《 6 》

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《 6 》

《豆腐とひき肉があるので今日は麻婆豆腐を作ろうと思います。小春さんは今日はいません。高校の同窓会があるそうです。奏太郎はきっとくるので、二人分を用意します。奏太郎は辛いの苦手かな》 「麻婆豆腐好き?」 「あんまり食べたことないかも」 「辛いのはよした方がいいかあ」 「もう子供じゃないから大丈夫」 「はは、そっか」  太郎君が子ども扱いして頭を撫でるので、その手をさっと避けいつものように並んでキッチンに立つ。 「今日、小春さんはいないの?」 「高校の同窓会があるんだって」 「どうそうかい?」 「昔同じクラスだった友達に会いに行くんだよ」  そう言うと、太郎君は戸棚から取り出した赤い蓋瓶の中に入った茶黒いたれと、味噌を混ぜ合わせる。その瓶には、ほとんど街でも本でも見たことがないような漢字が書いてある。「てんめんじゃん」と読むのだと太郎君は教えてくれた。  今回は使わないけどついでにこっちも、と取り出した別の小瓶にはもっと難しい言葉が。 「とうばんじゃん」  太郎君は得意げに言う。  甜麺醤に豆板醤――きっと、大人になっても書けるようにならないだろうと奏太郎が絶望すると、太郎君は「大げさだなー」とはじけるように笑った。  麻婆豆腐は案外辛くなくて、その理由を尋ねると「さっきの豆板醤を今日は入れなかったからね」と太郎君は教えてくれた。代わりに味噌を入れたのだと。  大人はみんな辛いのを食べるらしい。だったら次は絶対「とうばんじゃん」を入れてよね、と奏太郎は真剣に抗議した。 「奏太郎は、どうしてそんなに早く大人になりたいんだ?」 「大人になったら、好きなことができる。母さんの言うとおりにしなくたっていいし、嫌ならピアノだって弾かなければいい」  太郎君は奏太郎の言葉を聞いて、少し困ったように眉をハの字によせながらも口元を緩める。 「それはちょっと違うな。好きなことができるかどうかは、子供も大人も変わらない。子供だって好きなことができるし、大人だって好きなことができるとは限らない」 「どういうこと?」   「うん? 大人も子供も、それは全部自分次第ってことだ。でも麻婆豆腐は、次はうんと辛いのにしてやる」  そう言っていたずらっぽく微笑む。 「帽子を作るのは好きなことじゃなかったの?」  ふいに投げられた奏太郎の問いに、太郎君は麻婆の赤いタレのついたスプーンを置くと、一瞬驚いた顔をしてこちらを見た。  そうしてすぐに「小春さんに聞いたのか」と穏やかに続けた。  ソーダ色の帽子を手に取り、 「これも僕が作ったんだよ、最後に。僕はね、最初は洋服を作る人になりたかったんだ」  太郎君は話し始めた。  洋服のことを学ぶためにイギリスに行ったら、帽子だけを作るイーサンという、歳の離れたお兄さんくらいの人に出会った。彼は日本では見たことのないようなデザインの帽子をたくさん作ってて。それはもうわくわくしたよ。かぶると別人になったみたいで、まるで演技者のように。僕はイーサンからたくさんのことを教えてもらった。何よりもなんで帽子を作るのか、ってこと。  顔が違うように頭の形も一人ひとり違う。誰かのために作って、かぶってもらったときの喜びをずっと忘れないで、それを見るために帽子を作っているんだと。 「もう作らないの?」  太郎君は何も答えずにただ柔らかく微笑むと、ソーダ色のそれを奏太郎の頭にかぶせ「さ、洗い物をしよう」とキッチンに向かった。  翌週、夕食の後テレビを消すと、紅茶を淹れながら「座りなさい」と母さんは言った。毎週土曜日のピアノのレッスンに行っていないことは、とうの昔にばれていた。平日のレッスンでごまかしていたが、練習が足りていないことも気が付いていて母さんはあえて言わずに奏太郎から話してくることを待っていたのだと言った。  コンクールに出たくはないのか。  去年より上に行きたくないのか。  ピアノを弾きたくはないのか。  あなたは、選ばれた才能を持って生まれた私の子供なのだから――。  重なるように溢れてくる言葉に奏太郎は耳をふさぐ。  ――だったら、弾きながら歌えばいいのに。  小春さんの言葉が頭の中に響く。  ――お母さんにも言ってみたらいいと思うよ。歌を歌いたいんだって。  そんな簡単に言えるわけないじゃないか。  紅茶を一滴も飲まずに席を立つと、雨の中、家を飛び出した。
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