契約書とその内容

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契約書とその内容

クタクタになった案内状を握り締めながら、森の中を歩いていた。道は舗装されているが、草木は鬱蒼としている。なぜこんな場所を通らなければならないのか、などと不満を抱きながら脚を動かしていると、木造建の小屋がみえてきた。そこが今日から俺が働く、新しい職場だった。 この仕事は、街にある紹介所で掲示されていたもので、魔法使いの助手というかなり特殊な内容だ。昔からのしきたりで、魔法使いの助手は少なからず魔法を使えなけれは務まらないというのが原則としてある。 だが、紹介所の方で魔法が使えなくても構わないという、異例の求人を出していたのだ。雇い主の名前を聞いた時は、驚きを隠せず掲示板をまじまじと見つめてしまった。その雇い主は、高名な魔女が何人も産まれている血統の娘だったからだ。 紹介所の親父は、ロクテンは異端児が集まる家系で、いままで何人もの助手が辞職をしたと、俺に教えてくれた。そんな内部の情報を漏らしていいのかと思うくらい、懇切丁寧に事情を説明した後に、書類を持って来て契約を結ぶかを尋ねた。 俺は迷った末に、その契約書に捺印を押した。なぜなら、その報酬はどんな過酷な仕事でも得難いほどの高額だったからである。 緊張しながら呼び鈴を鳴らすと、ドアに掛けてあった装飾が動き出した。 「どうぞ、中へ」 名前も訊ねず、装飾品はそれだけ告げて動かなくなってしまう。俺は少し躊躇した後に、ドアを開けておそるおそる中へと入った。 「失礼します…」 「貴方が、紹介所から来た助手なの?」 長い緑髪を2つにわけ、三つ編みにした少女が椅子に座ったまま、俺の事を上の階からみつめていた。よく観察すると、その椅子は宙に浮いており、高等技術だといわれる浮遊魔法を難なく使用している。 「はい、紹介状も持っています」 手に持っていた紙を少女の方へ向けると、手の中にあった紹介状が意思を持った生き物の様に動き出した。俺が驚いて手を離すと、その紙は鳥や蝶を彷彿とさせる動きをしながら、上へ上へと舞い上がっていき、やがて彼女の手中に収まる。部屋の中を見渡すと、溢れんばかりの道具がそこかしこに転がっていて、雑然としていた。紹介状を確認し終わった後に、少女が上の階から声を掛けた。 「どうぞ、階段を上がって」 いわれた通りに木造の階段を上がると、少女は椅子に座って膝を突いたまま脚を組んで、俺を査定する様に上から下までまじまじと観察した。 彼女がロクテン家の娘、ロクテン・ウツミだろうか。まだ、あどけなさの残る顔立ちだ。サイズの合っていないおおぶちのメガネを掛けていて、ガラスの奥で黄色い瞳が俺の顔を見つめている。 「...とても失礼な質問をしてもいいかしら?」 どんな質問が飛んでくるのかと、身構えながら俺はゆっくりと頷く。 「貴方、男性よね?」 その、投げ掛けられた疑問に拍子抜けしながら、俺は答える。 「えぇ、その通りですが」 「万策尽きた、という事なのかしらね」 彼女はそういうと、紹介状を机の上にあった蝋燭の方へと近づけた。紙で出来た紹介状はあっという間に燃えて灰になってしまう。 「あ!それは」 つまり働くまえから、クビという意味だろうか?そう言葉にする前に、灰は舞い上がって弧を描き、俺の周りをくるくる舞ってから焼失した。 「正式に雇用が認められたわ、では」 そういうと、彼女は椅子を机の方に向けた。起こった事を把握しきれずに、その場で茫然と立ち尽くす。少女はそれを気に留めずに黙々と何かに集中していた。 後ろから、邪魔にならないように気を付けて覗き込む。色彩鮮やかな液体が浮遊しながらユラユラ揺れていた。その液体が、板の上に吹き掛かり、また違った色の液体が吹き掛かる。それを繰り返しているだけだ。 遊んでいる様にしか見えない。そんな事を思いながら、俺は階段を降りて部屋の中を歩き回った。 机の椅子に座りながら、契約内容が書いてある書類を確認していると、何箇所か俺が確認したものと違うものがあった。慌てて階段を駆け上がり、雇用主である彼女に確認を取ろうと後ろから声を掛ける。 「お忙しい中、申し訳ありません。少しだけ、時間をいただきたいのですが」 年齢が離れた女の子に、敬語を使用する違和感を感じたが、極力丁寧な対応を心掛けた。だが、彼女からの返事はいくら待ってもない。その事を不快に感じながらも、態度に出さないよう気を付けて、もう1度声を掛けてみた。 「あの、すみません」 「もう少し、待ってちょうだい」 俺は、大人しくその指示に従う。彼女の表情は真剣そのもので、机の上の魔法陣が何十枚も光っていた。容器に入った液体の中で、固体になった何かが蠢いているのがみえる。