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③
終業後、中丸パン2号店の不成功を祈るだけでは足りない気がしたのでライバルになるであろう、駅前スーパーのベーカリーコーナーを応援すべくパンを買い漁ることにした。
「こんばんは」
急に声をかけてきた相手はなんと昨日のおでんおじさんだった。
「先生にお世話になってる本吉と申します。あ、先生と言うのはカルチャーセンターの方です」
おでんおじさん改め、本吉さんは両手にベーカリーコーナーとか、洋菓子コーナーとか、食品売り場のビニール袋を沢山持っていた。
どうやらエコバッグは使わない派のようだ。
「昨日は勝手に誤解をして、どんだご迷惑をおかけしました」
「いや、こちらこそ」
三月が誤解を解いたのだろうか?
どこら辺まで解いたのだろう?
まさか同棲してる事までは言ってないだろうけど。
「ところで、先生と一緒に住んでるんですか?」
「え?」
まさかのド直球の質問が来て、戸惑った。三月は一体何を言ったんだ。
「違うんですか?」
このおでんおじさん改めて本吉さんはそんなことを聞いてどうするんだろう。
『先生はそういう人なんだね』などと言って三月を馬鹿にしたいのか?
『男同士で住むなんてやめとけ』などと言って諭したいのか?
どう答えていいか迷っているとふいに中丸(2代目)の事を思い出した。
『お前達付き合ってるとか本当?』
『ああ、マジなんだ?』
俺が誰と付き合おうが、
誰と一緒に暮らそうが、
誰のリュックを借りパクしようが、周りにとやかく言われる筋合いはない。
だけど他ならぬ自分自身が1番後ろめたく思っている。
本当はそれが1番ムカつく。
「はい。一緒に住んでます」
俺はおでんおじさんに堂々と言い放ってやった。
「三月と一緒に住んでますよ」
それが何か問題でも?
喧嘩を売るくらいのテンションでそう言ったのに、本吉さんは何故か嬉しそうな顔をした。
「良かった。じゃあこれ貰ってくれませんか?」
そう言って渡された洋菓子コーナーのビニール袋にはプリンが2つ入っていた。
「先にプリンを買っちゃたんですが、やっぱりパンが食べたくなって買っちゃってね。そんなには食べられないから、よければ先生と食べてください」
「はあ」
「プリンお嫌いですか?」
「いや、好きです」
「じゃあどうぞ」
そう言って会釈すると本吉さんはその場を離れていった。
俺の手元には2つのプリンと行き場のなくなった喧嘩越しのテンションだけが残った。
「ただいま」
夏本番はまだとは言え、7月も充分暑い。
お世辞にも最新式とは言えない我が家の冷房でも、ベタベタした外から帰ると天国に感じる。
手を洗ってうがいをして、それから六月が座っている居間のちゃぶ台に倒れ込んだ。
「リュックは便利だけど汗かく」
「じゃあくれよ」
「やだよ。っていうか、何食べてるの?」
六月は優雅に美味しそうなプリンを食べている。
「俺の分はないの?」
「冷蔵庫」
シンプルだがわかりやすい答えを聞いて俺は冷蔵庫に走った。
『スイーツ気分〜ほろ苦カラメルのリラックスプリン』という難解な商品名のプリンを引っ張りだしてきて早速ひと口頬張った。
「今日も本吉さんに会ったよ」
六月の淡々とした言葉に思わずむせた。
「なんて?」
「お前の生徒の本吉さんに会ったよ」
「どこで?」
「駅前のスーパーで。2日連続会うなんて運命だな」
なんてことだ。
でも別に大丈夫だ。
多分問題はないだろう。
「何か言われた?例えばリュックの事とか?」
「お前と一緒に暮らしてるのか聞かれた」
頭がクラクラした。
プリンの商品名とは違ってリラックどころではなくなった。
「俺と暮らしてるかって?」
「うん」
俺たちが同棲してるかって?
本吉さんめ、なぜそんなナイーブな事を六月に聞いたんだ。
聞くなら俺に聞けばいいのに。
六月は平然として見えるけどいい気分の訳がない。
もともと人見知りだし、加えて親が先生だという立場上、喧嘩越しにもなれない。
俺とのことを色々聞かれてもいつも我慢してるはずだ。
だから出来るだけ俺がフォローしたいと思うのに。
「ごめん。昨日のこと聞かれた時にうまく誤魔化せなくて」
しどろもどろそう言い訳すると、六月は淡々と答えた。
「一緒に暮らしてるって答えといた」
その言葉にびっくりした。
「お前と一緒に暮らしてるって答えたよ」
六月はまた淡々と答えた。
「だって俺たち一緒に暮らしてるだろ?違うの?」
俺たちが付き合っていることが徐々に周りに知られるようになってからも、六月は決してそれを認めたりはしなかった。
せいぜい『仲がいいだけ』と答えるだけだった。
あるいはお姉さんとか、荒木先輩とか親しい人には話しているのかも知れないけど。
少なくとも俺の知る限り認めることはなかった。
一緒に暮らし始める時も『家族には友達と同居するって話したからから』と言っていた。
正直複雑な気分だった。
なんか俺、日陰者みたい。
でもそんなもんかな。別に言いふらすことでもないし。
そう思ってたのに。
「急にどうしたの?」
「別に隠すことでもないし」
無表情に見えるけど、本当は照れているのが眉毛の動きだけでわかって、俺はどうしようもなく嬉しくなった。
日陰者から卒業した気持ち。
「それでスイーツ貰ったよ」
「スイーツ?」
「一緒に食べて下さいってさ」
そう言って六月は、透明なスプーンで俺のプリンを指し示した。
「これ?」
「それ」
俺がプリンを食べ終わってスプーンをひと舐めすると、ちゃぶ台の向こうから三月の顔が突進してきて、キスをされた。
そのキスは甘いプリンの味だった…。
というのは嘘で、あまりに急すぎて何の余韻もなかった。
三月の口元が照れていた。
昔からかわらない生意気な顔立ち。でも時々するこの照れた口元を見るたびにかわいくてしかたなくなる。
「今日、しよう」
ムードもへったくれもないあまりにド直球の誘い文句に俺は素直に応じられなかった。
「ごめん、今日はちょっと」
「いやなの?」
「クイズの3時間スペシャルがあるから」
「録画しろ」
そう言ってプリンを一気に食べてしまうと、ちゃぶ台から立ち上がった。
「先にシャワー浴びる」
年下の恋人がそう言って風呂場に行ってしまうのを見ると、こっちまでニヤニヤしてしまった。
なんだか甘い雰囲気だ。
タピオカが飲みたくなった。
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