K.どこまでもついていく影

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「失礼しました。昨夜のことは私が勝手に飛び込んだだけですから気にしないで下さ……」 自分のジャケットを脱ごうとする俺を右手で制し、アンは顔を背けてくしゃみを繰り返す。彼女の爪は昨夜着ていたドレスと同じネイビーブルーに塗られていたが、顔を覆っている左手の薬指の爪だけ先っぽが欠けていた。俺を噴水の中から引っ張り上げた時に折れたのかもしれない。 俺はジャケットを脱ぎ、問答無用でアンに着せた。彼女は案外、大人しくジャケットの袖に自分の腕を通した。袖が長過ぎるので何度か折り曲げてやると華奢な白い手が現れる。その手に触れたい衝動に駆られながら、俺は彼女の青い双眸をのぞきこんだ。 「アン、ありがとね。一緒に飛び込んでくれて、俺を引き上げてくれて」 アンは照れくさそうに頬を染め、俺から目を逸らした。 「どういたしまして。あなたと一緒に泳ぐって約束しましたから」 泥の中をひとりで泳いでいるみたいだと俺は自分の人生を嘆いたことがあった。それを聞いてアンは約束してくれたのだ。俺を助け、もし救い出すことができなかったとしたら、泥の中でも冷たい水の中でも、自分も一緒に泳ぐと。
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