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聞き覚えのある声が聞こえた気がした。
いつもの歩きなれた通学路。慌てて振り返るも、そこには同じ制服を着た人たちがこちらに歩いてきているだけ。みな友達と話したり、イヤホンで音楽を聴いていたりで、こちらに意識を向けている人は誰もいない。
「気のせい、だよね」
別々の高校に進学する前、毎日遊んでいた女の子。クラスもずっと一緒で、これから先も離れる時が来るだなんて疑いもしなかった。
その子の父親の家庭内暴力。離婚。引っ越し。
逃げるようにこの町から出て行ってしまった。私に、別れも告げぬまま。
それから1年と数か月。受け入れがたかった現実は日常となり、悲しさも幾分か和らいできている。高校で友達もできて、億劫な授業もそれとなくこなしている。
聞こえた声は、きっと暑さで疲れているからだろうと、家の方へ足を向けた。
歩みの中で、ふと昔のことを思い出す。
今日みたいに、セミがじりじりと鳴きわめく午後。
家の近くの公園で、家の鍵を忘れた私はただ太陽の光を浴びていた。
抱えているランドセルの金具も、熱を吸収しまくっている。
こういう時に限って友達は習い事だし、水筒のお茶はもう飲み干したし、帽子は忘れてきたし、宿題が多い。
「なにしてるの?」
座っていたベンチの背後から声が聞こえた。
振り返ると、同じクラスだけど、そこまで話したことのない女の子が立っている。こんがりと焼けた肌に、白いTシャツが映えていた。
「家の鍵、忘れちゃって」
自分の失態をあまり素性の知れない人に話すのもどうかと思ったが、この暑さでは言い訳を考える事もできなかった・
「ちょっと待ってて!」
そう言って女の子はダッシュで公園を後にする。
そう時間も経たない間に、息を切らして戻ってきた。
「はい! これ食べて!」
差し出された手には、スイカのアイスが握られていた。反対の手には、もう一つ同じもの。
「えっ、いいの?」
「いいよ! これ食べて落ち着いたら家おいで! 今のままじゃ歩けるかも心配だし」
ありがとう、ちゃんとこの言葉を伝えられただろうか。意識もはっきりしないまま、アイスにかじりついていた。その姿を見て、女の子も嬉しそうにアイスを頬張る。
暑さで少し表面が溶けたアイス。カチカチよりも、これくらいの方が食べやすくて私は好きだ。
一言も発することなく、気づいたらぺろりと完食していた。
ハッとして女の子の方を向く。彼女はのんびりと食べていて、あと数口で食べきるところだ。
「一口食べる?」
今にも棒から落ちてしまいそうなくらいやわらかくなっているそれは、女の子が腕を動かすたびに振りほどかれてしまいそうで、はやく食べてあげないとという気持ちになる。
「大丈夫、はやく食べないと溶けちゃうよ」
食べたい気持ちをグッとこらえ、食べるように促す。
「わかった。このアイス、好きじゃなかった?」
大口を開けて残りを一気に食べようとしながら尋ねてくる。
「ううん、好きだよ、このスイカのアイス」
「よかったー! 結構好き嫌い分かれるからさ、嫌いだったらどうしようって思って」
ごちそうさまと、ペタペタになった手を合わせる女の子。
「確かに、お姉ちゃんはあんま好きじゃないって言ってたな。あ、ゴミ捨ててくるよ」
「いいよいいよ! 一緒に捨てに行こ。んで、そのまま移動しよ」
ベンチから少し離れたところにあるゴミ箱へゆっくり歩く。
女の子の歩きは少し早くて、リズミカルだ。そう感じるのも、私が暑さにバテているからかもしれない。
仲良くゴミを捨てて、日陰を選びながら歩いていると、ほどなくしてあるアパートにたどり着く。
「ここ私の家。親二人とも仕事でいないから気にせずあがって」
1階の角部屋のドアをギギギと開ける。
お世辞にも綺麗とは言えない程、リビングのテーブルにはビールの空き缶が散乱していた。
「今日宿題いっぱい出たよね、一緒にやらない?」
テーブルの端に空き缶を押しやってスペースを作る。
こんな家庭もあるんだなと、子どもの私は何も気にせずノートを広げ、宿題を終わらせた。
その日以来、学校でも一緒に居るようになり、放課後もたくさん遊んだ。
中学では同じテニス部に入り、ダブルスも組んで試合に挑んだ。
高校でもまたダブルスを組もうねって、約束したのに。
気が付くと、家を通り過ぎ、あの公園にいた。
あの日と同じまま、この公園はずっとここにある。
昔座ったベンチ。変わったことと言えば、少し老朽化が進み、木がボロくなり少し痩せこけたように見える。
そうだ。
公園を出て、最近できたコンビニに向かう。
昔から変わらないおいしさのスイカのアイス。本当は、そんなに好きじゃないスイカのアイス。
思い出の場所で、思い出の味を楽しもうだなんて、随分年寄りくさくなったものだ。
まだ少し硬いアイスを強引にかじる。
あれから何回もこのアイスを食べているが、あの時食べたアイスは別物なのかと疑うくらい味が違うように感じる。
セミが鳴いて、太陽は照り付けて、空は青くて、雲は白くて、私はここにいて。
だけど、あの子はここにいない。変わらないもののなかで、変わっていくものがある。
アイスもすっかり溶けて、残り数口。
「一口、食べてくれないかな」
そう呟いても、誰も返事をしてくれない。
大きく口を開けて、一気に頬張る。
いくら溶けてきているとは言え、アイスだ。キーンと頭にくる。歯を食いしばって痛みが治まるのを待つ。
あの子は、冷たいものに強かったのかな。
気になったと手、答えは永遠にわからないまま。
帰ろう。スクールバックを肩にかけ、ゴミ箱へゴミを捨てる。
気が付いたら、ゴミ箱に蓋がつけられていた。
面倒だな、と思いつつ蓋を開ける。今日がゴミ回収の日だったのだろうか、変えられたばかりと思われる袋の中に、ポツンと見慣れたパッケージがあった。
まさに今私が捨てようとしている、アイスの袋。
あたりを見渡す。青々しい木々が風になびいている。人の姿は見受けられない。だけど、この公園に、あの子が来ていたんじゃないか、そんな感じがした。
あの日、彼女が私を見つけてくれた。次は、私が彼女を見つける番だ。
距離は遠く離れてしまっているかもしれない。それでも、一緒に過ごした日々は本物で、大切な思い出。
離れていても、どこかで繋がっている。
大丈夫、また必ず会えると知っているから。
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