第七話 残光

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第七話 残光

休日の朝、ミホは出掛ける支度を始めた。 最寄り駅の隣のターミナル駅、役所の本局へ行く用事の為に。 それはミホが通っていた中学校の近くでもあった。 (本当に久し振りだな…。) 多くの生徒達はラッシュを避ける為に自転車通学。 殆どが駅近くの駐輪場に停めて、そこから通学するスタイル。 しかしミホは好意で同級生の店の駐車場に停めさせて貰っていた。 そこから一緒に学校へ通っていたのである。 ミホの家庭事情を知った友人の好意。 それによって駐輪場代が助けられていた。 その友人の家は喫茶店を経営していたのだ。 (懐かしい…。) 中学卒業後、別々の高校へ進学した為に疎遠になっていた。 クラスが別だった為にクラス会では会えないまま。 それでも、もちろん忘れた事なんて無かった。 そこで役所に行くついでに、その喫茶店に寄ろうと計画。 もし友人がいれば再会が出来るし、いなければ珈琲ブレイク。 どちらにしても楽しみでワクワクが止まらない。 (お店に出てくれていれば嬉しいんだけどな…。) 会える事も考慮に入れて、ミホにしてはオシャレをした。 最近の休日はジョギングスタイルで過ごす事が多かったのだが…。 ターミナル駅について改札を抜ける。 いつも片山主任と待ち合わせるのとは反対側の出口。 久し振り過ぎて改札自体も、そこからの景色も変わっていた。 川沿いの道路が綺麗になっているのに驚く。 だが、それに連れられる様に古びた名画座が無くなっていた。 映画を劇場で観る事がミホの夢の一つでもあるのだが。 もう近場にはシネコン以外の映画館は無くなっていた。 ふざけた名前のラーメン屋さんも変わっている。 まだ卒業してから十年も経ってはいないというのに…。 もしかしたら友人も変わっているかも知れない。 (忘れられてるかも知れないな…。) 懐かしさは増しているものの、ワクワク感は急激に萎んでいた。 それでも役所での用事は思ったより簡単に済んだ。 友人の喫茶店のオープンまでは少し時間が残っている。 ミホは少しだけ困ってしまった。 (どうやって時間を潰そうかな…?) 役所の目の前の交差点で信号待ちをする。 その時にミホの目に鳥居が映り込んできた。 横断歩道の真正面である。 (…!) ミホは瞬時に、その神社に参拝する事を決めた。 時間潰しどころではない有意義な選択だと自分自身で喜んだ。 幼い頃から母の影響で寺社仏閣が大好きだったのだから。 財布の小銭入れスペースには常に五円玉を残してある。 寺社仏閣を見掛けたら時間が許す限りは参拝する。 その時のお賽銭として常備しているのであった。 「ご縁が有ります様に。」 それは母からの教えの一つである。 お賽銭を入れる。 ぱん!ぱん! 二礼二拍一礼。 ミホも願い事を聞き届けて貰う為に祈った。 (これからも家族が健康でいられます様に。  武田クンと仲良く続けられます様に。  ずっと、ずっとずっと…。) 一息ついて、お願い事を追加した。 本来の目的を思い出したのである。 (喫茶店で彼女に会えます様に…。) ミホは満足して鳥居をくぐった。 五円では多過ぎるぐらいの願い事が出来たのだから。 神様も大忙しで大変であろう。 友人の喫茶店は直ぐ近くである。 久し振り過ぎて少しだけ迷ったが辿り着けた。 (…!) ミホはショックを受けて、その場に立ち尽くしてしまった。 見えているものが信じられなかったのである。 その友人の喫茶店は取り壊されている最中であった。 看板は既に外されていたものの、外観は残されたまま。 間違い無く、かつて友人の店だった建物である。 ミホは身体から力が抜けていくのが感じられた。 店の目の前の通りのガードレールに寄り掛かる。 急に飲食店の閉店のニュースがリアルに思い出されてきた。 まさか緊急事態宣言の影響で…? 休日で作業をしている人がいない為に真相が判らなかった。 ガードレールにもたれたまま、もう一度よく店を見る。 それと同時に、ミホには過去が蘇って見えた…。 