16人が本棚に入れています
本棚に追加
《 9 》
「これは……ある夫婦についての曲なんだ」
「夫婦? まだ結婚もしたことないくせに」
弥生が笑って肩を突く。
「あ、てかもう時間じゃん。その話、絶対終わったら聞かせてよね」
そう言って走り出す弥生の背中を追う。
SATURDAY
それは太郎君と小春さん、二人のことを想って書いた詩だった。
大人なのにどこか頼りなくて、でも照れくさいようなことをさらっと言ったりする。ちょっと不思議だけど、料理が上手で素敵な帽子を作る。そして誰よりも小春さんのことを大切に想う太郎君。
明るい笑顔でくるっくる表情が変わる。しかも強くてかわいい。誰よりも太郎君のことが好きな小春さん。最後まで思い切り笑って楽しそうだった。
小春さんはもういない。でもお互いを想い合う太郎君と小春さんは、奏太郎の大好きな二人だ。
キャップを目深にかぶり、奏太郎もライブハウスの方へと歩き出すと、見覚えのある優しい笑顔が通りの向こうにあった。
太郎君だった。
太郎君や小春さんに出会い、あの土曜日の時間が始まったのもこんな六月の午後だった。ゆっくりとこちらへ歩いてきた太郎君は、やがて奏太郎の前で立ち止まる。
そしてキャップのつばの部分をひょいと持ち上げると顔を確かめ、安心したような柔らかい笑みを浮かべ、懐かしい声で呼ぶ。
「奏太郎。よく似合ってるな」
――今はいいんだ。もう少し大きくなって、奏太郎が歌手として有名になったとき、これかぶってくれ。きっと見つけにいくから。
あのときの言葉を胸に、ずっとこの日を待っていた。
降るのか降らないのか――。
天気ははっきりしない。ライブを終え、出てきた頃にはきっと雨が降り出しているだろう。ライブハウスに並ぶ人たちはみんな、傘を手にしていた。ブルー、ピンク、黒、黄色に透明のビニール傘。
太郎君は鈍色の傘を握っている。
――空の高い高ーいところからでも見つけるから。
小春さんの言葉を思い出す。
そして太郎君と二人、曖昧な色合いの空を見上げ思う。
小春さんに、届きますように。きっときっと、聴いてくれますように――。
その一瞬、雲の合間に一筋の光が煌くのが見えた。
「小春さんだ」
太郎君が呟くと、六月の空が笑った。
《了》
最初のコメントを投稿しよう!