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第6話
単一にそろえられた、電子音がうるさい。頭の中に鳴り響いて、ガンガンと痛みが増す。
そして、頬をつたう涙が気持ちわるい。体もいうことをきいてくれない。重い瞼をひらくと、まっしろな天井がこちらをみている。横には点滴がぼんやりと立っていた。
ちぐはぐな光景がおぼろげに浮き出てみえる。
なんだ、ここは。あたらしいところじゃ……。
そう思った。でも、片田舎に契約したところはもっと古い。木造で、せまくて、一部屋しかない。それでもここはちがう。見覚えがない。間取りだっておかしい。ベッドが真ん中にあって、まるで、これは……。
ふいにドアが開いて、女がじっとこちらを見ていた。身体を起こそうとする自分にびっくりして、ツカツカと歩いてちかよってくる。
「倉本さん、目が覚めましたね。すぐに主治医を呼んできます」
冷えた声を放ち、すぐに扉がぴしゃりと閉じた。そしてまた、勢いよくひらいた。
「……皐月、起きたか?」
「あ……」
きりゅうだ。
濃紺の仕立てのよいスーツを着て、息を切らしている。こっちにくるな、と思うまもなくかけ寄る。
「……やっと、起きたな」
「うん」
「よかった」
「……ッ」
つよく抱きしめられた。ぎゅうっときつくだ。わずかに腕が震えている気がした。
「刺されたんだよ。犯人はまだ捕まっていないんだ。通り魔らしい……」
「……さされた?」
「ああ。いま捜索している。すぐに見つかると思うけど、おまえが無事でよかった」
「ぶじ……」
「一命は取り留めたけど、まだ安静が必要らしい。ゆっくり寝ておけ」
「……ここさ、病院……?」
昨日、荷物をほどいて新しい新居にきた記憶と一致ができない。それなのに桐生はみたことのない表情でこちらに笑いかける。
「……病院だよ」
「どこの?」
「近くだよ」
身体をはなして、桐生はまじまじと俺を覗きみる。
「ちかく……」
「わるい。俺がいたのに、本当に悪かった」
「……いや、え……っと」
ぽかんとしている自分に、心配そうに桐生は顔をちかづける。目と鼻の先ほどの距離に、視線をそらす。
「……倒れたとき、頭を強くうったみたいなんだ。大丈夫か?」
ぐるぐるに巻かれた包帯と、ズキズキと痛むこめかみ。なるほど、そういうことか。通り魔に遭って、怪我をしている。そして、ここは病院というわけか。でも、俺がびっくりしているのはそれじゃない。
手を握りしめ、目を細めて心配そうにみつめてくる凛々しい顔のこの男だ。そのまえの朝は一言も言葉を交わさなかったのに、一体全体どうしてこうも人は変われるのか。
俺は桐生の変わりぶりにただただ驚いて、言葉が浮かばない。
「……ゆめかな」
「ばか。夢なわけあるか。本当に大丈夫なのか? ……三日も眠っていたから心配したんだぞ」
桐生は怪訝そうな視線を俺にむける。表情を変えないで凝視してくるので、恥ずかしくて目を伏せた。
「ごめん。あの……俺、ここ、札幌だよ……な……」
顔を両手でおおい、指の隙間から桐生をみる。
自分は札幌に行ったつもりだった。だからこんなにも性格がちがう、優しくて頼りになる桐生はおかしい。だからってこんなに心配してくれる桐生は見たことがない。
「さっぽろ……?」
「う、うん……」
「…………」
「………」
いやな沈黙が流れる。個室でよかった。
なんだ。ちがうのか。なんだ、思いちがいなのか。
そう思っていると、またドアが開き、若いドクターらしき医者がはいってきた。
「倉本さん、はじめまして。外科医の黒木です。やっと目が覚めてよかった。足のほうに後遺症がすこし残るかもしれませんが、命には別状ありません。まあ、過労と睡眠不足から三日間眠り続けていたということですね。ちょっと診察しますよ」
ベッドの背もたれ部分の角度をあげて、診察をされる。くるりとまわされて、桐生と向かいあう。桐生の髪はみだれて、顔は少し疲れていた。
「痛いところなどありますか?」
「……せ、せなかがまだ痛いです」
「ちょっと聴診器で心音確認しますね」
そう言って心音を確認し、瞳孔も確認する。とくに異常もない。
「大丈夫ですね。すこし傷が深いので、あと一週間は入院してください。他になにかありますか?」
黒木はにこにことした笑みで問いかけた。
「あの、ここはどこですか?」
「東京ですよ」
「とうきょう……」
「そう。しばらく休んで、リハビリをがんばってください」
「は、い……」
なんと返せばいいのか、いやだとも言えずに応えた。その黒木はまた笑みを浮かべて、部屋を去った。下らない質問にはかまう時間がないともいうほど、あっさりとした診察がおわる。
「……きのう、なにしてたか覚えてるか?」
横に腰かけていた桐生が唐突に口をひらいた。
「きのうは、……あたらしいところで荷物を整理して、えっと、……そのまえに桐生のマンションから出てきて…」
「……俺のマンション?」
桐生の凛々しい眉がぴくりと上にあがる。
「……す、住んでただろ」
「……それから覚えてることはあるか?」
低くこもった声にすこし苛立ちがまじった。
「お兄さんがきて……」
その言葉に、桐生の顔が怖いものに変わった。
「……アニキが?」
「ごめん、俺、おまえから、離れろっていわれてさ。お兄さんに金を払うから出ていけって言われて……それで……ッ」
「だいじょうぶか?」
「あ、たまが、いたい」
「わるい」
いろんな記憶がぐじゃぐじゃに混ぜたように頭に浮かぶ。どす黒くなった色になって、ずきずきと頭が痛む。
すると、桐生がやさしく頭を撫でた。
「………とりあえず今日はまだ寝てろ」
「………え」
「兄貴とはもう話がついてる。もう気にする必要はない」
「だってさ……」
「……もういいんだ。いまは身体のほうが大事だ。しばらく寝ろ」
深いため息をつかれ、ぐりぐりと頭をなでられた。
「ねてろって……」
「明日、また様子を見にくるからな」
桐生はそう言い残して、その場を後にした。
そして、明日といっていたくせに、その夜にまた見舞いといって顔をだした。
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