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台風の来ない七月
①イオンの駐車場で、1番出食わしたくない人物に会ってしまった。
他の場所でなら、別に良かったかもしれない。でもイオンの駐車場は微妙だった。というか今の状態が微妙だった。
俺は右手に大量のドーナツが入ったミスドの袋を、左手にはアリエールなど生活用品が入った袋をぶら下げていたのだ。
とても1人暮らしの量じゃない。つまり俺の同棲相手である六月(むつき)の分も買っている。
そして出食わした相手はその六月(むつき)の父親なのだ。
否が応でも俺達が一緒に暮らしていることを思い出させてしまうだろう。
『こんにちは、六月君は元気ですよ、最近は俺のリュックを勝手に使ってますよ』
『昨日はどっちが風呂掃除をするかで軽く揉めましたよ』
『でも先週は一緒にお風呂に入りましたよ』
どれも言葉に出来ない。
かと言って会釈するだけでは失礼な相手だ。
「よお、元気か?」
「はい。先生も元気そうですね」
学生時代の担任、兼六月の父親は少し笑って、小さく右手を上げると去っていった。
六月の父親は、俺の学校の教師だった、しかも担任だった。なんて複雑な関係性だろう。
自分の恩師の息子と同棲してる俺と、
自分の父親の教え子と同棲してる六月。
なんだかややこしい。
でも1番複雑なのは自分の教え子と自分の息子が同棲してる先生なんだろか。
今更同性が同棲してどうのこうの言う時代でもないけど、なんたって田舎だから色々言う人もいて先生の職業柄申し訳なく思ってしまう。
誰より六月がそれを気にしている気がする。
俺は別にいいんだけど。
帰り道、いつも行く和菓子屋さんでぼんやりショーケースをのぞいていると怪しい人物と遭遇した。
狭い店内でチラチラとこちらを見てくる男性。
50〜70歳くらいだろうか?
自分でも年齢の見立てが幅広すぎると思うけど、同年代以外の歳なんてわからないものだ。
グレーの半袖シャツ、細身でやや背は高め、猫背。割と鋭い目つき。
ただの変な人ならいい。
あるいは、同居人の三月(みつき)に借りて来た吉田かばんのリュックに興味があるカバンマニアとかならもっといい。
しかし残念ながら、俺もその人に見覚えがあった。
誰だっけ?
誰だっけ?
誰だっけ?
昔だったら無視して逃げていたんだろうけど、地元の広報誌で営業の仕事についてからはそうもいかなくなった。
お客さんだったら無視するのはまずい。
どうしようかな。
少し迷ったが1番無難な手立てを選んだ。
会釈して逃げよう。
知り合いなら奥ゆかしい青年だと思われるだろう。
知り合いじゃなければ『あれ、違う人にしたのかな?そうかな?』と思われるだけだ。
ぺこり&ダッシュしようとした時、予想外にその人物は近づいてきた。
「あの、君は先生の…」
「はい。そうです」
なんと、父さんの知り合いだなんて、1番微妙な系統の人だったのか。
「いつもお世話になってます」
頭を下げされても誰なのかは思い出せない、年齢的には同僚の線が1番濃厚だな。
とりあえず適当にかわしておこう。
「こちらこそ父がお世話になってます」
一瞬、変な間が空いた。
「先生の息子さん?てっきりご兄弟か何かかと」
「え?いや、息子です。そんなに老けて見えますか?」
「いやあ、同年代以外の人は歳がわからないものだから」
確かにその通りだけど、兄弟はひどいな。
「それにしても先生が結婚しているとは知らなかったです」
「え、そうなんですか?」
昔は物静かでも生徒と打ち解けるタイプだったのに、今は秘密主義なのだろうか?
それとも教師はプライベートを生徒に話さないようなクールな時代になったのだろうか?
「確か父と同じ職場にお勤めの方でしたよね?」
探り探り質問するとまたも予想外のリアクションが返ってきた。
「え、私?まさかまさか、私は生徒です」
「生徒さん?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
生徒?この歳で?
相手も少し動揺していた。
いやいや、考えてみたらこの時代いろんな世代の人が学びを追求しているだろう。この人も学生さんなのか。
「そうなんですね。ではそろそろ失礼します」
なんだか変な空気のまま、俺はその場を辞することにした。
「甘いものがお好きなんですか?」
「はい。まあ」
「そう言えば先生も今日はイオンでタピオカを飲みたいって言ってました。親子揃って甘いものがお好きなんですね」
「タピオカですか?」
「あとポンデリング?とかいうドーナツも」
「ポンデリングですか?」
タピオカ?
ポンデリング?
