単純な君との十一月

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「これなんだけど」 手渡された、いかにもクリスマスな配色のチープなチラシには『クリスマス特製ファンタジーファミリーセット☆みんなが大好きな苺のショートケーキと、やわらかチキンにポテトをセットにしました☆』と書かれていた。 食品メーカーのイベント用のセット商品らしい。 ごくごく普通の苺のショートケーキとごくごく普通のやわらかチキン。ポテトは丼くらいの大きさに見えるけど、サイズは書いてないので実際届くまではどれくらいかわからない。 とりあえずちっともファンタジー色はない。 デカデカと『今なら早割35%OFF』という謳い文句付きだが、この『早割』というのが、元からその値段で採算が取れる様に設定されていることは、仕事柄知っていた。 「これ何?」 「生徒さんによかったらどうですかって言われて」 なんだそりゃ? 「ノルマとか大変みたいで。六月がいやなら断るけど」 ノルマとか知らないし。 そんな軽いノリで俺のまりやとアイスケーキを馬鹿にしないで欲しい。 「俺、苺のショートケーキ好きじゃないんだけど」 「ちゃんと知ってるよ。だから苺の部分は俺が食べるよ」 そういう問題じゃない。 俺の機嫌が悪くなったのを察知したらしく、三月はすばやくチラシを回収するとリュックにしまった。 「ごめん」 謝るくらいなら最初から話すな。 「そもそも生徒さんとの金品のやりとりは禁止じゃなかったっけ??」 六月が静かに怒りを秘めた声で聞いてきた。 「いつもは断るんだけど、相手が本吉さんで」 「誰それ?」 すっかり忘れている。 「お前にプリンをくれた人。あの人は俺達が一緒に暮らしてるの知っているけど、他の人には黙っていてくれてるし。なんとなく無下に出来なくて」 「『黙っていてくれてる?』って、そもそも俺達が一緒に暮らしてるのは後ろめたいことでもなんでもないだろ。なんで頼まれたからってファンタジーセットを買わなきゃいけないんだよ?」 珍しく本気で怒っている。 「わかったよ。断るよ」 これじゃ、まるで六月を悪者にしてるみたいだ。そう思ってもふさわしい言葉が思いつかない。 もともと知っている言葉が少ないせいだ。語彙力がないせいだ。 六月が子供みたいにイベントごとが好きなことも、その準備をする時に楽しそうにしてるのも、身近で見てきたはずなのに配慮が足りなかった。 「ごめん」 六月はすぐに何でもないような顔になった。至って普通に振る舞おうとしてる。 でもこういう時は『なんでもなくない』時なのだと知っていた。 「ごめん」 俺は結局そればかり繰り返した。 うまく気持ちを言葉に出来ない。 六月に会ってから、こんな風に自分がもどかしくなる時がある。 気持ちを全部、言葉に出来たらいいのに。 「おはようございます」 次の日に諸悪の根源、本吉さんに会った時は、昨晩の事を思い出して思わずイラついてしまった。 「昨日チラシをいただいた、ファンシーセットのことなんですけど」 「ああ、ファンタジーセット?」 「どちらでもいいですけど、お断りします」 本吉さんが驚いた顔は新鮮だった。 まさか断られると思ってなかったようだ。意外と図々しい人なんだと思うと悲しくなった。 「2人暮らしなら、ああいうのも食べるかと思って。量が多かったかな?」 『2人暮らし』って、俺達の同棲を暗に批判してるのか? 買わないと周りに言いふらすという脅しか? 「君の先輩は甘い物が好きだと言ってたから」 『先輩』という言葉も隠れた脅迫の意味があるのかもしれない。 だめだ完全に疑心暗鬼になっている。 「そもそも生徒さんと金品の絡むやり取りは違反なので」 「そうですか。お金は絡まないから大丈夫かと勝手に思ってました」 申し訳ない。と本吉さんは頭を下げた。 