第十七話:それでも、私は君のことを諦めることができないんだ

4/4
235人が本棚に入れています
本棚に追加
/88ページ
 情けなくて涙も出ない。自分の母親があんな風に言うなんて思ってもみなかった。どうしてあんな酷いことを言われなきゃいけないんだろう。結城さんのことをなんにも知らないくせに。どんなに優しくてどれほど私に対して愛情深くそばにいてくれたかしらないくせに。  ――結局、行き先なんてここしかなかった。  カランコロン、という音を立てて私は『喫茶黄昏』の店内へと入る。 「いらっしゃいま――葵ちゃん? どうしたんだい、こんな時間に。……何か、あったのかい?」 「っ……ふっ……うっ……」  結城さんの顔を見た瞬間、涙が溢れ出た。 「結城さ……っ」 「……上に上がっててくれるかな。すぐに行くから」 「あ……」  そこで初めて店内にはまだお客さんがいることに気づいた。私は慌てて涙を拭うと、人目につかないように二階へと向かった。  しばらくすると足音が聞こえてきて、私はハッと顔を上げた。そこには結城さん――ではなく、佐伯さんの姿があった。 「どうして……」 「まだちょっとお店が落ち着きそうにないから様子を見てきてくれって頼まれて。大丈夫?」 「っ……大丈夫、です」 「本当に? でも、大丈夫って顔してないよ」  何か言えば涙が溢れてしまいそうで、私は首を振ることしかできない。そんな私に、佐伯さんは一瞬寂しそうに微笑んだあと、ハンカチを差し出した。。 「こんなときに結城さんなら優しく抱きしめて慰めるんだろうけど、生憎俺はそういうことできないからね」  手渡されたハンカチで目尻を濡らす涙を拭う。   「ありがとう、ございます」 「俺でよければ話、聞くけど?」 「……それ、は」 「なんてね。俺に聞いてもらっても仕方ない、か」  佐伯さんは私の背後に視線を向けた。 「と、いうことで俺は退散しますので」 「ありがとう。助かったよ」  その声が聞こえた瞬間、私は駆け出していた。そして結城さんの胸にすがりついて、泣いた。  どれぐらいの時間そうしていただろう。ようやく涙も落ち着いてきた頃、私は結城さんが背中をずっと撫でてくれていたことに気づいた。 「す、すみません」 「落ち着いたかな?」 「はい……」 「何があったか、話してくれるかい?」  私は一瞬言葉に詰まった。お母さんに言われたことを結城さんに伝えてしまえば、結城さんを傷つけることにならないだろうか。あんな犯罪者と同レベルに扱われたことに腹立たしく思うかもしれない。そんなの……。 「なんてね。今日捕まった誘拐犯のことだろう?」 「どうして……」 「ニュースでやっていたからね。もしかしたら君が何か言われるんじゃないかと思ってたんだが……。傷つけてしまったようだね。申し訳ない」 「どう、して! 結城さんが謝る必要なんてないじゃないですか! 謝らなきゃいけないのは嫌な思いをさせたのは私なのに!」  思わず声を荒らげてしまう。そんな私の身体を結城さんはギュッと抱きしめた。 「私が私じゃなければ君にこんな想いをさせることはなかった。もしも私がこんなおじさんじゃなく、例えば葵ちゃんの会社の先輩のような立場だったらお母さんも反対しなかったはずだ」 「そんなの!」 「それでも、私は君のことを諦めることができない。これから先も、君には嫌な想いをさせることもあるかと思う。だけど、それでもずっとそばにいてほしいんだ」 「結城、さん……」  そんなの、私だって一緒だ。 「私が、結城さんじゃなきゃ嫌なんです」 「葵ちゃん」 「結城さん以外の人となんて考えたこともないです。結城さんがいい。結城さんしか、嫌です……」 「ありがとう。……それじゃあ、行こうか」 「え?」  顔を上げると、結城さんはいつものように微笑んでいた。その言い方があまりにも当たり前のようで、私は一瞬どこに行くのか本気でわからなかった。 「行くって……どこにですか?」 「もちろん君のマンションにだよ」  そう言うと、結城さんは私の手を引いて歩き出した。
/88ページ

最初のコメントを投稿しよう!