それはまるでホログラムの様であった。 質量が感じられる程である。 自分自身の再現映像を見ている様でもあった。 既視感とは違った懐かしい感覚。 その喫茶店で一度だけ友人の誕生会が催された事がある。 ミホも呼ばれたのが本当に嬉しかった。 喫茶店の料理が沢山出されて、どれも美味しくて驚いた。 友人の家族だけで経営していたので雰囲気も素敵である。 特にお兄さんがシェフをしていて、格好良かった。 ミホは幼い頃から長女として苦労していたので羨ましかった。 (私にも、お兄ちゃんがいたら良かったのにな…。) 友人も家族も全員笑顔が溢れていて楽しそうだった。 ミホの理想像としての家族そのもの。 ミホも一緒に呼ばれた同級生も楽しんでいた。 その蘇ってくる過去の幻影を、今ミホは見ている。 その映像は段々と朧気になっていって、やがて消えていった。 最後に見えていたのが入り口に飾られた植物である。 「マロニエっていう花だよ、造花だけど綺麗でしょー?」 熱心に花を眺めていたミホに友人が教えてくれたのだ。 その言葉も、まるで聞こえているかの様に思い出した。 取り壊されている店の前で、暫く茫然としていたらしい。 ガードレールが痛く感じられ始めた、おなかも空いている。 ミホは全てを飲み込んで現実に戻ってきた。 だけど全てが消化出来た訳では無かった。 「今日のお昼はピザにしよっかな?」 ワザと声に出して自分に言い聞かせてみた。 少しだけ元気になる、少しだけだけど。 駅への道を戻り始めた。 時間が余ったら中学校を見る予定だったのであるが…。 そんな気持ちの余裕は木っ端微塵に散ってしまった。 (テイクアウトならピザも半額だったっけ…。  でも一人で食べ切れるのかな?) 一人暮らしになってからはピザも注文した事が無かった。 またも友人家族と一緒に食べたピザを思い出してしまう。 握りこぶしに力が入り過ぎてしまって、少しだけ立ち止まる。 (もし潰れてしまったんだとしたら悔しいな…。) 確かに日本中の飲食店が尋常じゃなく苦労している事は知っていた。 でも、まさか彼女の店が…。 急にニュースがリアルに感じられてきて怖くなった。 そして悲しくなった。 駅までの道を戻りながらも更に景色が変わって見えた。 少し瞳が潤んでぼやけているだけではなく。 帰り路は自分の知っている場所だと思いたくなくなっていた。 (早く家に帰りたい、こんな悲しい世界は嫌だ。  早く元の生活に戻って欲しい…。) ミホの足取りは微かに覚束なかった。 夢遊病の様な歩き方だったのである。 もう直ぐ駅に着く。 その路上で突然擦れ違い様に軽く肩を叩かれる。 ぽんぽん。 ミホは驚いて振り返った。 その女性は満面の笑みでミホに話し掛ける。 「森さん?」 「まっ、松ちゃん?」 「やっぱりミホじゃーん!  ホントに久し振りだねー!」 それはミホの同級生であり、あの喫茶店の娘であった。 突然、現在の彼女に会えたミホは軽く混乱していく。 「区役所の帰りかー、時間在るのー?」 ミホの持っていた役所の書類袋を見て彼女は尋ねた。 まだ驚いている最中のミホは大きく頷く。 「ウチの店ねー、学校の近くに移転したの。  ちょっと寄っていきなよ、みんな懐かしがるよー。」 「良かった、閉めちゃったのかと…。」 「常連さんがイッパイいるから潰れないよー。」   余りの怒涛の展開にミホは圧倒されていた。 だが気持ちはドンドン明るくなっていく。 先程までの沈んだ気持ちは何処へやら。 「さっ、行こう行こう。」 ミホの手を取って歩き始めた彼女。 一度は離れた縁が再び繋がった。 より強く。 「お土産にピザ持って帰りなよ、弟さんと妹さんに。  ミホも好きだったでしょ?」 「今は一人暮らしなの。」 「そっか、じゃあ食べ切れないかー。」 ミホは嬉しさから、つい言ってみたくなった。 武田の事を。 「でも職場で彼氏が出来たから…、大丈夫だよ。」 「へー、あのミホがねー。  でも良かったね、やるじゃん!」 嬉しそうな彼女の懐かしい笑顔は、まるで昔と変わらなかった。
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