閑話:切り取られた世界で僕たちは5

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閑話:切り取られた世界で僕たちは5

 女性は、ぱちり、目を覚ました。  何度か瞬きをすると、自分が置かれた状況がわからずに、眼球だけを動かして辺りの様子を窺う。そこは一寸先すら見えないほどの暗闇の中だった。むせ返るような木の匂い。己が柔らかい落ち葉のようなものの上に寝転がされていることは理解できた。 ノロノロと体を起こす。よくわからないが、拘束などはされていないようだ。 「ここは……」 すると、誰かの気配を感じてハッと顔を上げた。 「おっ! おはよう! いや、おそよう……? わかんねえけど、起きたのか!」  その瞬間、唐突に強烈な光に照らされた。反射的に目を眇め、手で庇いながら光源を見やる。そこには、あまり見かけない格好をした人物がランプを手に立っていた。  黒地の鈴掛に青い梵天。額には頭巾。修験者のような格好をしている男で、顔の上半分を覆うタイプの面をつけている。黒い嘴を持つそれは、恐らく烏だ。 男はふわふわと飛ぶような足取りで女性に近づくと、ぎゅうとその手を掴んだ。 「長いこと寝てたからさ。心配したんだぜ~! もう平気か? 腹減ってねえか?」 「え、あ。うん……ええと、平気よ。お気遣いありがとう」 「いいんだ、いいんだ! 気になっただけだからさ!」  仮面の奥に見える銀色の瞳が、柔らかく細められているのが見える。  ――誰だろう。悪い人じゃないとは思うけれど。  自分はどこから来たのだったか。名前は? 色々な疑問が浮かんでは消えるが、違和感を覚える前に絶ち消える。まるで夢の中にいるようだ。 女性は辺りをキョロキョロと見回すと、機嫌がよさそうな男に訊ねた。 「ところで、ここはどこ? 真っ暗だけれど。私はここでなにをしてたんだっけ……?」  すると、男はこてんと首を傾げた。 「忘れちゃったのか? ここいるのは〝なによりも大切なもの〟があるからだろ?」 「大切な……もの……?」  首を傾げた女性に、その人はニッと白い歯を見せて笑った。すると、青い梵天の男の背後から、もうひとりやってきた。今度は赤い梵天を着た男だ。 「こんにちは~! 無事に目が覚めたみたいで安心したよ~!」  青い梵天の男と違って、どこか間延びしたような口調の男は、女性に近づくとバシバシと背中を叩いた。顔を覗き込むと、にこりと愛嬌のある笑みを浮かべる。 「いやあ、起きなかったどうしようかと思ったよ~! さあさ、こうしちゃいられない。君の大切なものをお返しするよ。受け取ってくれるよね~?」  早口でまくしたてた男は、優しく女性の手を取ると、ある場所を指さした。 「え……?」 「まんま!」  女性は自分が目にしたものが信じられずに、思わず目を擦った。  暗闇の中に、いつの間にか赤ん坊が現れている。煌々と灯るランプの明かりに照らされ、可愛らしい顔が見えた。まろみのある頬は見るからに柔らかそうで、両手足はまるでちぎりパンのようにぷくぷくだ。まだ生えそろっていない髪はまばらで、頭の上にふんわりと乗っているだけ。母親の乳を吸っていそうなほどの月齢に思える。 「子ども……? こんなところに?」  女性が困惑していると、彼女の背後に男ふたりが立った。  彼らは女性の肩にそれぞれ手を置くと、まるで囁くように話し始める。 「どうしたの? なにかあった? それが君の〝なによりも大切なもの〟じゃないか」 「そうだぜ。自分の子どものことを忘れちまうなんて。よっぽど疲れてたのか?」 「え……?」  弾かれたように女性が顔を上げると、ふたりは更に言葉を畳みかける。 「君が腹を痛めて産んだ子だよ。ほら、もっと近づいてあげなよ」 「抱っこしてやってくれ。