まるで、意思を持った生物の様だ。 やがて、液体が気体に変化し、部屋中が緑色の濃い煙に包まれ始めた。地面の辺りを流れてゆく様子は、蛇が這う場面を連想させる。煙は階段を降りて、そのまま窓の外へと出てゆく。ようやく彼女がこちらを振り向いた。 「私が作業をしている間は、声を掛けない事。いいわね?」 その傲慢な態度は、魔女というにふさわしい。俺は頷きながら、契約内容が書かれた紙を彼女にみせた。 「確認事項があります。俺が紹介所で署名した契約の内容と違う箇所がいくつもあるのですが」 「えぇ、私が変えたのよ」 「どういう意味でしょうか?」 俺が尋ねると、彼女は呆れたといった様に大きなため息をついた。その態度に、また腹が立つ。 「何で理解できないのかしら?さっき、私が契約を結んだ際に、いくつか内容を変更したの。だから、その紙に書いてある内容も、署名する前とは違う文章に変化した。それだけよ」 さも、当然かの様に無茶苦茶な理論を平然と語るこの娘は、世間の事を何も知らないのだろうか? 「相手の合意なしに、契約の内容を変更するのは、違法ではありませんか?」 「さぁ、この国の法律に関しては、専門外だからわからないわ」 悪気が含まれない表情を浮かべて、彼女はいった。 「変更した内容に関しては、認められた後に通達が届くと思うの。だから、余計な心配はしないでちょうだい」 なぜ俺が、貴方の都合のいいように改変された契約の内容が、通るか通らないかの心配をしなくてはならないんだ!と、大声で叫びそうになるのを必死に我慢する。 「違法性が認められれば、貴方は捕まるかもしれませんよ」 「それは困るわ」 「どうして、そんな事をしたんですか?」 「だって、できてしまうから」 その返事を聞いた俺は、雇用契約を結んだ直後であるにもかかわらず辞退しようとしたが 「では、さっそくなのだけれど」 彼女の方が、ほんの少しだけはやく言葉を発した。開きかけた口を閉じて続きを待つ。 「実験に協力して欲しいの」 その内容は、魔法を使えない俺達にとっては、とても魅力的なものだ。その誘惑に抗えずに、ついその内容を聞いてしまう。 「何をすれば良いのでしょうか」 「何もしなくていいの、ただそこに居てちょうだい」 それだけ告げると、彼女は机の上に置いてあった液体の入った容器を持ち、それを俺の方へ向ける。もう片方の手で、魔法陣の書いてある用紙を潰して、その丸まった塊に液体を掛けた。液体は用紙に触れた瞬間に光を放ち、同時に彼女が呪文を唱え始める。 「ラヴァクリストフ・デ・メディクラス」 フッと光が消え、彼女は別の色の液体を机の上から取り、それを掛けた後にまた別の呪文を唱えた。その動作を何回も繰り返している間、俺は何をすれば良いのかわからずに、その場呪文を唱えるのをただじっと見つめていた。 「もういいわ」 そういって、少女はぐしゃぐしゃになった用紙を広げて、興味深そうに観察した後にゴミ箱の中へと投げ入れた。 「今のは、いったい何の実験だったのでしょうか?」 俺がそう聞くと、彼女は眉間に皺を寄せながら答えた。 「作業をしている間は、声を掛けないようにと注意意したはずでしょう?」 「ですが」 「助手なのに、私に口答えをするのかしら」 高圧的なその態度は、彼女の年齢に似合わない。違和感を感じながらも、俺は質問する事をやめなかった。 「協力する以上は、その内容に関して情報を提供するべきでは」 彼女はしばらく考え込んだ後に、気だるげに説明をし始めた。 「貴方の思考を、用紙に転写させて読んでいただけよ」 その説明を聞いた後に、俺は驚いてゴミ箱に捨てられた用紙を拾い上げた。 「内容と思考が、繋がってるはずよ」 俺が用紙を読んでいる最中も、彼女は悪びれる様子もなくそう投げ掛ける。ゴミ箱から拾い上げたその用紙に浮かび上がった文字は、俺が心の中で考えていた事がそのまま書いてあった。 「どうして、この内容が俺の思考と違わないとわかるのですか?」 思考が読まれた事よりも、その疑問の方が上回る。彼女は何でもないといった様に俺の質問に答えた。 「貴方が考えている事が本当に用紙に浮かび上がっているかなんて、わからないわ。呪文を唱えて、その文字が浮かんだという事実しか、わからない」 「なぜ、最初に説明をしなかったのですか?」 「貴方がロクな事を考えていないかどうかがわからないじゃない」 「つまり、俺がロクでもない事を考えていないかどうかを確かめる為に、実験をしたのですか?」 「私はそんなに暇ではないの」 辻褄の合わないそのやりとりの内容に、頭を抱えそうになる。彼女はまだ、大人になっていないが、確実にその階段を登り始める年齢であった。俺は何故か、その事に対して強い危機感を感じていた。 