単純な君との十一月

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単純な君との十一月

単純な君との十一月  c2ba8791-1f58-47b7-834f-1a531933bb95 イオンの冷凍食品コーナーにホタテフライが売っていた。 パッケージには光り輝くフライの断面図、横には大きく『お弁当番長シリーズ』という文字が踊っている。 ついでに眉毛が濃くて凛々しい瞳のお弁当箱のキャラクターまで描いてある。 これが『お弁当番長』君なのだろうか? 美味しそう。 冷食1パックは男2人にはちょっと量が少ないけど、おかずが何もなくて寂しい時には心強い。 まるで、髭のマスターがいる喫茶店みたいにほっとできる存在だ。 そんな喫茶店には行った事ないけど。 マスターの面影を求めて、ホタテフライをカゴに入れてセルフレジに向かう。 初めてセルフレジを使った時は緊張して挙動不審になったものだが、もう上級者レベルなので、何にも動じる事はなくなった。 しかし、次の瞬間それは覆された。 「あっ」 思わず声を上げたがすぐに知らないふりをする。 隣の親子連れが一瞬チラリと視線を向けたが、それだけだった。 俺はサッカー台で荷物を詰めながら、さっき買った冷食のパッケージを見つめた。 『お弁当番長シリーズ〜ホタテ風フライ』 ホタテ風… ホタテ風… ホタテ風…? 騙された。 ホタテじゃなくて偽物じゃないか。 番長に騙された。 母さんから電話が来ても出ないことにしている。冷たい息子だとわかってはいるけど、最近の母には疫病神の要素があるからだ。 5月に(※五月は憂鬱 参照)恋人と2人で食事に誘われた時は、俺のいらぬプライドと相まって同棲してる六月(むつき)に迷惑をかけた。 そんなわけで、今日もスマホのディスプレイに『母さん』という表示を確認すると、バイブ音を無視してそのままにエプロンのポケットに突っ込んでおいた。 そもそも絵手紙教室の授業中である。なぜメールじゃなくて電話してくるんだ。 今出なくても本当の緊急事態なら、会社に連絡がくるはずだ。放っておこう。しかしそんな俺の目論見は通用しなかった。 「先生電話が鳴ってるよ、出ないの?」 「緊急の用事かもよ?」 「授業中でも私達はかまわないから」 元気の良い老人達が、わいのわいの言ってくる。いや、老人という呼び方は失礼かもしれない。 この人達は、俺の勤めるカルチャーセンターの絵手紙教室の生徒さんだ。生徒さん達の中でもとりわけ元気のいい7人グループ。 「後で折り返すので、大丈夫ですよ」 「だめよ、大丈夫じゃないよ」 「まだ鳴ってるじゃない、早く出なよ」 あまりに大きい声でそういうので、他の生徒さん達がちょっと迷惑そうな顔をした。 この元気のいいグループは、少しいわく付きだ。公民館の絵手紙サークルで勃発した派閥争いにより団体で移動してきた人達なのだ。 基本的に元気で、お喋り好きな楽しいグループなんだけど、たまにはしゃぎすぎて暴走するので、以前からいる生徒さん達は少し疲れてしまうようだ。 「電話鳴ってる、早く出なよ」 うるさいので、スマホを持って廊下に逃げ出す。こんな事なら、フライトモードにでもしとけば良かった。 「もしもしどうしたの?」 「海老フライを揚げるから、家に遊びにくれば?」 「行きません」 電話を切って素早く教室に戻ると、元気のいいグループは更にはしゃいでいた。 前からいる生徒さん達は更に顔色を曇らせている。 困ったなと思っていると、古株の本吉さんと目が合った。 10月なんてなかったのかな?というほど、あっという間に11月である。 世間では11月はもう年末である。 年末年始は嫌いじゃない。 特にケンタッキーの店内で、竹内まりやの曲がプロパガンダとして流れているのを聴くと胸が痛くなる。 ああ、俺のまりや。 いつかまりや以外の曲がクリスマスに流れるようになった時、俺の胸は本当の痛みを知ることになるんだろう。 あれ、ひょっとしてもう流れてないのかな?だとしたらショックだな。 実家はあまりイベント事をしない家だったので、年下の恋人、三月(みつき)と2人で暮らし始めてからはその反動か色々とイベントをするのが楽しい。 