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②
六月と昨日出くわしたのはおそらく本吉さんという生徒さんだ。
俺の絵手紙教室の中でも割と古参で、ちょっと曲者。カルチャースクールには珍しく1匹狼。
スクールにはもちろん純粋に絵手紙文化の探究者もいるけど、大半の生徒さんは誰かとのコミニケーションを求めてる。
求めすぎて、時々揉めることもあるぐらい。
本吉さんはいつも1人黙々と作業している。たまに誰かに話しかけられれば最低限話すくらいだから、コミニケーションを求めてる感じではない。
かと言って絵手紙文化の探求者というわけでも無さそうだ。そう考えると謎の多い人物だな。
思い返せば六月と本吉さんの接点は公民館の展示会で、作品に描かれているのが「コーヒー豆かがんもどきか」という話をしただけだ。(※四月は静かに流れて参照)
六月が『先生』を自分の父と勘違いしたからって別に問題はない。大丈夫だ。
今日の授業中に何か言われても適当にあしらえばいい。
そう思っていたはずなのに事務室を出た途端、廊下に件の本吉さんがいて面食らった。
「こんにちは」
「こんにちは。なぜここにいるんですか?」
「なぜ?って、授業を受けに来たんだよ」
「ああ、そうですよね」
「そういえば昨日、和菓子屋で息子さんに会ったよ。ほら前に展示会で話したことがあったからわかりましたよ」
いきなり確信を突かれた。
「正直先生が結婚してるとは知らなかったよ」
「違うんです。あの人は別に息子ではないんです」
「やっぱり」
本吉さんはため息をついた。
「やっぱり奥さんの連れ子さんなんですね?どおりで随分大きいと思った」
そうじゃないんです。と否定する前に本吉さんは鋭く眼光を光らせた。
「いくら血が繋がってないとはいえ『息子じゃない』なんて言うもんじゃありませんよ。本人が聞いたらショックだよ?大事にしてあげなきゃいけないよ」
「違うんです」
充分大事にしてます。と言いたかったが、なんと説明すればいいんだ。
「先生がそんなに冷血漢だとは思わなかったね」
「だからあの人は息子ではなくて、学校の先輩なんです。だから絵手紙の展示会に来てたんです」
「先輩?」
友人というと厳密には嘘になる。
恋人と言うと面倒なことになる。
でも先輩なら嘘ではない。
「あの人のお父さんが教員なんです。だから『先生』と言われて自分の親と勘違いしたみたいです。それだけです」
「ふーん。でもあの人と先生は親しいんだろ?」
「親しい?というか先輩です。先輩」
本吉さんは鋭い目つきのまま不思議そうな顔をした。
「でもそのリュック昨日あの人が持ってたやつだよね?」
「え?」
「同じリュックでしょ?」
「ああ。はあ」
「じゃあ親しいじゃないか」
違うんです、これはそもそも俺のリュックなんです。向こうが勝手に借りてたんです。
「まあ、よろしくお伝え下さい」
そう言って本吉さんはひと足先に教室に入っていった。
どうしようなんか、ちょっとだけ不安だな。
三月は大丈夫だったかな。
ぼんやりと仕事中に思う。
あの人は展示会の時に見たおでんおじさんだったのか。そういえばそうだったな。
ぼんやり生きてないでちゃんと人の顔を覚えないといけないな。
「今年は7月に台風が来なかったね。珍しいよね?」
優しい上司の堀米さんが思い出したように言った。
「そうですよね。変な気分」
道端さんは素早く帰るために虎視眈々と準備をしつつ答えた。
道端さんは子育て中で時短勤務なのだ。
みんなより少し早く帰れるっていいな。と思った時もあったけど、仕事の後買い物へ行って、ご飯の支度して、ひょっとしたら洗濯もするのかもしれない。
めちゃくちゃ大変じゃないか。
俺は心の中で道端さんに幸あれとエールを送った。
ついでにかなりフライング気味に自分の帰り支度もし始めた。
今日は毎週見てるクイズ番組の3時間スペシャルがある。すぐに退勤して、夕飯を買って帰宅しなくては。
愛用しすきてだいぶくたびれてる俺のトートバッグはビジネス用にありがちな使いにくさだ。そこに文房具やロッカーの鍵をそそくさと放り込む。
昨日まで借りてた三月のリュックは使いやすかったな。
自分でも買おうかな?
あるいは三月のをなし崩しに貰おうか?
どうやったら貰えるかな?
「そう言えば中丸パンが、駅前に2号展を出すらしいよ」
「え、本当ですか?」
中丸パンは町中にある、昔ながらのパン屋さんだ。
クリームパンとかアンパンとかジャムパンとかそれらを合体させた3食パンとか、茶色いパンばかりを売ってる地味な店。
「テレビに出たからって、家賃の高い駅前に出店なんて大丈夫かしら」
中丸パンは最近、某有名アーティストと名字が一緒という幸運だけで、テレビ取材を2回も受けた。
ライブのついでに来てくれるファンだけじゃなくて地元でも有名になり、客足も少しずつ伸びてるようだけど、確かに無謀な気がする。
「お洒落な感じの店にして、2代目が経営するらしいよ」
「ああ、息子さん?確か六月君と同級生じゃなかったっけ?」
俺は複雑な気持ちでうなずいた。
「うちの広報誌のお得意さんになるといいね」
堀米さんは微笑んだけど、俺はちっとも笑えなかった。
「どういうタイプの人なの?」
道端さんが聞いてきた。
「なんかやんちゃな感じの人でしたね」
俺の言葉に道端さんは何かを察したように口の端を上げた。
堀米さんは相変わらず微笑んでいた。
『お前達付き合ってるとか本当?』
中丸(2代目)とはほとんど話したことないのに、急にそう聞かれたから戸惑った。
そのせいですぐに返事は出来なかった。
『ああ、マジなんだ?』
その言い方がなんか偉そうでムカついた。
笑うでもなく、馬鹿にするでもなく、ただ『確認しただけ』という感じで、言うだけ言うとどこかへ行ってしまった。
それがくそムカついた。
俺がどんな男と、あるいは女と、もしくはそのどちらにもあてはまらない人と付き合おうがお前に関係あるかよ?
そう思ったし、そう言ってやりたかったがやめた。
面倒くさいから、やめた。
悲しいけどこの田舎で、教師の息子が、後輩の男と堂々と付き合うのは面倒くさいことなのだ。
だからってこそこそしてるつもりはないけど。そこら辺を突き詰めて考えると、複雑な気持ちになるので、考えないことにしている。
とりあえず中丸パンの2号店計画が頓挫することだけを祈った。
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