第二章:山崎 誠

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2  台に乗せられた葵の身体は、そのまま洞窟のような装置に飲み込まれてゆく。しかし洞窟と言ってもそれに奥行きは殆ど無く、ましてや薄暗いわけでもない。明るいベージュの塗装を施されたそれは、いわゆるCTスキャンと言われる人体の断層画像を取得するものだ。この装置によって葵の頭部の画像を得るのだ。  技師に言われるままにCTを撮り終えた葵が検査着を着たままベンチに腰かけていると、別の技師がカルテのような書類に目を落としながら近づいて来た。  「渡部葵さんですか?」  「はい」  「じゃぁ次はfMRIですね。こちらへどうぞ」  血液検査に心電図、脳波測定 ──脳波に関しては機器が故障していて、測定出来ないと看護師が漏らしていたが── にCTスキャン。そしてお次はMRIだ。正式にはfMRIというものらしいが、葵にはその違いは判らない。ただ、働くサラリーマンの人間ドッグでも、これ程の検査は行わないのではないかと葵には思えるのだった。連鎖的に、会社の毎年の健康診断が近付く度に無駄なダイエットを試みている父の姿を思い出し、なんとなく可笑しくなった。  「はい、終わりましたよ渡部さん。今日はこれで最後です、お疲れさまでし・・・ なんか楽しそうですね?」  「あ、いえ。ちょっとつまらないこと、思い出しただけです。有難うございました」  葵は頭を下げてから、廊下に出た。  CTと似たような形状の装置で ──ただし所要時間は、こちらの方が圧倒的に長かったし、騒音もかなりのものだ── fMRIを終えた葵は、やっとの思いで解放された。後は検査結果を待って、山崎の退院許可を貰うだけだ。そうとなれば問題は、残り少ない入院生活をどうやって有意義に過ごすかだろう? 同室の森田のおばちゃんや、リハビリ室の横田のお爺ちゃんは勿論、入院中に親しくなった人たちと、なるべく沢山の時間を共に過ごしたい。勉強も大切だが、皆ともっと色んな話をしよう。そう考えただけで葵は、なんとなくウキウキして来るのだった。  しかし、退院した後にはどんな生活が待っているのだろうか? 丸二年間の空白は、容易には埋まらないに違いない。勉強の方は ──主要教科に限って言えば── 毎日のコツコツとした積み上げのお蔭で、ある程度の所までは持ち直している自信は有ったが、実生活の方はどうだろう? お父さんとお母さんと自分の三人家族が、事故に遭う前と全く同じ生活に戻れるのだろうか? 葵は病院を去る物悲しさと共に、新生活への不安とも期待ともつかない複雑な思いを胸に、自分の病室に向かって足を進めるのだった。  その日の夜、葵の診断結果を吟味している山崎の姿が有った。各種の診察結果は、院内のネットワークを通して各医師のPCから直接閲覧できるようになっている。山崎は患者番号107735にまとめられた患者名、渡部葵の診察結果から、本日の検査分を抽出して食い入るように見つめていたのだった。  この大学病院において山崎は、かなりのやり手(・・・)と認識されていた。上司や同僚、或いは看護師を含む医療スタッフからの人望も厚く、いわゆる出世コースに乗っていることは自他共に認める事実であった。そういった背景もあり、葵という特殊な患者の主治医に抜擢されたわけだが、結局、彼女は二年間の間、ただただ眠り続けただけだったのだ。  その葵が奇跡的な覚醒を遂げたことは、無論、学内でも話題にはなったが、当大学病院が注目を浴びてその知名度を世界的に高めるという、大学側や山崎本人の思惑は外れた格好だ。症例として新たな知見が得られたわけでもなく、今となっては、葵に何かを期待している者など、この病院内のどこにも居ない。言ってみれば「やっと退院してくれるか」といった、安堵の空気が漂っていたと言って良い。山崎も最後のお務め(・・・・・・)として、葵の診察結果に目を通していたのだった。  心電図やCTには問題は見当たらない。血液検査の結果が出るまでにはもう少し時間が掛かるだろうが、おそらく問題は無いはずだ。ただ、腑に落ちないのは脳波とMRIだった。脳波測定に関しては、担当した看護師から機器の不調が訴えられていて、たまたま測定できなかった可能性が捨て切れないが、頭部の脳幹部にフォーカスしたfMRIに関しては・・・。  「こ、これは本当なのか・・・」  山崎は手にしていたコーヒーカップ傾けてしまい、机の上に茶色い染みが広がるのも構わず、診察結果を表示するディスプレイにジッと見入るのだった。その眼鏡はディスプレイの照り返しを受けて、浮き上がるように際立っていたが、その奥に控える彼の表情は、落ち窪んだように色を失っていた。  「そんな馬鹿な・・・」
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