偽装結婚の終わり

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 私の店は都内にある小さな花屋、おじいちゃんから引き継いだ。花好きが転じて店を持ったおじいちゃんは、私に花のことを色々と教えてくれた。私が植物のことを好きになったのは、間違いなくおじいちゃんの影響。  仕事で忙しい両親の代わりに私を可愛がってくれたから、私は無類のおじいちゃんっ子だった。 「(さき)の花嫁姿が見たいねぇ」  一昨年、病気で入院を余儀なくされてから、病院のベッドでおじいちゃんは口癖のようにそう言った。だから―― 「咲さん、週末もお墓参り?」  夫の声で、私は現実に帰ってくる。夫の好きな食事を作り、飲まないお酒を一緒にたしなむのも、全ては少しでも夫婦らしくありたいから―― 「はい、仕事帰りに寄って来ようと思います」 「ゆっくりしてきたらいい。僕も食事は外でしてくるよ」 「いえ、そう遅くなりませんから、一緒に食べましょう」 「そうか――では帰ってくるよ」  一日一日、一食一食がとても大切なものに思えた。はじめはぎこちなかった結婚生活。好きな食べ物は何か、苦手なものは何か、癖は――少しずつ、細い糸を撚るように冬馬さんのことを知っていったように感じる。今となっては、許される限り多くの時間を、冬馬さんと過ごしたいと思い始めていた。それなのに、冬馬さんはどこかそっけない。当たり前だ。私たちは所詮偽装結婚なのだから──  初めて出会ったときの印象は最悪だった。  一年前、駅でふと目についた結婚相談所の宣伝を眺めていた私に声をかけてきたのが冬馬さんだった。 「結婚相手をお探しですか?」  振り返った私は、心外にも一瞬だけときめいてしまった。年は私よりも十くらい上だろうか――? パリッと背広を着こなした立ち姿は清潔感にあふれていた。 「僕も探しているんです。良かったら、少しお話でも――」 「すみません、違います」  急な申し出に私は慌てて逃げた。詐欺か、もしくはからかわれたのだと思って恥ずかしかった。もう会うことはないだろう――そう思っていたのに、後日冬馬さんは私の店に顔を出した。 「あなたは――」 「花を買いに来ました。プレゼント用に、良いものを選んでください」 「贈られる方はどのような人ですか?」 「女性です、大切な人に」  何食わぬ顔でそういうものだから、なんて失礼な人だろうと思った。大切な女性がいながら、見ず知らずの私にあんな風に話しかけてくるなんて――  こんな人に一瞬でもときめいてしまった自分が恥ずかしい。  とはいえ、仕事に私情は挟みません。お客さんの希望に合わせて花を選ぶのが私の仕事。あいまいなオーダーであることは珍しくない。だけど―― 「あなたが良いと思う花を選んでください」 「え……贈られる方の好みは分かりませんか?」 「はい、生憎僕は彼女のことをさほど知らないのです」  それでいきなりプレゼントなんて贈って大丈夫ですか……? 気味悪がられるのでは……なんて下世話なことを考えてしまう。この人、大丈夫かな――大丈夫ではないからいい年になるまでお一人様なのでは……  私は邪念を払って花を選ぶことに専念する。
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