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安城との確執はありつつも、撮影はスタートをきり、現在も進行中だ。
時おり監督の指摘が入るものの、役者たちはすぐ対応、OKテイクをもらっていく。
私も時折撮影現場へ足を運び、映画の進行具合を見学した。いろいろひっかかる件もあるが、映画制作を見るのはちょっと楽しい。
「先生! 来ていたんですね」
「あなたは……」
「はい、御船役の“羽柴ケトル”です。こないだの撮影以来ご無沙汰です先生!」
声をかけてきたのは主人公の美雲の幼馴染・御船役の男の子、羽柴ケトルくんだった。
ケトルなんて何を蒸気させるんだとツッコミたくなる名前をしているが常識人で人懐っこく口から覗く八重歯が可愛らしい現役高校生役者だ。
「先生なんてそんな」
「いえ先生です。自分は文字を物語にする能力ないんで。尊敬します!」
白い歯が眩しい。御船のモデルになったくーちゃんの七倍爽やか。くーちゃんも爽やかだけど、この子のはもう、爽やかすぎる。
(そう言ったらくーちゃんふくれるだろうな)
蒸気くん……ケトルくんに続いて他の役者さんもこちらに気づき近づいてきた。
麗しい集団に翻弄されつつもケトルくんがうまく話を進行してくれてしばらく雑談を交わし楽しい時間を送り、自宅へ帰った。
撮影は滞りなく進んでいる。
この調子ならオールアップする日も近いかも。
電車に揺られ私は睡魔に襲われた。
土曜日。
今日は大学も休み。ベッドの中で午前十一時まで惰眠を貪っていると携帯電話が鳴った。
ベルがけたたましく鳴り眠気を感じながらも携帯を取る。
『もしもし天野さん? 大変よ! カレンが役を降りることになったのよ!!』
「え?」
安城が役を降板する。
突然の言葉は寝耳に水だった。
「どういうことですか?」
『とにかく編集部に来て。今度は応接室。初めて会った授賞式前に話し合った部屋あるでしょう、あそこ。詳しくは現地で話すから』
応接室には祝井さんと編集長、監督、そして知らない男性が応接室に来ていた。
私が頭を下げると男性は「すまない! 本当にすまないッ!!」と深く頭を下げた。
祝井さんから男性は安城の事務所の社長だと知らされた。まだ若そうで三十代前半くらいに見える。
「こちらも訳がわからない。今朝の撮影に来ないから連絡を入れたら急に『役を降りる』と言い出して。こちらから電話やメールをしても返事が返ってこない!」
若社長の男性は頭を抱える。
荒れる若社長の向かいに座る監督も似たような反応だった。
「撮影は順調だってのに、一体どうして……!!」
編集長はため息を吐き、祝井さんはおろおろしている。どうやら状況は想像以上に大ごとらしい。
(それにしても急に辞めるなんて。いったい安城に何が起きたの?)
「駄目元ですがカレンに連絡を入れてみます」
「どうせ何度連絡したって同じだ! とりあえずカレンが無理だったら他の役者を代打で使うしかない。まずはその代打探しから……ああもう! なんでこんなことに!」
監督は「なんでこんなことに」という台詞を今日一日で何回言っただろう。それほど切羽詰まっている状況ということは伝わる。
強度は違えど私も同じ気持ちだ。
「安城、あんたは何を考えてるの?」
ぽつりと呟いた。
結局打開策も浮かばないまま今日の緊急ミーティングは終了。
「とりあえず進展があったらまた連絡するから」
祝井さんにそう言われ私は家へ帰宅した。
あれから二日経つが連絡はこない。
きっとまだごたついているんだろう。
「決定した際には連絡を寄越すと言っていたけど……」
メールボックスは空っぽのまま。
今日は一限から大学の講義がある。昼休みにもう一度確認しよう。
朝食のトーストを咥えているとインターホンが鳴った。
「はーい?」
こんな時間に誰だろう?
ドア穴を覗き、そこに立つ人物を見て私はドアを勢いよく開けた。
「いったいどういうつもり?」
行動とは裏腹に口から出た声は自分でも驚くほど温度のないものだった。
「ねえ安城」
「ここだと人目につくから、入れてちょうだい」
向かいに座る安城はしばらく黙り混むばかりだった。
だからといってこちらから声はかけない。
どうしたのなんて聞くのは癪だ。なんていったって騒ぎを起こしている原因は彼女、安城から状況を説明する義務がある。
時計の長針が五分進んだところでやっと口を開いた。
「あんたの言う通りだったわ」
「なにが?」
「登場人物の気持ちを理解しなければまともな演技はできない、だっけ」
本当だよ、うつむき掠れた声で呟く。
「美雲、いえ……実琴の演技ができなかった」
安城から出た姉の名前に肩を震わす。
「美雲って実琴のことでしょ? 幼馴染は知らないけど、美雲の親友の間宮があんた。どんな役だろうと私なら楽勝だと思ってた……だから、実琴の演技ができない自分に驚いた」
「……」
「感覚やニュアンスだけ掴んでも気持ちが入らないの。こういう気持ちになったことがないから。実琴を演じてるうちに自分が何を言っているのかわからなくなった……たぶん私には傷みを感じる繊細な心が欠けてたのよ。どんな人にでもなりきれる、そう思ってたのに、どんな人ももってる心が私には欠けていたの。ほんと、笑っちゃう」
「だからなに?」
言い訳を伝えに来たわけじゃないでしょう。
貴方は私に言いたいことがあるはず。
これは前置きにすぎないことを私は気づいている。
「そうね。弱音を吐きに来たんじゃなかった。ここからが本題、それとお願い」
「お願い?」
本題とお願い。どうして二つに分ける必要があるの?
「私を主演キャストから外してほしい。それが本題。もう一つ、 こっちはお願い。主人公の美雲役を天野真琴、あんたに演じてほしい」
「は?」
突然の言葉にどんな反応をしていいのかわからなかった。
彼女は何を言ってるの。
「最後の最後まで嫌がらせのつもり?」
そんなに私を困らせたいの?
どうしてあんたは今になっても私たち姉妹を掻き乱すの!?
「違う! 原作を読んで思ったの。美雲、いえ実琴を演じられるのはあんたしかいないって。実琴を再現できるのはあんただけだって。小説を読んでて、本当に実琴が生きている気がした。あんたが想像して書いたとしても、天野実琴はこの物語のなかで呼吸をしてるって感じた!」
「……」
「わかんない? ここまで実琴の存在を物語に生み落とすことができたのは片割れのあんただからなのよ。実琴を誰よりも知っていて、一番理解できてるのはこの世界の中であんただけなんだ!」
「そんな勝手なこと言わないでよ!!」
私はこれまでない大声で叫ぶ。
喉が熱い。ヒリヒリする。心臓もバクバクと煩い。
「あんただって散々私のこと“できない方”って言ってたじゃない! 今さら何を言い出すと思えば、自分が苦しいから逃げるための口実じゃない!!」
「違う、違うの! 私は本当にあんたが実琴になれると思ってる!」
実琴と私は全然違う。
そんな私が実琴になりきれるわけないじゃない。
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