一連の流れに引っかかる部分があった。 「お金は絡まないんですか?」 「そりゃそうです」 「そうなんですか?」 「差し上げると言ったじゃないですか」 昨日の本吉さんとの会話を思い出してみる。 〈回想〉 「頼みと言うのは、これなんですが」 そう言って本吉さんは赤と緑のチラシを俺に見せた。 「クリスマスのファミリー向けのセットなんですが、食べますか?」 「僕がですか?」 「知人が食品の卸しの仕事をしていて、毎年こういうのを売るのにノルマがあって苦労してるんですよ」 「はあ」 ここで俺はますます嫌な予感。 「良かったら先生にどうかと思って」 「あー、そういうのは」 「差し上げるので」 そう言って本吉さんは俺にチラシをくれた。 「考えてみて下さい」 「はあ」 〈回想終了〉 「くれるって言いましたか?」 「言ったつもりでしたが」 俺はもう一度考えてみた。 『差し上げるので』 『ーそう言って本吉さんは俺にチラシをくれた。ー』 あの時のことだろうか。 差し上げるのは、チラシの事かとおもったが、ケーキの事だったのか? 「そうだったんですね。てっきり押し売りかと思いました」 「押し売り?そんな事しませんよ。毎年余っちゃうと勿体ないから、誰か食べ盛りの人に差し上げようと思って。でも図々しかったです。申し訳ないです」 男らしく謝る本吉さんを見て、少し心苦しくなった。 「こちらこそすいません」 「いやいや」 しかもタダだったのか。 ちょっと惜しいな。 でも六月が色々準備してくれるから、いいか。 「では教室で会いましょう」 「はい」 俺は改めてファンタジーセットを思い浮かべた。 六月はどうして苺のケーキが嫌いなんだろう?他のケーキは大好きなのに。 『仕事中?』 休憩室代わりの狭い会議室で、休んでいると三月からメッセージが届いた。 昨日の子供っぽい態度を後悔していたから、ディスプレイの表示に名前が出た時には安心した。 「昼休み」 返信すると、更にすぐメッセージが届いた。 『1人?』 「1人」 『3分だけ電話してもいい?』 心がざわついた。いつもと違う行動をされると怖くなる。 ひょっとして怒っているんだろうか? 息を整える。 落ち着け。三月が怒るわけない。 もし怒ったとしても、謝ればわかってくれる人だ。怯えることはないのだ。 『無理かな?だったら家で話すよ』 勇気を出してこっちから電話をした。 『びっくりした』 「何が?」 『お前から電話がくるとは思わなかったから。珍しくて、初雪が降りそうだ』 声がいつも通りだったから、それがとても嬉しかった。 「何の用事?」 『昨日の事。ケーキのことを謝りたくて』 「わざわざ電話で?随分優しいじゃん」 からかってやると、やはり照れた。 『ちゃんと謝りたかったんだよ』 くすくす笑ってやった。 『あのさ、なんで苺のケーキが嫌いなの?話したくなければ別にいいけど、少し気になったから』 「ああ。泣ける話だけど聞きたい?」 『先生絡みのこと?』 「そうだな」 その日は俺の誕生日だった。 でも父さんも母さんもなんだか機嫌が悪かった。 姉さんは相変わらず陽気だったけど、無理をしてそう振る舞っていることは知ってた。 俺の誕生日ケーキを買ってきたと父さんが言った時に母さんは控えめながらも嫌そうな顔をした。 お金もないのにそんなもの買ってきて。というような事を言ったら、父さんがいよいよ不機嫌になった。 早く食べなよ。姉さんが言ったので、流れ上、俺は急いでケーキを食べた。そうすることでこの微妙な空気が変わればいいと思ったからだ。 でも最初に口にした苺が酸っぱかった。 「この苺、すっぱい」 思わずそう口に出したら、父さんはびっくりするくらい怒り出した。 だったら食べるな。と大声で言った。俺はまだ小1くらいだったから、怖くて泣いた。 ずっと泣いていた。 いやな思い出。 