こっちに向かって手を伸ばしてる」 「子ども? 私に?」 「どうしたんだい。まさか身に覚えがないって? 胸に手を当てて考えてご覧よ」 「それに見ろよ、あんなに可愛いんだぜ。母ちゃんが恋しくて今にも泣きそうだ。ほら、目が潤んできた。大泣きし始めたら手をつけられなくなるかもな!」 「あ……。は、はい」  女性は曖昧に頷くと、ギクシャクと赤ん坊に近づいて行った。  ――やっぱり子どもを産んだ心当たりなんてないわ。 そんなことを考えながらも、流石に幼気な赤ん坊を放って置くのは良心が痛む。 躊躇いがちにそろそろと手を伸ばして――しかし、柔らかいそれを上手く抱き上げることができずに、取り落としそうになってしまった。 「ああっ」 慌てて赤ん坊を抱き直した女性は、ほうと長く息を吐いた。 しかし、同時に疑問が浮かんでくる。 わが子だというのに、抱き慣れていないというのは些か不自然ではないか? 「あ……あの。やっぱり私の子じゃないと思います」  やはり、なにかの間違いだろう。  女性は改めて事情を聞こうと振り返り――僅かに目を見開いた。背後に立っていた男たちの気配が一変している。ふたりが纏っている空気が重苦しい。笑みを形作っていた口は真一文字に結ばれ、無言で見下ろしてくる様子はただごとではない。面の奥から覗く瞳には、明らかに怒気が含まれている。ランプの明かりを反射して、暗闇の中で怪しく光る金と銀の灯火に、女性は思わず座ったまま後退った。 「ひっ……」  ――このままでは、なにをされるかわからない……! 本能で感じとった女性は、咄嗟に赤ん坊を守るように抱きしめる。 すると、ふたりはおもむろに足を踏み出した。ゆらり、まるで病人のように気怠そうに足を動かし、女性の傍らにしゃがみ込む。上手く逃げることができず、女性は彼らに背を向けて丸くなった。もう駄目だ――そう思ったものの、一向になにも起こらない。 「……?」  女性が顔を上げると、ふたりは赤ん坊に語りかけるように言った。 「母ちゃんが守ってくれるなんて、お前よかったなあ……」 「うん。本当だね。これってすごいことだよ」 「え?」  予想だにしなかった優しい言葉に、女性は顔を呆気に取られた。面の奥には柔らかな光が灯っている。赤い梵天の男は指で赤ん坊の頬を突くと、クスクスと楽しげに笑った。 「見て。お母さんに抱っこされたから、安心しきってるよ~」 「ほんとだな! 俺たちといる時は、あんまし視線を合わせてくれなかったのにな」 「フフ、ぎゅうって手で服を掴んでる。離さないって言ってるみたいだ」 「ああ……そうだよな。やっと母ちゃんが来てくれたんだもんな。そりゃそうするよな」  ふたりは顔を見合わせると、同時に女性に向かって言った。 「「少しだけでもいいんだ。赤ん坊の傍にいて」」  そしてそのまま、虚の中から出て行ってしまった。  女性は、遠ざかっていくふたりの背中を呆然と見つめている。 「まんま……! ああ、ううう……」  すると、赤ん坊が愚図り始めた。女性は慌てて腕の中に視線を落とすと、なにはともあれ手探りであやし始めた。少ない知識を総動員し、あらゆる手を尽くす。すると、数十分後には赤ん坊はウトウトと眠り始めた。  ほう、と息を吐いて、腕の中の赤ん坊をじっと見つめる。  相変わらず、自分の子だという実感は湧かない。  けれど、幼子は泣きたくなるくらいに温かくて、小さくて、柔らかくて。 「……なんて可愛いの」  女性はそっと頬を寄せると、かつて自分の母親が歌ってくれた子守歌を口ずさみ始めたのだった。 ***  木の虚の中から、女性の子守歌が漏れ聞こえている。  雨は止んでいる。土着神である大樹の葉から、ぱたん、ぽとんと調子よく雫が落ち、軽やかな水音は子守歌に彩りを添えていた。冷たい月の光を反射して、雨の雫が白く輝く。