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「魔法使いへ。」
中学生に上がった頃、私は演劇少女だった。
演劇部顧問のW先生は、薄くなったオールバックの髪に鷲鼻の中年男。
今思えば40代だろうが当時のワタシ達から見れば十分にオジサンで、
いたずらな目つきと、うっすら纏っている威厳が、
なんだか魔法使いのおじいさんを思わせる人だった。
W先生は毎年秋の文化祭に、その年の部長に当ててオリジナルの脚本を書き、演出するような芝居熱の高い先生で、先輩たちも皆、上手い。
そこらの劇団ですっかり通用しそうな程だった。
3年生になった春、演劇部の部長になった私は初めて主役を射止めた。
民話「雪女」の、お雪役。
「雪女」は、3年前の当時の部長にあててW先生が脚本を書いた傑作で、
その演技が素晴らしかった事は、何度も先輩達の口から聞かされていたほど。
その伝説的な演目の再演に、私が選ばれたのだ。
やった、ついに主役!
当時のワタシは、自分が上手いことを知っていた。
いかんせ物心ついた頃からのTVっ子で、さながら逆サダコのようにブラウン管の中に入りこみ、日々妄想次元で共に演技し続けてきた筋金入り。
ごっこ遊びは得意中の得意だったのだ。
演劇部に入部してからも、すぐに主人公の妹役を貰い、文化祭では主人公の娘役。いつも中心人物の円の中に居た。当然だ。
でもお雪の役が来た時、ワタシは初めてその自尊心を覆ってくる、ひんやりとした微細な霧のヴェールを感じた。
私はその伝説の雪女に勝てるだろうか。
あの上手い先輩たちが、こぞって憧れるような先輩に。
胸の中に棲みつく霧はガン無視するしかない。ワタシは毅然と稽古に励む。
夫役の男子は、こないだ入ったばかりで不甲斐ない。
息子役の1年生はついこの間まで小学生だった女の子。
ワタシがここの中心、大黒柱なのだ。
だがある日、W先生はワタシに一本の黒いカセットテープを差し出した。
3年前の「雪女」の本番を丸々録音したものだった。
「先輩を越えられない位なら、全部マネしなさい」
ワタシの脳は真っ白にフリーズした。ワタシの芝居は全否定されたのだ。
「マネなんかしたくない」と、心臓はハッキリ脈打っていたのに、言葉にならない。
だって、私を否定する相手に何を言えって?どうせわかってもらえない。
母親はお姉ちゃんのことしか見ていない。
父親は私をマンガとTVばかりの幼稚でアタマの悪い娘だと思ってる。
誰も私の光を見ない。先生は違うと思ってたのに。
「わかりました。」
私はそっけない口調で、テープを受け取った。
傷ついた顔など見せるものか。
その通りにしてやるさ。 それがどんなモノになるか見るがいい。
言葉にならなかった望みは、うねってゆがんで
冷めた復讐の炎に変わった。
渡されたテープを聞きこんで、声の出し方、言い回しをまるごとコピーする日々。口をついて出るセリフは無味無臭の空気になり、
あんなに楽しかったごっこ遊びの別次元にも行けなくなった。
セーラー服の中の心もとない体が、鉛を呑み込んだように重かった。
本番を迎え、白い着物と白い帯を身に着け、白い顔に化粧を施したワタシは、そのまま体温を持たない演技をし、「雪女」の再演はお涙頂戴のつまらない芝居に終わった。
ホラ失敗したぞ、ザマアミロ。全部オマエのせいだからな。
大っ嫌いなんだよ、エセ教師。
中学生のワタシに立ち止まっている暇はない。
高校受験に備えるため、心の中で演劇部の顧問を真っ黒なガムテープでぐるぐる巻きにして、二度と口が利けないようにして、私は演劇をやめた。
40年の時を経て、なぜだか今、ガムテープを解くタイミングがやって来た。
これまでも何度か、イメージの中でぶった切った演劇部の顧問野郎、
今更またオマエと会うことになるとはな。
毛の薄いアタマのてっぺんだけが出ているエセ教師の、
体中に巻き付いているテープをビリビリむしってゆく。
痛いか、ザマミロ。アタシはもっと痛かったんだ。
だが、中から現れたのは、“エセ教師”ではなかった。
“魔法使いの目をしたおじいさん”の方だったのだ。
鷲鼻にノリの効いた白いワイシャツ、紺のネクタイ、
そして懐かしいつぶらな瞳を、なんてハッキリ覚えているのだろう。
なぜだか、笑いかけてくる楽し気な顔。初めて出会った時のように。
ああそうか、私はこの人が大好きだったのか。
あんな仕打ちをされて大嫌いだと思っていたのに、死ねやと思っていたのに何てこと、ビックリだ。
だからこの人には認めてほしかったんだ。
だってアナタは、私と同じ表現の国の生き物だから。
教師だって人間で、エゴもあるし完璧じゃない。
そんな風に寄り添えちゃう、つまらない大人にワタシもなってしまったよ。
W先生、あのとき言えなかった心の奥の奥の奥にあった、
たった今気づいた望みを言うね。
私版の雪女を創りたかったんだよ、
私と同じ目をした先生と一緒にね。
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