「それから俺は苺のケーキが嫌い。ついでに誕生日を祝われるのも大嫌い」 暗い話をわざと明るく言う。三月はどんな顔をしてるんだろう。きっと複雑な顔だろうな。 電話越しで良かった。 『誕生日嫌いは知ってたけど、苺のケーキ嫌いとルーツが一緒だったとは』 「楽しい家族だろ?」 三月は答えに困っているようだった。 「もう昔のことだよ忘れる。今の苺は品種改良で甘くなってるし、ケーキも美味しいと思う」 『そうだね』 「わざわざ電話してくるなんて、お前も苺に負けずに甘いね」 『そっちから電話が来たんだぞ』 「俺がそんなに美味しいのかな?」 しばし三月は黙った。 ふざけすぎたな。 『こちらの番号は本当に六月さんですか?かけ間違い?』 「どうだろ?」 『とにかく本吉さんにはちゃんと断ったから。そもそも誤解があったんだ』 「誤解?」 『押し売りじゃなくて、くれるつもりだったらしい。余っちゃうのが勿体無いから、俺たちに声をかけてくれたみたい』 「そうなの?」 なんということだ 無料だったら話は違う。 まりややアイスケーキとはさよならして、ファンタジーでも構わなかった。 俺はお金のためなら、多少のこだわりは捨てられるクールな男なのに。 『申し訳ないって言ってた。変わってるけど多分いい人なんだと思う』 「そうだな」 プリンくれたし。 『だからケーキとチキンの手配は頼むよ』 三月が少しだけ甘えるような声を出したきっと電話の向こうでは子犬が母犬にくっつきたがるような表情をしてるんだろう。 犬は飼ったことないから、正確にはわからないけど。 「じゃあケンタッキーにしようかな。それから、実はアイスケーキを買いたいんだけど」 『アイスケーキ?サーティワンみたいな?』 「うん、寒いからイヤ?」 『いいよ。すごい楽しみ』 めちゃくちゃ喜んでくれた。 やばいな、ケーキよりも甘い雰囲気だ。 こうなったら、俺が1人でコタツを出しといてあげよう。 『懐かしい。子供の時はいつもそれだったよ』 「え、そうなの?」 『うん、キャラクターとかついてるやつ』 「そうなんだ」 いつもアイスケーキだったなんて。 俺の恋人は富豪だったのか。 結局、セレブに生まれたものの勝ちだったのか。ムカつく。 心の中で思わず舌打ちした。 ここで俺は頭脳を駆使して、ブルジョアジーに一矢報いることにした。 「今日は午後から休みだっけ?」 『うん、今から帰る』 「じゃあ夜、俺が帰ったら2人でコタツ出そうか?そろそろ寒いし」 そうだね。なんて三月は返事した。 「コタツでアイスケーキ食べるのが楽しみだ」 『子供かよ』 ふふ。子供はお前だよ。 こいつが俺の愛しはじめた時と変わらない、ちょっと顔がいいだけの単純な…もとい純粋な男だったら、この雰囲気に流されるはず。 帰る頃にはこいつ1人で出したコタツが俺を出迎えてくれるはずだ。 「じゃあ家で」 『うん。あとで』 六月は家に帰ってくると開口一番「こたつじゃん」と言って、もぐり込んだ。 「1人で出しといてくれたんだ?」 「うん。まあ」 「ありがとう」 こちらが恥ずかしくてなるくらい上機嫌だ。 「夕飯用意するよ」 スーパーで買ってきたイカフライを温める。あとはキャベツにニンジンが申し訳程度に紛れているカット野菜に、ドレッシングをかけた。 ちょっと物足りないので、六月の好きなふりかけも出した。 「ありがとう」 「いえいえ。食いましょう」 子供のようにパクパク食べていると、不意に六月が言った。 「お前は俺が好きになりはじめた頃から変わらないね」 イカフライが喉に詰まりそうになった。 「なんだよ急に」 「昔の純粋なままなんだなあと思って」 「純粋ってなんなんだよ」 六月はくすくす笑った。 心なしか含みがあるような笑い声にも聞こえた。
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