偽装結婚の終わり

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「彼女はプロポーズを受けてはくれなかった。東京に来て、好きな男が出来たと言って。店の客だと言っていたよ」 「そう……ですか……」  でも、まだその人のことが好きなのでしょう? だから遠くを見つめるのでしょう? 他の人とは結婚なんか考えられないのでしょう? 私との偽装結婚は、口うるさい友人たちを巻くための隠れ蓑で、でもそれは私も同じで――互いに、互いを利用しただけで……  嫌だ── 「きっぱり振られたわけなんだけど、彼女はそれから間もなく亡くなってね。どうやら無理な仕事で体を壊していたようで……気が付くことができなかった自分を随分と責めた。往生際の悪い話だけど、本当に他に好きな男がいたのかどうかも、今となっては定かではない」  すっかり日が落ちて、辺りは暗くなった。晴天の空に月はなく、キラキラと輝く星が砂のように散らばっている。大好きな景色なのに、滲んで良く見えない。冷たくなりかけた秋の風が、優しく心をなでるようだ。また、涙がこぼれ落ちる。冬馬さんはその涙を拭った。  優しくしないで欲しい。これ以上好きになりたくない―― 「随分と引きずった。思い悩んだまま六年ほどふさぎ込んでいたよ。でも、四年前に前に進む機会があったんだ」 「前に進む機会……ですか?」 「四年前、僕は新しい恋をした」  江ノ島の高台から、じっと海を見つめていた冬馬さんは、私の方を見て微笑む。 「彼女の七回忌にようやく心の整理がついて、墓参りに行く決心をしたんだ。墓に供えるための花を買いに行った。彼女の好きだった白いバラを――と思ったのだけど、やはり店員さんにとめられた。棘のある花は墓に供えられないと教えてくれて、わざわざ問い合わせてくれたよ。棘を取ったら供えて良いということで、その人は丁寧に棘を取ってくれた。花屋さんだから当たり前のことなのかもしれないけど、とても若い人だったから少し驚いた」 「それ……」  思い出した。四年前、短大を出た私がお店に出始めたときのことだ。なけなしの知識が役に立ったことが嬉しくて――私の既視感は、間違っていなかった。私は確かに、冬馬さんに会っていた。 「真剣に対応してくれたその人がすごく印象的で」 「出来ることをしただけなので。そんな風に思ってくださっていたなんて……」 「墓参りをして彼女への思いは片が付いた。君のことは気になったけど、君はまだ学生のように見えたから……」 「短大を卒業した社会人一年目でした」 「そうか――でも、年の差を考えるとやはり声はかけられないな」  昔のことを思い出して、冬馬さんはおかしそうに笑う。冬馬さんは、笑うと更に若く見える。  
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