久しぶりの晴れ間に、森そのものが喜んでいるようだ。 銀目は大樹に背を預けたまま歌声に耳を傾けると、チカチカ瞬く満天の星々を眺めた。 「……よかったなあ。碧」 虚の中にいた赤ん坊は碧だ。しかし、碧そのものかと言われると些か語弊がある。 あの女性が見ているのは、双子が術によって作り上げた幻だ。碧の霊力を、赤ん坊のように見せかけているに過ぎない。それは、自分よりも大きく異質なものを、可愛いわが子だと受け入れてもらうためにやった苦肉の策だった。 ふたりは碧の母親を天狗攫いすることにした。 天狗攫い――それは江戸時代に、子どもが行方不明になった際、人々が天狗のせいだとして使った言葉だ。普通の神隠しとは違い、天狗に攫われた子どもは、数日から数年後に元の場所に戻されるのが特徴だ。有名なところだと、江戸時代後期の国学者、平田篤胤による『仙境異聞』に見られる寅吉少年の物語がある。天狗攫いから帰っていた寅吉は、天狗から得た知識を使って、色々と活躍したのだそうだ。 「流石は金目だな。俺が見たいと思った光景を、簡単に実現しちまった」  それは銀目だけであれば絶対になしえなかったことだ。まるで感動的な映画のワンシーンのような光景を思い出して、思わず胸が熱くなった。 ――本当によかった。碧の母親には何日かここにいてもらおう。〝へその緒〟を切るのはそれからでもいい。長雨も、東雲に雨雲を払ってもらったから大丈夫だろうし。 龍の掛け軸である貸本屋の店主が、渋々ながら空を駆けてくれた姿を思い出して頬を緩める。取り外した烏の面を指で弄って、銀目は一瞬だけ考え込んだ。耳に心地よく響く子守歌に少しソワソワして、ちらりと虚の中を覗き込む。 そこには、大きな体を窮屈そうに縮込ませて、自分よりもはるかに小さな、そして愛しい母を、まるで宝物のように抱きしめている碧の姿がある。 「まんま。まんま……」 ――いいなあ。 「……っ!」 ぼんやりとふたりの姿を眺めていると、途端に目もとが熱くなってきた。銀目は慌てて顔を背け、同時に居たたまれなくなってその場にズルズルと座り込む。 ――泣くな。泣くな。泣くな! 碧にとってめでたい時だってのに! 必死に涙を堪える。銀目はもう立派な烏天狗だ。子どもみたいに泣くなんてみっともないとも思うし、万が一にでも夏織にそんな姿を見られたくない。 「大丈夫?」  すると、隣に金目がやってきた。銀目の頭を撫で、穏やかな瞳でじっと見つめる。 「貯め込むのはよくないよ。吐き出したら?」 優しい片割れの言葉に、銀目はほんの僅かな間だけ黙り込んだ。泣いてはいけない。そう思うのに、大好きな片割れの存在に、涙腺があまりにもたやすく決壊する。震える唇をはくはくと動かし、耐えきれなくなって金目に抱きつく。 「おっ……俺。俺さ、羨ましくって」 「うん」 「俺も、母ちゃんにぎゅうってして欲しかった」 「うん……」  ぽろり、銀目の瞳から涙が零れる。ぽろ、ぽろり。堪えようとしても、絶え間なく溢れ出してくるそれを止める術は、今の銀目にはない。 「母ちゃんの飯を食ってみたかった。ひっ……うう、一緒に寝たり、手を繋いで歩いてみたかった。頑張ったら褒めて欲しかったし、悪戯したら滅茶苦茶怒られたかった」  ――ああ、ないものねだりばっか。  ほとほと自分に呆れながらも、それでも言葉は止まらない。 「母ちゃんってどんな温度なんだろう。温かいのかな、ひんやりしてるのかな。匂いは? どんな感触だろう。ふわふわ? それともちょっと硬かったりすんのかな……」  銀目は金目の肩に顔を埋めると、震える声で言った。 「どういう風に笑うんだろうな。どんな声で話しかけてくれるのかな。わかんねえや。わかんねえ。なんでわかんねえんだよ。普通に、皆知ってることだろ」  やたらと熱を持った涙が滲む。