二、船乗りズィルバー

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二、船乗りズィルバー

 平安末期の世、新中納言と呼ばれた平知盛は、父清盛亡き後壇ノ浦(だんのうら)にて没した。  蛮勇を奮った激戦の末、(いかり)を担いで海に沈んだ伝承は、後の世に語り継がれている。 「見るべきほどのことは見つ」……それが、最期の言葉だった。  見て当たり前のものはすべてこの目で見た、だからもう悔いはない……そう言い残し、男は海の藻屑(もくず)と消えた。  その死よりおおよそ500年の後、21世紀よりもまた500年ほど遡ること16世紀、後にルネッサンスと呼ばれるその時代に錬金術(アルケミー)という試みが一つの転換期を迎えた。  欲に魅せられし者、名声を成さんとする者、多くの者が挑んだその術は、ある世界においては「科学」と呼ばれてゆく。  されど、世の流れはひとつとは限らない。  さながら川の流れのように、もうひとつ、異なる流れが太い支流となりつつあった。  知盛がズィルバーとして生を受けた世では、錬金術は「科学」ではなく、「魔術」に姿を変えた。  ……ゆえに、彼は今「魔弾」の猛攻を受けている。 *** 「飛び道具には種類があってなァ」  炎が頬を掠めるが、間合いに飛び込んだ。  敵方の頭をむんずと掴み、そのまま地面へと叩きつける。 「当たったら死ぬモンと、多少なら大丈夫なモンだ」  怯む兵士の顎に頭をぶつければ、ずきりとこっちの傷も痛む。振り返りざまに無防備な喉を掻っ切れば、相手はどうと倒れ伏す。  地面で伸びたままの男に跨る。首に短剣を押し当てたところで、男の目が開いた。 「ま、待ってくれ……!」 「命乞いか?」  短剣に力を込める。……情けで()()()()を出した末路を、俺はよく知っている。  次に男はジャックの方に向けて、助けを乞うた。 「知っていることはなんでも教える! だから、命だけは……ぁ、が……ッ」  最後まで言わせず、喉元に短剣を突き立てた。ごぽりと血の泡を吹いて、男は動かなくなる。 「不忠義者の知ってることなんざ、たかが知れてる」  吐き捨てるように立ち上がり、顔の血を拭う。 「ジャック」  相棒に語りかける。……褐色の肌は、心做しか青ざめているようにも見えた。 「……どうしたんだよ。いつもと、まるで別人だ」  船乗りのズィルバーは、命乞いに耳を貸す男だった。……かつての「俺」だ。それくらいは分かる。 「察しがいいな。……ジャック・サンク」  青い目が見開かれる。……幼い頃に奴隷市場から親父が買い上げ、共に育った記憶は確かにある。  晴れ渡った日の海のような瞳は、常に、傍らで「ズィルバー」を見てきた。  ジャックってのは元からの名前。  銀貨5枚で買ったから、サンク(5)。  ……その記憶も、今や他人事のように思えた。 「俺はズィルバーだよ。……ちっとばかし、知識をつけたズィルバーだ」  前世で重盛(しげもり)の兄上が、「早く(とく)死にたい(死なばや)」と言い出した時だってそうだ。あんなにきっちりした、誰よりしっかり者の兄上が弱りきって死を願ったのは、憂き世を人より多く知りすぎたからだ。 「別人だと思うのも、お前の勝手だがな」  ジャックは瞳を見開き、やがて、静かに顔を伏せた。……まあ、無理もないだろう。  ……と、ガサガサと茂みが音を立てる。思わず腰に手をやるが、今の俺は太刀(たち)を帯びていない。 「ここにいたのですね! 探しましたよ護衛さん!」  うら若い少女が、まん丸の瞳で俺たちを見上げていた。きらきらと輝く琥珀が眩しい。  ……太刀を帯びていなくて助かった。
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