09 矢口悠也 act.2

2/3
前へ
/45ページ
次へ
「矢口も来てたのか」 背後から聞こえた声に悠也は悟られないように携帯を仕舞うと、極めて冷静な表情を装って背後を振り返る。やはりというべきか、立っていたのは千紘であった。すでに『お愉しみ』は終了したのか、妙にすっきりとした表情で立ち竦んでいる。 玲士が始まったばかりなのに気付くと、親指をクッと動かして悠也に移動を命令してくる。立ち去るタイミングを逃していたから“助かった”といった面持ちで腰を上げると、千紘に気付いた玲士が「俺は別にここで話してもらっていいけど?」などと(のたま)っていた。座位の体勢でこちらを向かされたまま身体を揺り動かしている女は、悠也を誘うように腕を伸ばしている。悠也は自身の気持ちが冷めていくのを感じた。 「お前のイキ顔なんて見たくねーんだよ」 「違いねぇ、俺もお前の見たくないわ」 玲士は視線も向けず手をひらひらと振ると、今度こそ目の前の女に集中する事にしたようであった。千紘の断り文句をぼうっとした頭で聞き流していた悠也は、徐々に激しくなる声に背中を向け千紘の後をついて歩く。千紘は突き当りの扉を開けて入って行った。それに倣って扉を潜ると、ガラステーブルを部屋の中央に、その周りに革のソファーを置いた個室になっていた。壁は防音仕様となっているようで、扉を隔てただけで喧騒に近い喘ぎ声はピタリと聞こえなくなった。 千紘はドカッと座り込むと、目線で隣を指す。“他にもソファーはあるのに、何で隣なんだよ”悠也はそう憤るが、大人しく従う事にした。ソファーに身体を沈めた悠也を横目に、千紘は嫌な笑顔を浮かべている。 「…で、調達役が見つかったって?」 -聞いていたのか- 悠也はいつから聞き耳を立てていたのかと非難する視線を向けながらも、首を頷かせた。千紘は煙草に火を点けて足を組んで寛いでいる。この男はどうしてこんなにも偉そうなのかと悠也が呆れていると、千紘は恐ろしく静かな声で「綾瀬舞、合コンとかに女斡旋して稼いでる奴だよな。お前みたいな奴がどこで知ってコンタクト取ったのか知らねぇけど…[嵌め系]はあの女の規約に反するから、ろくな事にならねぇぞ」と言った。 「それは警告?」 「俺は玲士以上に、お前のこと信用してねぇからさ。今だって、特に女に興味無さそうなお前が何で俺達に近寄って来たのか分かんねぇし。お前、何を考えてる。俺達に復讐とか?」 淡々とした表情と声でそう言うと、千紘は顔を寄せてふぅっと煙草の煙を悠也へと吹きかけた。悠也が眉を寄せて無言の抗議をすると、肩を痛い程の力で掴まれる。軋んだ音のする肩に思わず「イタッ…!」と声を上げると千紘は口端を上げて笑う。持っていた煙草を灰皿に置くと、真っ直ぐに悠也を見た。 「いつも笑顔の鉄仮面も、痛みには流石に剥がれるのか」 「やめろっ」 肩を掴んでいる手を払おうと腕を伸ばして引き剥がしにかかるが、伸ばした腕ごとあっさりと取られて拘束されると、間髪入れずに悠也は腹を思い切り殴り付けられた。 予想もしていなかった衝撃に内臓は悲鳴を上げる。吐きそうなくぐもった声を出した悠也はそのままソファーに腹を抱えて倒れ込むと、声にならない呻きで痛みに耐えた。胃液が込み上げて来たが、何とか吐き出さずに堪えた。 -まだ、大丈夫。耐えられる。この間リンチされた時の方がずっと痛かった- 自分を落ち着けるように頭に言い聞かせると、頭上で何やら動いている様子の千紘を()め付ける様に見やる。その瞬間、悠也はヒュッと息を呑んだ。てっきり一発入れて満足しているかと思えば、その顔はまだ獣のように鋭い色を帯びている。千紘は自分のベルトを外すと、腹に回して自身を抱えていた悠也の両腕を取って縛り上げた。 「なに、を…」 問い掛けを無視したまま、上機嫌な千紘は悠也のベルトにも手を掛けて外す。そのまま太腿の付け根辺りまで衣服を剥ぐと、灰皿に置きっ放しになっていた火のついたままの煙草を持って悠也の眼前で振って見せた。嫌な予感しかしない悠也は引き攣った顔のまま「何…すんだよ」と声を絞り出した。 「矢口クン、怪しいからさぁ。ちょっと身体に質問しようと思って」 「は…?」 「俺の質問にイエスかノーで答えろよ? 怪しかったら罰ゲームだから」 煙草を振りながら、千紘は至極穏やかな声でそう言った。しかしその瞳は全く笑っていなかった。這ってでも逃げようと暴れる悠也の足を乱暴に掴むと、千紘は躊躇せずに太腿に煙草を押し付けた。 「ああぁっ…!!!」 太腿に熱さと鋭い痛みが走り、悠也は身を捩らせた。鈍く激しい痛みが太腿に張り付いていた。痛みの箇所を手で押さえるように、拘束された両腕で太腿に触れた。滲むように広がる痛みに、思わず千紘を睨み付けた。千紘は我関せずといった風体で二本目の煙草に火を点けている。 「質問、矢口クンは俺と玲士に何か仕掛けようとしてる?」 「…ノー…」 痛みで少し声が震えてしまったが、しっかりと悠也は答えた。千紘は「ふぅん」と言って黙ったが、その様子に安堵した悠也を見ると嘲笑うように口を開いた。 「矢口クン、これは真相がどうとかの質問じゃないから。」 「冗談だろ…?」 千紘は幼子をあやす様に悠也の頭や背中をぽんぽんと撫でると、「じゃ、気張れよ」と言って煙草を宙で動かす。店内の誰にも聞かれる事の無い悠也の悲鳴が、個室内に響き渡った。
/45ページ

最初のコメントを投稿しよう!

81人が本棚に入れています
本棚に追加