9.五蘊皆空(博雅鬼)

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 その犬は柴と何かの雑種で、額に柴特有の薄茶がかった眉毛が二つ並んでいた。その眉が中央に寄り過ぎるくらいに寄っていて、何だか目つきの悪い不細工な犬だった。  その上、滅法警戒心が強く、悠真も散々吠えられた。あわや噛みついてくるのではないかというくらい気性の荒い、忌々しい犬だった。  けれども、その一方で、あまりにも敏也がその犬を可愛がっていたから、それに似ていると言われるのもやぶさかではなかった。  敏也は悠真に飛びかかろうとする愛犬の毛を愛おしそうに抱えながら、悠真にも同じく柔らかな微笑を投げて寄越す。 『こんな不細工な犬に似ているだなんて、失礼だよね。だけど、眉間(ココ)がこう寄っているところが、悠真のここと同じで、なんだか可愛いんだよ。ほら、ここ、ギュッとしていて』  学校では創始以来のイケメンだと持て囃されていた悠真を、この何とも言えない味のある不細工面の犬と同列に扱えるのも敏也くらいだ。  その犬を敏也から引っぺがして、いつだって隣に割り込みたいと思っていた悠真にとっては、何よりもの賛辞だったけれども。  異世界での敏也の笑顔には、その時に感じた思いまでもすっかりそのまま彷彿とさせられた。  けれども、ここでは”茶マロ”の代わりに、自分が常にピッタリと隣に控えていられる。途方もない役得だ。  そうした思いも依らぬ嬉しさとは別に、慕うからこそ付き(マト)ってくる俗物的な思考にもひどく悩まされた。  敏也の周りには、愛され上手のご加護でどんどんと自分と同列のライバルが増えていく。  敏也は取り分け博雅鬼を大切にし、極力他の魔獣たちは必要な時以外はアイテムボックス内に収めてくれている。  敏也の気遣いも優しさも重々と承知しているのだが、増える度に胸の奥が嫉妬に苛まれた。  そんなこと以上に、ヒューマノイドである敏也と魔獣である自分とは老いる速度が異なったから、いつしか生まれた見た目の年齢差に焦燥とした。  月日を重ねる度にどんどんと色香を増して、華やかになっていく敏也。来た当時はあどけなさが残っていた笑みも、今は少し大人びて深い慈愛に満ちている。  一方で、少々の時間の経過では大して見た目の変わらぬ自分。  対称的だった。  形はそっくり人間に化けられても、本質は大きく違う。  その違いに”オマエがヒューマノイドを想うなんて相応しくない”のだと言われているようで、年を追うごとに変化していく敏也を見るにつけて、どんどんと遠ざかっていくように感じた。 ――五蘊皆空(ゴウンジョウク)  なんと己を律することは難しいことか。  制御しきれぬ心身に苦しみ藻掻(モガ)く。  そんな風に敏也との差を哀しみ、次第に大きくなっていくそれに、より藻掻き続ける。  けれども、もし自分が短命な畜生”茶マロ”だったなら、先に老いて亡くなるのは自分の方だ。  大切な敏也を一人後に残してしまうのは耐え難い。  そう思えば、魔獣であることも幸いだ。  大きな差はつけども、犬ではないからこそ、人ではないからこそ、一人の人間である敏也を看取ることも、長い時の中でこの身に代えて尽くすこともできる。  眠ることを知らない身体は、思考を停止することもない。  四六時中、己と向き合ってきたが、それに耐えてこられたのも、敏也の笑顔に励まされ救われてきたからだ。  これから差が更に大きく開いていこうと、敏也が望み、隣にいることが叶う間は、この笑顔を守っていこうと思う。
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