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九月にいいことしませんか?
「おにいさん、僕といいことしませんか?」
背後からそう声をかけられた。
といっても怪しい勧誘でも、ナンパでも、ハラスメントでもないから安心してほしい。
「たまにはいいじゃないですか、おにいさん。ね?」
「いいことってなんなのですか?」
「パチンコです」
俺が嫌そうな顔をすると、聡君はしばらく考えたあとにもうひとつ提案をしてきた。
「じゃあスロットはどうですか」
童顔で小柄な聡君は妹の配偶者だ。
だから俺のことを『おにいさん』と呼ぶ。
聡君が、俺の妹のなっちゃんと結婚してもう結構経つ。
冗談っぽくパチンコ屋にも誘ってくるようになったのはそれほど俺達が仲良くなった証なのだろうか。
もっとも最初からフレンドリーだった気もするけど。
4月生まれなのに「三月(みつき)」という名前の俺。
妹は7日に生まれたからという安易な理由で、なっちゃんこと「なのか」と名付けた。
なっちゃんと聡君の子供が、8月に生まれたことでやっちゃんこと「八代(やしろ)」になった時は、もはや誰も驚かなかった。
「急にパチンコなんてどうしたのですか。ギャンブル好きでしたっけ?」
我が家では姻族としてクリーンなイメージを大切にしている聡君がパチンコなんて、意外な気がする。
「何と言うか、息抜きがしたくて」
「ああ、なるほど」
お盆に帰省出来なかった償いとして、なっちゃんはやっちゃんと、ついでに聡君を伴って実家に帰ってきた。
母さんは張り切って父さんと2人だけでは食べないような、唐揚げとかすき焼きとか高カロリーな料理を作りつつ、頻繁には会えない、やっちゃんとここぞとばかりに遊んでいる。
なっちゃんも地元の友達と会ったり、イオンに繰り出して買い物したり、自由を満喫している。
2人はとても楽しそうなのだけど、この辺りに思い出も、思い入れもない聡君はちょっと時間を持て余しているようだ。
だからって父さんと出かければ、更に時間を持て余して辛いだろう。だって家の父さんはあまり話さないし、姻族だし。
「だからって何故パチンコなのですか?」
「普段はやらないですよ。だけどこの辺りはパチンコ屋さんばっかりだから、ちょっと興味が湧いてきたのです」
確かにこの辺りはパチンコ屋が沢山ある。自分がやらないからわからないけど、需要があるのだろうな。
娯楽を求める大人達が、夜な夜な広大な駐車場に車を乗りつけて、ジャンジャンバリバリと楽しんでいるのだろうか。
あれ、ジャンジャンバリバリって何だったっけ?後で誰かさんに聞いてみよう。
「おにいさんはパチンコはやらないのですか?普段どういうところで遊ぶのですか?」
「洋服とかの買い物は少し遠出する事が多いですかね。地元だと1人で映画を見たり、イオンをぶらぶらしたり、たまに友達とドライブをするくらいですね」
「そういうのはおにいさんがかっこいいから許されることですよ。顔がいいから映画館に1人でいても絵になるし、背が高いからイオンをぶらついていても様になる。ドライブは顔も背もわからないので、僕でも許されますけど」
「無茶苦茶だな」
聡君は自分の童顔で小柄なキャラが、大抵の人に親近感を与えると知っているくせに、わざと自虐して見せた。
ちょっとぶりっ子だな。
それに映画館もイオンも見た目で客を判断するような、心の狭いプレイスポットではない。
「そんなわけでパチンコかスロットに出かけましょう。お願いですから出かけましょう」
どんなわけかは分からないが、とにかく聡君は息抜きがしたいらしい。
「いっそ映画館でも、イオンでもいいので、ね?」
うっすら気がついてはいた。
夏が終わるころ、奴らは大量発生する。なんなら夏の最中にもう現れている。
虫のことじゃない。いや、虫も発生するけど。
「こんなにハロウィンが盛り上がるようになったのって、いつからだろうね」
会社の優しい上司、堀米さんが、優しい口調でそう言った。
「僕も今まさに同じことを考えていました」
9月になると、いや、なんなら8月の末から世の中にはかぼちゃのオバケがあふれ出す。
どこから湧いてきたんだ?
雑貨屋さんや、100円SHOP、果ては俺の愛するイオンの食品売り場もいつのまにか浸食されはじめ、気が付けばケーキ屋もレストランも、果てはコンビニや和菓子屋にまで、あのかぼちゃの生首が並べられるのだ。
かぼちゃの生首という表現はおかしいかもしれないけど。
「まあ、ハロウィンのおかげでイベントごとが増えて、うちの仕事も増えるからありがたいけど」
確かに。ハロウィンに便乗して様々なお店でイベントが開かれる。
『ハロウィン商品ご購入でプレゼントを差し上げます』
『期間中はスタッフがハロウィンの仮装でお出迎えします』
大抵のプレゼントはパッケージだけハロウィン仕様の小さなお菓子で、仮装もドンキホーテで買ってきたものだったりするけど、これが結構盛り上がる。
何げない日常に、あの不気味なかぼちゃが少しだけ彩りを与えてくれる。ありがとうジャック。これぞオレンジマジック。よくわからないけど、そんな感じ。
そして俺の努める地味な地元の広報誌の会社にも、広告の依頼が増えるのだ。
「そういえば国道沿いのバイク屋さんがイベントするからって、連絡が来たよ。ああいうところでハロウィンイベントって珍しいよね」
堀米さんが不思議そうな顔をした。
俺は少し迷った。ここで豆知識を披露するべきか、否か?
昔から俺がうんちくめいた事を披露すると「やっぱり教師の息子さんね、頭がいいのね」なんて言われて、あまり楽しい思い出は無い。
『教師の息子だから〇〇』という言葉は好きじゃない。ついでに親父も好きじゃない。
いやいや、もう過去のことなんて忘れるんだ。
「ジャックオランタンはもともとかぼちゃじゃなくて蕪だったらしいですよ」
「野菜の蕪?」
「だからバイクのカブと引っ掛けたダジャレなのかも」
そんなことはないですよね、ははは。というと、堀米さんは急に真面目な顔になった。
「本当に?」
「あ、本当だと思います」
「それいいね。道の駅の八百屋さんにも営業してみようか?よし、さっそく連絡してみよう」
いつになく仕事人の目になった。
意外な展開だ。
「あ、その前にちゃんとした由来をネットで調べてみます」
「うん、お願い。しかし六月君は物知りだね。偉いね」
「いえ、そんなことは」
褒められたことが嬉しいのに、恥ずかしくて、気持ちがソワソワしてしまった。
実は褒められることに慣れていない。
だから余計に嬉しいのかもしれない。
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