものと承知していた。
しかし人気のある女子には、それを快く思わない別の女子が居るのはいつの時代でも同じである。突然現れて皆の注目をかっさらってしまい、そのままクラスの中心人物の座に居座ってしまうのは、その他の女子にしてみれば腹立たしい限りなのだろう。
更に特定の男子と、いきなり名前で呼び合う仲に発展するなど ──別に彼女らにしてみれば、陽太が取られて悔しいイケメンというわけではないのだが── 勘違いも甚だしいといった心情なのだ。しかも、そんなやっかみを気にする様子すら見せない葵が、輪を掛けて気に食わない。
「葵って昔はあんな娘じゃなかったんだよ」と言うのは、中一まで同じクラスだったという唯香だ。「以前はもっと大人しくって、どっちかって言うと影が薄いみたいな」
「へぇ、そうなんだ? じゃぁ、いわゆる高校デビューってやつ? ってか、いきなり水野に手ぇ出すなんて、可愛い顔してるくせに意外と遊んでるんだね」
唯香といつもつるんでいる女子が椅子の上で胡坐をかいて、まくり上げたスカートの中に下敷きで風を送りながら言った。夏のくそ暑いこの時期、近くに男子生徒が居なければ、これくらいのはしたないことはするものである。
「うん。でもウチの学校に来る前は、どこの高校に行ってたんだろ? ほら、交通事故に遭ってから学校来なくなったって言ったじゃん。だから、誰も知らないんだよね。中学ん時の友達に昨日、LINEで聞いてみたんだけど、みんな知らないって」
唯香も負けじと、汗ばんで気持ち悪くなったブラジャーの位置を戻しながら言う。
「まさか、ずっと病院に居たとか?」
「アハハハハ、まさか。それじゃ高校に入れないっしょ?」
「そっか。そりゃそうだわ。アハハ」
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