2曲目 砂のよう

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2曲目 砂のよう

 i phoneを地面に叩きつけたときのなんとも言えない音を聞いて私は恍惚とした。  自分でもなぜそうしたのかわからない。拾い上げるとi phoneは見るも無惨な姿になっていた。タッチパネルは作動するので、どうやらまだ使えるらしい。そんな中途半端なi phoneの惨状が自分の現状と重なって忌々しくなり、側溝に投げ捨てた。  深夜12時。側溝に投げ捨てたi phoneはもはや何処にいったかわからない。私自身も何処にいけばいいのかさっぱりかわからない。  現実逃避をしたいと願ったことは誰しもあるだろう。私の場合は現実逃避というより現実忌避に近い。  深夜の住宅街には静寂が満ちている。人通りはほとんどない。この薄明りに満ちた光景を見るのも今日が最後だ。毎日見ていたこの光景には嫌気が差していたので、ちょうどいいタイミングだったのだろう。  玄関の鍵を開けると、誰もいない部屋は昨日よりも静かな気がする。私の家に家族と呼んでいた存在が住んでいた時期は当然ながら活気があったが、数か月前に突然、私の前から姿を消して以降、部屋の静寂さは加速度的に増していき、そのあまりの静寂さに息がしづらくなった。そんな生活も今日で最後だ。  家具がなくなると、部屋が途端に広く感じてしまう。広々とした空間が私にはただただ息苦しい。身体を横たえると、意外ににもすぐに眠気に襲われた。  蝉のかまびすしい鳴き声で目が覚めた。  ベッドもないような状態なので、背中が痛い。背中をさすりながら、しばしぼおっとする。すると、ふと床に置いた写真立てが、目に入った。 「そうか…、これは捨ててなかったのか。涼子……」  どれだけ目を瞑っても瞼の裏に蘇るのはいつも同じ光景だった。  人の群れを押しとどめる警察官の険しい表情と怒号。  行き交う通行人の無意味な雑音。  救急車のサイレン。  倒れる人と夥しい量の血液。  意識が遠のきにそうになって慌てて自分を抑えつける。  途端に蝉の鳴き声が耳に飛び込んでくる。  蝉の声を聞いて、今は夏なのかと思い出した。それくらい季節感が失われていた。  仕事を理由に涼子との待ち合わせに遅れてしまった。詳細は覚えていないが、取り立てて緊急な用事でもなかったと記憶している。  今にして思えば、電話になんて出ずに、仕事なんて放り出して、涼子との約束を優先すべきだった。後悔してももう遅い。  仕事が終わったときには待ち合わせの時間をとうに過ぎていた。  急いで会社を出る。  遅れてすまない。今からそっちに向かう。  いつもであれば、ものの数分で返信が来る。でも、この日はそうではなかった。  電車の駅をいくら通過しても返信は来なかった。  さすがに怒らせてしまっただろうか。  そういえば、前のデートのときも仕事を理由に待ち合わせに遅れてしまった。仕事なんだから仕方がないよと朗らかに笑っていたが、何度も同じことを繰り返されたら、腹の一つも立つだろう。私であれば腹が立つ。自分勝手にもほどがある。  涼子からの返信が来ないまま、待ち合わせの駅に辿り着いてしまった。  何と詫びればいいだろう。こういうときには最初の一言が大事だ。そして、当然ながら表情や振る舞いも気をつけねばならない。  先ほど送ったメッセージにはやはり返信が来ない。  着いたけど、どの辺にいる?  再びメッセージを送る。  待ち合わせは改札を出たところにしてあったはずだが、涼子の姿は見当たらない。  もしかしたら涼子の方こそ仕事が長引いてしまっているのだろうか。そう思い、しばらく待つことに決めた。  しかし、すぐに異変に気づいた。  改札を出てすぐのところには階段がある。その階段の下が妙に騒々しい。  階段を降りてみると、右の方にコインロッカーがある。その前が大勢の野次馬で埋め尽くされ、よく見ると警察官が大勢いる。  