どうしたんだろう。甘いものなんて葛餅くらいしか食べてるのを見たことないのに。
いきなり超甘党に宗旨替えしたのか?
それにしても好みが若返りすぎじゃないかな。人ってそんなに変わるものなんだろうか?
なにかあの人を劇的に変化させるようなショッキングな出来事が起こったのだろうか?
「そうだ、良かったら今度あなたも教室に遊びに来ればどうですか?」
「教室にですか?」
「はい」
「遊びにですか?」
「はい。他の方のご家族はたまに来てますよ?」
教室は神聖な学舎であって、家族が遊びに行くような場所じゃないと思っていたけど、俺が知らない間に日本の教育はだいぶ変わったみたいだ。
「ただいま」
俺が居間であぐらをかいてドーナツを食べていると、六月が何やら思いつめたような顔で帰ってきた。
ただでさえ知らない人が見ると少し怖い印象なのに、今日は更に深刻に見える。
長年の付き合いから察するにそんなに深刻じゃないにせよ、何かあったことは間違いなさそうだ。
「どうかした?」
「うん、まあ」
そう言って俺から借りてるはずのリュックを畳に投げ捨てるように置くと手を洗いに行く。
俺のリュックなのにひどいやつだ。
少し言うのを躊躇ったけど、俺は正直に今日の出来事を報告した。
「イオンで先生にあったよ」
「えっ、本当に?」
予想以上に驚いたから、俺まで動揺してしまう。
「実は俺も和菓子屋で、教え子と名乗る人物に会ったんだ」
「そうなの?すごい偶然じゃん」
「シンクロニシティ」
ぽつりと六月は呟いた。
「教え子ってどんな人?」
「それが結構年配で。50歳よりは上だったような気がする」
「本当に教え子?同僚とかじゃなくて?」
「同じ職場か聞いたら、教え子だって言ってた。今は色んな生徒さんがいるもんなのかな?って思って」
「そうかあ」
「しかも俺、息子じゃなくて兄弟かと思ったって言われた。俺、そんなに老けてるか?」
「いやどちらかと言うと若いだろ」
「そう?」
「うん」
俺の答えに六月は満足したようだった。
「父さん、イオンで何してた?」
「何って、駐車場で挨拶しただけだから」
「そうか」
「挨拶して、すぐ別れたんだけど」
「何かを手に持ってた?例えばタピオカとか?」
「タピオカ?」
「そうタピオカ。大概ミルクティーなどにぶち込まれている、黒くてもちもちしたやつ」
「知ってるよ。でもタピオカは持ってなかった。なんでそんなことを聞くんだ」
六月はやはり何事か考えている。
「教え子を名乗る人が言ってたの。タピオカを飲みたがってたって。おかしくないか?」
「そう?俺だって飲んだけど」
「飲んだの?なんで俺の分はないの?」
「だって時間が経ったらふやけるだろ?」
六月は不満そうな顔をした。
「それからポンデリングを食べたがってたって」
「ポンデリング?」
「随分食べ物の好みが若返ったよ。昔は葛餅くらいしか食べてなかったのに」
「ポンデリング?」
「ああ、うん」
なんだか変な感じがした。
俺はちゃぶ台の上にある紙袋を六月の方へ差し出した。
「あ、ミスドだ」
六月はごそごそ探って、それからお目当のドーナツを取り出した。
「ポンデリングじゃん」
「ポンデリングだよ」
嬉しそうに食べ始める。
その姿はちょっとかわいい。年上だけどかわいい。
でも今はそれどころじゃなかった。
三月(みつき)の買ってきた、もちもちのポンデリングを食べながら俺は呟いた。
「こうなるともうシンクロニシティどころじゃなくてシンクロだな」
「その教え子ってどんな人だっだ?」
三月(みつき)は頬杖をつきながら難しそうな顔をしていた。
「どんなって、普通のおじさん。いやおじいさん?」
「何か特徴はなかった?」
「痩せ型で、割と身長高くて、グレーのシャツ着てた」
「他は?」
「猫背で鋭い目つきだった」
三月は険しい顔になった。
「そう言えば、その人変なこと言ってた」
「何?」
「今度教室に遊びに来て下さいって。昔はそんなことありえなかったけど、今は学校という概念も変わって来たんだな。まあ父さんの職場なんて絶対行かないけど」
途端に三月が低い奇声を発した。尻尾を踏まれた猫みたいな声。
「何?どうした?またムカデがいたのか?」
「違うよ、お前勘違いしてる」
「じゃあ何?ナメクジ?」
「違うその人、先生の生徒じゃなくて俺の生徒だよ」
ポンデリングを食べる手が止まった。
「俺も一応『先生』なんだよ」
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