それは、怒りと心の奥底に留まっていた判然としないものを煮溶かしたような涙だ。火傷しそうなほどに熱いそれは、銀目の頬を伝ったかと思うと――青い梵天にぽつりぽつりと染みを作り、くすんだ色に変えていった。 「母ちゃん。どうして俺らを捨てたんだよ……っ」  自分のどこが悪かったんだろう。自分がなにをしたというのだろう。  只々、母が恋しくて鳴いていただけだというのに、求めたものはなにも返ってこない。 「大丈夫だから。銀目、落ち着いて」  泣き続ける銀目を金目が必死に宥めている。  嗅ぎ慣れた匂いだ。銀目にとって最も安心できる匂い。けれど、母から与えられるものとはきっと違う。決して、銀目の心を充分には満たしてはくれない。そしてそれは、金目もそうなのだろうと思う。  銀目と金目はまるで違う特性を持つ双子だ。  けれども、根底で求めているものは一緒。ふたりはいつだって、いなくなった母に手を伸ばし続けて……届かなかったことに絶望し続けている。  それを改めて自覚したせいだろうか。銀目は、胸の奥にずっと仕舞い込んでいた、口にすまいと心に決めていたはずの言葉を零してしまった。 「捨てるくらいなら、産んで欲しくなかった」  それを聞いて、金目は大きく目を見開いた。  少し傷ついたような顔をして、片割れを見つめる。  ――あ。言わなければよかった。  その瞬間に銀目は心の底から後悔した。どう言い訳しようか……銀目にしては珍しく後ろ向きなことを考えていると、ふと甘い匂いが鼻を擽った。あまりにも場違いな甘さに、驚いて顔を上げると、視界に白いものを見つけて思わず目を見張る。 「嘘だろ……?」 「銀目?」  金目から離れて、ふらふらと上を向きながら歩く。銀目の視線の先にあるのは、大樹の枝先に鈴なりに咲いた小さな白い花だ。先日まではまるで花開く様子はなかったというのに、今は満開を迎えている。 「お前、馬鹿だな。なんでだよ。どうして……」 何輪かで集まった白い花。花冠は五つに裂けている。花が放つ香りは涼やかに甘い。 こんなに甘いのなら、あらゆるものを引き寄せるだろう。集まって来た鳥や虫たちは、喜び勇んで蜜を吸い、受粉を促して秋には多くの実を結ぶに違いない。実はどこかへ運ばれ、新たに芽吹きを迎える。 それは、植物としては極々当たり前の行為だ。 しかし、土着神でもあるこのエゴノキには、もう必要のないことのはずだった。 なにせ、この神は碧という次代をすでに見つけている。なのに、命を削るように花を咲かせているのだ。それは銀目からすれば、自殺行為にしか思えなかった。 「どうしてだよ。お前、もうすぐ死ぬんだろ。今更、子を作ったってどうしようってんだ。命を繋ぐ必要なんてもうないだろうが」  その時、苦しげに呻いた銀目の頭上に、なにかが落ちてきた。ノロノロと視線を上げると、そこにあったのは白い花。銀目が目を瞬かせていると、次から次へと花が落ちてくる。 「雪の鐘(スノーベル)……」  エゴノキにはもうひとつ特徴がある。  それは、花を咲かせた端から散らし、地面を雪のように白く染めることだ。  はらり、はらはら。樹上からまるで雨のように、そして雪のように降り続ける花は。  どこか儚くもあり――同時に、厳しい環境で生き続ける生命の、次代へ繋ぐための飽くなき欲求のようにも思えた。 「アッ……アハハハハハ!」  瞬間、銀目はお腹を抱えて笑い出した。ごろん、とエゴノキの花が散らばる地面の上に転がって、ひいひい息を切らしながら笑い続けている。  それを、金目はキョトンと見つめている。己の弟が何故笑い出したのか、ちっとも見当がついていない様子で、呆然と立ち尽くしていた。 「そういうことか。そうか、そうかあ……」 「……大丈夫?」  金目はボリボリと頭を掻くと、おもむろに銀目の傍にしゃがみ込んで額に手を当てる。