胸騒ぎがした。  野次馬を掻き分けて前に進む。  頭と頭の隙間にちらっと見えた人の姿。血塗れの女性が倒れている。ぐったりとしている。頭は向こう側を向いているので、よくわからない。  どいてください。  ずっしりと声の通る男性の叫び声が聞こえた。救急隊員が到着したようだ。担架を降ろし、目の前の女性を慎重に、それでいて素早く乗せる。  一瞬ではあるが、目の前の女性の顔がこちらを向いた。  涼子だった。  肩まで伸びた髪。  今度切りに行くんだと言っていたことをこんな状況で思い出した。  顔は青白く生気を失っている。  それでもわかる。  涼子に違いない。  いつも涼子がつけていたイヤリングが光る。青くて透明な地球のように丸いイヤリング。涼子のお気に入りのイヤリング。どこかのブランドだと言っていたが、忘れてしまった。女性が身に着けるありとあらゆる装飾品のブランドに疎い私は一向に覚えられず、怒られたことがあった。  呆然として動けない。  駅構内の雑音が聞こえるのに耳に入ってこない。自分の耳が自分のものでないみたいだ。  どうやって私は家に帰り着いたのだろう。いや違う。なぜ私はそのまま病院に行かなかったのだろう。目の前で涼子の顔を見ているのに。どこかで私は目の前の女性を涼子と信じたくなかったのかもしれない。  朝、目覚めると携帯電話に着信がいくつか残されていた。覚醒しきっていない頭で涼子からの着信かと期待した。昨日はごめんねと留守番電話に残されているはずだと夢想した。そんなことがあるはずがないのに。  ぼんやりとした頭でテレビのリモコンを弄る。  目に飛び込んできたのは昨日、私が目に焼き付けた映像だった。  現場には立入禁止の規制線が張られている。  女性のレポーターは何度も涼子の名前を読み上げる。  聞きたくないと思った。耳に入れたくない。  静かにテレビの電源を切った。  自分とは次元の違う遠く離れた場所で勝手に時間が過ぎ去っているように感じた。  涼子の通夜にも葬儀にも参列した。最期に涼子が灰になっていく様も見届けた。お骨も拾った。涼子の両親に何度も声をかけられた。私も何やら慰めにもならない言葉をかけたような気がする。涼子が灰になっていく間、涼子の歳の離れた弟は火葬場の待合室で窓の外を眺めていた。ここでも私は彼女の弟に言葉をかけた。彼女の弟は終始、泣いていた。聞いているのか聞いていないのかすらわからなかった。  それらのすべてが現実感の乏しいものだった。本当に私の身に起きたことなのだろうか。  仕事は以前と同じように続けた。私は仕事人間というわけではない。単に仕事を辞める理由がないだけだ。  社内であまりプライベートの話をしてこなかったのにどうやら私の身に降りかかった出来事は誰もが知っているようだ。以前に比べて私と接するときの態度がよそよそしい。  そんなお節介や気の遣い方はやめて欲しい。私は平気なのだから。  どれだけ時間が過ぎ去っても犯人が捕まった様子はなかった。  すぐに私から涼子を奪い去った悪魔は捕まると思っていた。  だからこそ意識してテレビのニュースや週刊誌などは目にしないようにしていた。  でも、このままでは……。日に日にそういった思念が強く頭をもたげてくるようになった。  私はその日のうちに部屋の後片付けを始めた。私にとって本当に大切な写真だけを残して、他はすべて処分することにした。丸一日を部屋の後片付けに費やした。もう家具などはほとんど残されていない。  最後にi phoneに残されていた涼子からのメッセージを確認する。  私が送った最後の2通はまだ読まれていない。  遡って涼子からのメッセージを眺めていく。  幸せな日々が思い出される。  だが、メッセージを遡っていくと気になる文言を見つけた。  怖い。つけられている気がする。  確かに1か月ほど前に涼子はそんなことを言っていた気がする。そのときは心配になって近くまで迎えに行ったことも何度かあった。