今年もケンタッキーにチキンを買いに行こう。ついでにケーキも買ってみよう。 そういえば小さい頃から、サーティワンのアイスケーキを食べるのが夢だった。ちょっと高級だから実家では夢のまた夢だったが、大人だからたまには豪遊するか。 でもこのクソ寒い時にアイスなんて自殺行為かな? そんなことを考えながら、居間でにやにやしていると、いつの間にか卓袱台の下の足が冷えてきた。 寒い。 そろそろコタツを出さなきゃいけない。でも面倒くさい。 俺はエアコンの温度を 1度上げた。 三月が、いつの間にか1人でコタツを出しておいてくれないかなぁ。駄目かな。 「先生、お疲れ様です」 授業の片付けを終えて教室から出ると、廊下にいた本吉さんが声をかけてきた。 思わずため息が出た。 「すいません」 「何がだね?」 目つきが悪く猫背な本吉さんは、教室の古株なのにどこかミステリアスでプライベートも謎に包まれている。 他の生徒さんとも、話しかけられれば話す程度で特に交流を持たない。 大人の距離感が好みのようだ。 そんな本吉さんだから、最近の教室の様子には不満を持っていてもおかしくない。 「新しい生徒さん達がうるさくて、昔からの生徒さん達は居心地が悪いでしょう?」 値段が安くて立地もいい公民館のサークルはどちらかと言うと、地元の社交場である。 近所の絆とか、噂とかマウントとか、色々距離が近いコミニュケーションの場。 それに比べて私立であるうちのカルチャースクールは、割とクール&ドライ。 基本的に授業が中心で、そのおまけとしてコミニュケーションがある程度。 だから、群れるのが苦手な人とか、静かに楽しみたい生徒さんが多いのだ。 「穏やかだった教室の雰囲気が変わってしまって、申し訳ないです」 「それはやつら来る前に分かってただろう。今から追い出すわけにもいかないし」 確かにその通りだ。ただでさえ生徒数が少なめの絵手紙教室の貴重な生徒である。 生徒さんは月謝を払ってくれる、それが俺の給料になり、食費になり、たまに行くミスドのポンデリング代になるわけだから、追い出すわけにはいかない。 しかもあんなにパワー溢れる人たちを追い出すのも面倒くさそうだ。それでも線引きはちゃんとしておかないといけない。 「どんな生徒さんでもマナーに反した行為があれば、スクールの規約に乗っ取って退会してもらいます」 ふーんと本吉さんは興味もなさそうにしていた。 「他の生徒さんは何か言ってませんでしたか?」 「別に何も聞いてないよ。いやならやめるだろうし」 「それが困るんです、うまく共存してほしいんです」 「そんなことを私に言われても」 「すいません」 この仕事は生徒さんとの距離感がなにより重要だ。近すぎず、遠すぎず。 ところが本吉さんのことはなんとなく近しく感じている。 ひょんなことから街で出会って、あの人見知りな六月とも顔見知りになったようだし。(※台風のこない七月参照) 俺が六月と暮らしていると知っても特に何も言ってこないし、むしろ六月経由でプリンをくれたのだ。 不思議な縁があるようだ。 クールな人だから、俺達のことをネタになにか面倒な要求もしてこないだろうし。 「ところで『先輩』は元気かな?」 「え?はい元気です」 以前六月との関係を聞かれた俺は六月の事を『先輩』と説明したのだ。 友人というと厳密には嘘になる。 恋人と言うと面倒なことになる。 でも先輩なら嘘ではない。 それにしても六月の事を考えてたら、急にその質問が来たから驚いてしまった。 「先輩とは今も一緒に住んでるの?」 「え?はい」 「ごはんも一緒に食べるの?」 「ああ、まあ」 結構プライベートな質問が続いてびっくりした。クールでドライな本吉さんというイメージは勘違いだったのかな。 本吉さんはいつもどおり飄々とした様子で言った。 「実は折り入って話があって」 げげ、いやな予感。 「頼みたいことがあるんです」 予感的中。 『クールな人だからなにか面倒な要求もしてこないだろうし』 それ、間違っていたよ。 めちゃくちゃしてきそうだよ。 さっきの自分に教えてあげたい。 最近少しだけ自炊をするようになった。 