銀目はクツクツ笑うと、その手を優しく払った。 「熱なんてねえよ。そんなに心配すんなって」 「心配するよ。銀目は僕の唯一だ」  ぱちくり。銀目は大袈裟な仕草で瞬きをすると、次の瞬間、にいと白い歯を見せていつものように笑う。勢いよく手を伸ばして、金目の体を引っ張った。 「うっわ! なにするんだよ!」 「アハハハハ! わりい、痛かったか?」  銀目はそのまま金目を抱きしめた。混乱している片割れに、しみじみと言う。 「なあ金目。忘れたら駄目だよな。俺らって今は烏天狗だけど、昔はただの雛だったんだ」 「……なんだって?」  怪訝そうな声を上げた金目に、銀目はヒヒッと笑って続ける。 「俺らの母ちゃんもただの烏だった。でっかい、でっかい自然の中にあるちっぽけな命で……俺らにとっては特別でも、母ちゃんは〝ただの〟獣だったんだ。烏天狗でも人間でもねえ。だから、大きな流れには抗えなかったんだと思う」  双子にはなんの問題はなかった。  だが母鳥は双子を見捨てた。今になっては理由はわからない。わからないが――そうせざるを得なかったのだろう。それが〝自然〟。命を繋ぐためにすべてを懸けるものだ。 「母ちゃんは俺らを捨てた。それはきっと、必要なことだったんだよな」  銀目がその言葉を口にした瞬間、金目は不快そうに眉を顰めた。視線をあちこち彷徨わせ、なにか奥歯に物が挟まったような物言いをする。 「たとえそうだったとして、それは僕らに関係あるの?」 「――ねえな!」  銀目はワハハ! と笑うと、金目の背中をポンポン叩きながら言った。 「俺らの心にできた傷は簡単には癒えないし、母ちゃんの匂いも感触も声もなにもかも知らないまま生きていかなくちゃならねえ。でもきっと、呑み込まねえといけねえんだ。俺らだって次代を繋ぐものである以上は」  銀目は拳を握りしめると、ハラハラと白い花を散らしている土着神に向かい突き上げる。 「俺、母ちゃんのこと赦すぜ。あれは仕方のねえことだった」  すると、金目は勢いよく首を横に振った。 「馬鹿を言うなよ! 僕は絶対に母を赦さない。僕らがこうして生き残れたのは、ただの運だ。僕は自分が死ぬのは構わないけど、銀目が死ぬのは絶対に嫌だからな!」 「こら、金目。自分を蔑ろにすんな。これに関してはお前のが馬鹿!」 「ぐむっ……!」  金目の頬を、銀目がすかさず抓る。怒りの感情を露わにする銀目に、金目が眉を下げる。銀目はすぐにヘラッと気の緩んだ笑みを浮かべると、噛みしめるように言った。 「俺は赦す。金目は赦さない。それでいいんだ。それでいいんだよ」  そして赤くなった金目の頬から指を離すと、改めてぎゅうと強く抱きしめた。 「俺らはふたりで一人前。でも別人でもある。だから、反対の想いを抱えててもいいんだ」 「……っ!」  銀目の言葉に、金目は体を硬くした。次の瞬間には、脱力して銀目に全体重を預ける。 「なんだよ。僕にはちっとも理解できない。勝手に成長して、僕を置いていくな。馬鹿」 「なに言ってんだ! 俺が金目を置いていくわけないだろ? ふたりでちょっとずつ進もうぜ。そんでもって少しずつ世界を広げていこう」 「………………うん」  それきり黙り込んでしまった金目の後頭部を撫でながら、頭上に広がる光景を眺める。  大きく広がったエゴノキの葉。満開の花がはらはらと雪のように降り注いでいる。空には雲ひとつない。見惚れるほどの満天の空だ。なんて綺麗だろうと思う。  この〝壮大〟で残酷な世界が――銀目は堪らなく好きだ。  銀目はかすかに漏れ聞こえる子守歌に耳を傾けながら、ゆっくりと目を瞑った。  その心は、長雨が上がった後の空のように、どこか晴れやかだった。
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