「俺、ここで働きますね」 「えぇ」 彼女は疑問を含みながらもそう返事をし、机の方へと身体を向けた。俺の事など気にもせず、黙々と作業に没頭している。 「どうしたものか…」 途方に暮れた俺は、浮世離れした少女の背中をみながらそう呟く。報酬目的で始めた仕事は、想像していた内容とはかけ離れているが、これもまた質の違った過酷さだ。それでも、ここで働く事を決めた理由は、俺の最大の欠点が原因だ。 俺の家は昔から貧乏で、幼いころから仕事を探し、稼ぎを入れるようにと育てられている。働かないものは、食う資格もない。大人になって、家を出た後にもその癖は強く残り、俺は無意識のうちに金銭の執着が強くなってしまっている。 最初の仕事では、大きな問題が起きずにうまくこなせていたはずなのだが、不況を機に退職を余儀なくされた。街の中で耳にする噂では、魔法使いの魔力が年々弱っており、彼らの魔法に依存する業種の質が落ちてきているらしい。俺が務めていた店も、その影響を大きく受けたようだ。 しかし、その不況の原因である魔法使いの助手というのが、次の仕事なのだから人生はなにがあるか予測がつかない。俺は物が多くて雑然としている居間を茫然と眺めながら、そんな事を考えていた。 変更された契約内容を、もう一度読み返しながらため息をつく。仕事の内容は、魔法は使えなくても遂行できると書いてある。報酬は俺が最初に勤めていた仕事の約3倍ほどで、やはり手放すにしては惜しい金額だ。 上の階で、作業に没頭している魔法使いをみたが、俺の存在そのものを忘れているのではないかと疑うほどに、下の階の様子をみに来ない。いくら自分が雇ったとはいえ、初対面の奴が家に居る事が不安ではないのだろうか。 書類に載っている雇い主の情報を読んでみた。わずか13歳で、情報伝達系の魔法の著しい成果を残していると書いてある。他にも、難関の学校を15歳で卒業したり、研究員として働いていたりと、まるで別の世界の人間を見ているようだ。 俺がこの職場で、役に立つことなどあるのか疑問を感じ始めた頃に、上の階から鐘を鳴らす音が聞こえた。 チリーン チリーン 軽快な音を2回ほど奏でた後、部屋の中は静寂に包まれる。まさかとは思うが、俺を呼びつけているんじゃないだろうな…。 「何をしているの?はやく上がってきて」 予感的中の様だ。出来れば思い違いのほうが、よかったのだがと思いながらため息をつく。階段を登りながら、雇い主の横柄さに辟易とした。初日で、しかもたった数時間の間なのに、なぜこんなにも精神的に疲弊しなければならないのだろうか。 「ご用件は…?」 嫌味を込めて、そう聞くが彼女には通用しないようだった。考えてみれば、それが通じるぐらいだったらこんな事は出来ないだろう。 「薬草を摘んできて」 そうして渡されたのは、薬草が箇条書きにされた紙だった。初めてみる種類のものばかりで、聞いた事もみた事もないものだ。俺が顔を上げると、幼さが残る顔立ちの魔女がこちらを見ていた。まるで、俺を観察しているかの様な眼つきに、背中がヒヤリとする。 「期日のほうは?」 「今日中によ」 それだけいうと、また机のほうへと身を翻す。声を掛けられる雰囲気ではなさそうだ。渡された紙を読み返し、聞いた事もない薬草をどこで摘むのかもわからずにと途方に暮れる。どうすれば良いだろうと考えあぐねていると、魔女は背中を向けたままこういった。 「何をしているの?はやく摘んできてちょうだい」 「…はい」 俺は下の階へ戻り鞄を手に取った。財布の中に、充分な金額が入っていることを確認してから扉を開けて小屋を後にする。森の木々が完全に覆いかぶさり、小屋がみえなくなった頃に 「何なんだ、あの魔女は」 そう不満を漏らした。条件がこんなに契約を結ぶのはこれが初めてだ。労働条件がすべて雇う側の都合のいい様に変えられてしまった事に対して、ふつふつとした怒りがわいてくる。 たちの悪い事に、相手はまだ幼い魔女だ。世間からの擁護がある時期だろうから、強い態度をとれば叩きのめされる。まだ仕事の内容もろくにわからないのに、やりずらさを感じていた。 (大体、あの年齢の子供が人を雇うなんて、法律に違反していそうだが) 心の中で、気になる事が多すぎて薬草を摘むという目的を忘れてしまいそうなので、いったんすべて頭から外して渡された紙をみた。 (落葉草、櫂馬草、瑞梨草…ダメだ、どれも聞いた事がない) 森の中を歩きながら、群生している草をみたがただの草にしかみえない。諦めようかと考え始めた時に、ふと街の中にある魔道具屋の事を思い出した。 「あそこにいけば、何かわかるかもしれない」 希望の光が差し込み気力が湧いたので、俺はそのまま街へと足を運んだ。
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