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奈美が今勤めているのは大学病院の眼科病棟なので、他の病棟と比べれば命を預かる精神的なプレッシャーは少ない。外部の人間には、一見のんびりしている病棟のようにも思われている。だが実際は、日帰り入院や外来の患者の対応や手術のサポートなど、意外と忙しいのだ。
仕事の忙しさはまだいい。問題なのは、病院の更衣室の中でほぼ毎日行われる──「ストレス発散」という名の、眼科看護師いびりだ。
──「あら、今日も定時上がり? のんびりしてていいわねえ、眼科は。夜勤もなくて楽だし、まさに天国だわ」
──「まさか自分から眼科に異動希望出したわけじゃないよね? だって、眼科じゃたいした経験積めないもの。看護師としてこれからっていうときに、わざわざ行くところじゃないわ」
──「あーあ、ウチの科、いま人手が足りなくて大変なのよね。眼科の看護師の手でもいいから借りたいくらい!」
自分のことをこれっぽっちも知らない人の言うことなど、気にすることはない。
奈美は何度も自分にそう言い聞かせたが、他科看護師たちによる辛辣な言葉は、更衣室に向かう奈美の足を重くさせた。仕事に行かなければという義務感だけで、この半年間、どうにか病院に向かうことができたのだ。
彼氏との旅行も、職場のストレスを解消するために企画したようなものだった。──残念ながら、いつまで経っても実行できそうにないのだが。
いつまでもベンチにただぼうっと座っているわけにはいかない。奈美はスマホを取り出した。
「旅館にキャンセルの電話しなきゃね。…………そろそろ旅館のブラックリストにでも載るんじゃないかしら」
直前のキャンセルが続く「平原奈美」という名の宿泊者を、旅館側はマークするかもしれない。そんなことにでもなれば、「縁亭」に泊まるという夢が潰えてしまう。
(どうか外科医の忙しさに理解のある心優しい人が電話に出ますように)
そう願いながら、奈美が通話ボタンを押そうとした時、スマホから着信音が鳴り響いた。
(──寛人? もしかして、緊急オペが急遽中止になって、旅行に行けるようになったとか!?)
一瞬、そんな甘い考えが奈美の頭の中をよぎったが、画面を見て無用な考えだと悟った。彼氏からの嬉しい連絡を期待するのはもうやめようと、一度深呼吸をしてから、奈美は電話に出た。
「──もしもし?」
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