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閉店後、シャッターを下ろしていると、彼がいた。両手に昼間に店で買った花束を抱えている。やはり受け取ってもらえなかったのだろうか――そう懸念していると、彼は私の前にその花束を差し出してきた。
「僕と結婚してください」
「待ってください。そんなつもりはありませんから」
唐突すぎる申し出に、私はオーバーに両手を振った。
「でもあなたは結婚を焦っている。何か理由があるのでしょう? 僕にも表向きの妻が必要なんです」
「どういうことでしょうか?」
「それが──」
そして今に至るわけである。始めはこの人大丈夫なのかと心配したけれど、話を聞けばそれなりに納得できる話だった。
腑に落ちないのは花束だ。「大切な人への贈り物」と言っていた。出会ったばかりの私のことを本当に大切だと思ってくれるはずはない。花を買うための方便だったのだろうが、彼にその真意を問う勇気はなかった。
「一年だけ、僕の茶番に付き合ってください」
その言葉も私の背を押した。私にとっては、祖父に花嫁姿を見せるためだけの結婚。冬馬さんは結婚しろとうるさい友人たちをはねつけるためだといった。一度結婚して、すぐに離婚すればいい――ただ、それだけ。
祖父は結婚式から半年ほどして亡くなった。無事に花嫁姿を見せることが出来たのは、確かに冬馬さんおかげだ。
「素敵な旦那さんだね、咲の幸せな花嫁姿が見られて良かった」
家族だけの小さな結婚式――おじいちゃんの顔は嬉し涙でぐちゃぐちゃで――それを嬉しいと思う分、心が痛かった。私と冬馬さんの間にあるのは愛ではなく、都合の良い関係だけだったから。
おじいちゃんに嘘をついていることが苦しくて、上手く笑えていた自信がない。
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