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秋冷の候、庭に咲く木槿は枯れ、虫時雨だけが彩りを与える縁側。
一人、冷えた麦酒を喉に流す。瞬間に何処ともなくノスタルジックな気分になる。そうさせるのは、麦酒を飲み込んで、目を開けた時に見えた大きな月。
都心に程近く、ここでは真面に星空も見えない。
真っ白な月が光を放つ。
ああ、似ている。
あの日の月に似ている。
もう、一口麦酒を喉に流す。
麦酒が体中に染み渡る気がする。
35年前、私はまだ麦酒の味も知らず、日常に潜む闇も知らず、ただ、ただ、毎日を楽しく過ごしていた。
「ねえ、タクちゃんキレイでしょう?」
隣に住む明梨お姉ちゃんに呼ばれて、庭に出てみると、手にも届きそうな、まん丸な大きい月が真上に佇んでいる。
「ねえ明梨お姉ちゃん、僕達はいつか月に行けるのかなあ?」
私の幼い問いに明梨お姉ちゃんは黙って微笑み返した。私はまだ五歳を迎えたばかりで、明梨お姉ちゃんは十位だったとおぼろげに覚えている。
五つしか離れていない明梨お姉ちゃんは、私と同じく子供だった筈なのに、私の目には大人に映っていた。
「タクちゃん、月へ帰れるのは輝夜姫だけよ。タクちゃんはねえ、月へは行けないの」
月に照らされた明梨お姉ちゃんの顔は作り物のように白く、綺麗。
この月が私の一番古い記憶。
ただ、忘れ得ぬ思い出は他にある。
その最たるは私が十一の時明梨お姉ちゃんは十五の夏。
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