以前は全くしなかったのだが、同僚の道端さんに「毎日コンビニだとお金がかかるよ」と言われたのをきっかけに少しだけするようになった。 確かに自炊は安く上がる。カット野菜にごまドレッシングを纏わせれば、コンビニのサラダよりずっとずっと安いし、量も多い。ゆで卵をカットして乗せれば、もう完璧である。もちろんゆで卵は三月が作ってくれる。 今晩はカレーライスにカット野菜のサラダ、おまけにイオンで買った例のホタテ風フライまでつけてみた。 もちろんカレーは三月が作った。 「ただいま」 仕事から帰ってきた三月は、グレーのシャツに黒いパンツといういつも通りの恰好なのに珍しくキリッとして見えた。 昔から『俺かっこいいでしょ?』オーラを放っている、いけ好かないヤツなのに、今日はそのオーラも消えて思慮深く賢くさえ見える。 何か心配事でもあるのだろうか? それとも髪の毛を切ったばかりだから、そう見えるだけだろうか。 多分後者だろうな。 「夕飯カレーだよ」 「お、ありがとう」 「お前が作ったやつだけどな」 「いや、用意してくれてありがとうって意味」 少し照れてそう言った。 おやおや、随分かわいいじゃないか。 どれどれ、本当に賢くなったのかも試してみよう。 「冷凍のホタテフライも買ってきた」 「本当だ。いただきます」 三月はフライを箸で取る前にサラッとこう言った。 「これ、すり身のフライじゃん」 「え、なんでわかったの?」 本当に賢くなってしまったのだろうか。俺の愛した『ちょっと顔がいいだけの単純な男』はもういないのだろうか。 「だって本物のホタテフライはこんなに丸くないじゃん」 「え、そうなの?」 「そうだよ」 そういえば、実家では本物のホタテフライを食べた記憶がなかった。だから簡単に『お弁当番長』に騙されてしまったんだ。 結局セレブに生まれたやつの勝ちなのか。俺は嘆きながら、ホタテ風フライを口に入れた。 「あ、これ美味しい」 「美味しいね」 「年末年始はどうする?」 六月は実家が苦手だ。用事がなければ寄り付かないし、なんなら用事があっても寄り付かない。 物理的には割と近いのに、いつも年末年始さえ顔を出さない。 六月の父親は教師で、しかも俺の担任だった。 自分の息子が教え子と同棲しているのはあんまりいい気分じゃないだろうから、先生には申し訳ない。 だからって、六月に家に帰ることを強要する気はない。無理して欲しくない。 六月が帰らないのにはなんらかの理由があるんだろうし、せっかく二人で暮らす家があるんだからここでゆっくりすればいい。 それでも一応確認すると、六月はカレーを頬張りながら去年と同じことを言った。 「別に、家でのんびりする」 「そう」 「姉さんも帰らないみたいだし」 六月だけじゃなくてお姉さんも実家には寄り付かないようだ。 お姉さんは六月の血縁とは思えぬ、明るくてノリのいい人だ。 ご本人は知らないのだが、俺と六月が深く付き合うきっかけになった人物なのでとても感謝している。 「じゃあ俺は1日か2日にでも実家に顔を出してこようかな」 六月は少しだけ眉を上げた。 怒っているわけじゃなくて『そう。好きにすれば』というニュアンスだった。 いつもの彼の仕草だけど、本当は俺と一緒に年末年始をすごすのを楽しみにしていることが分かった。 くくく。 単純なやつ。 かわいい。 「ところでクリスマスなんだけど」 「え?」 子供みたいに思わず顔をあげてしまった。 まさか俺がまりやに会いたい事を、そしてクソ寒い時期にアイスケーキが欲しい事まで察してくれたのだろうか。 やっぱり本当に賢くなってしまったのだ。 俺の愛したとぼけた男、あの単純な三月はもういないのだ。 でも別にいいか。人って変わるものだしな。 「良かったら、今年は俺がケーキとチキンを用意するよ」 「お前が?」 意外だった。 王道のイベントを着々と準備して、このクソガキを照れさせるのが俺の趣味だったのに。 「急にどうした?珍しいじゃん」 「うん、まあ」 ちょっとだけ複雑そうな顔をして、愛用のリュックからガサゴソと紙を取り出した。
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