ただ、その後、涼子は特に何も言わなかったからすっかり安心していた。  まさか…。解決などしていなかったのか。警戒されていると気がついて、行動を制限していただけだったのか。  急ではあったが仕事は辞めることにした。引き継ぎもろくにできないままではあったが、上司も私の現状では何も言えないのだろう。そうかと言うのみだった。  退路を断つために家も引き払うことにした。そのために家具などもすべて処分したのだから。  荷物はほとんど残されていない。  小さめのボストンバッグに最低限の着替えを詰め込む。そして、最後に写真立てをそっと仕舞う。  管理人に鍵を返し、家を出る。  行くべき場所は決まっていた。駅前のネットカフェだ。  ネットカフェに入る前には古本屋で事件のことが掲載されている週刊誌を買えるだけ買った。  ネットカフェの店内に入り、受付で店員に色々と説明を受けるが、ネット環境が整っていれば、どの部屋でも良かった。店員の説明を遮って、適当に部屋を選択する。  個室に入ると、すぐにパソコンを起動した。  まず調べたのは、ネットに残されているテレビのニュース映像だ。事件が起きてからほとんどテレビを見ていなかったので、どのように報道されていたかを私はほとんど知らなかった。  どのテレビ局もストーカー殺人という線での報道がなされていた。通りすがりの無差別殺人と報道しているテレビ局はひとつもなかった。何か根拠があるのだろうか。  テレビの報道映像だけでは明確な根拠は掴めなかった。  次に、買い込んだ週刊誌を読んでみることにした。ただ、こちらにはあまり期待はしていなかった。週刊誌などは大衆の下衆な興味をいたずらに掻き立て、真実など追及しないことがほとんどだからだ。  事件直後の記事から読んでいく。やはりテレビの報道と同様にストーカー殺人の方向での記事ばかりで、特に有益な情報はなかったし、特に先週などは涼子の事件そのものを扱っていない週刊誌すらあった。  最後に今週の記事に目を通していく。  やはり今週の記事もダメかと諦めかけたところへ気になる一文を見つけた。  涼子さんは同僚にしつこくつきまとわれていた可能性があり、本誌では今後も取材を重ねていく。  記事ではそう結ばれていた。  涼子は生前、中学校で教師をしていた。  確かに涼子からは職場で定期的に催される飲み会で男性教諭からしつこく絡まれるという話は何度も聞いていた。でも、涼子からつきまとわれていると聞いたとき、その男性教諭の名前は出てこなかったように記憶している。むしろ誰からつきまとわれているかわからないからこそ恐怖に駆られていたのではないか。  その男性教諭の名前は何といっただろうか。あれだけ何度も涼子から聞いていたのに思い出せない。  喉が渇いていた。朝から何も飲んでいない。個室を抜けて、飲み物を持ってくることにした。  薄暗い廊下を抜けて、レジ前に辿り着くと、そこから延びた廊下にドリンクコーナーがあった。アイスコーヒーを飲むことにした。  戻ろうとしたところで大事なことに気づいた。そうだ、新聞記事にも目を通すべきではないか。むしろこちらを先に読むべきだった。ドリンクコーナーの近くにマガジンラックがあったので、そこから新聞をいくつか抜き取り、部屋に戻った。  各社の新聞を3日分、読んでいく。今日の朝刊まで読んだとき、一つの記事にやはり週刊誌と同様の文言が見つかった。ただ、表現は同僚とのトラブルという記載だった。トラブルの詳細は私にもわからないし、まだ警察でもその詳細は掴んでいないということだろうか。それとも、掴んではいるがそれが殺意に結びつけられずに捜査が停滞しているということだろうか。  いずれにしてもせめて私だけは早急に動かなければならない。  ただ、動きようがないのが正直なところだろう。涼子を殺したかもしれない人物の名前も顔もわからないのだから。完全に手詰まりだった。  夜になってから、一度ネットカフェを出ることにした。だからといって目的地があるわけではない。店を出て、途方に暮れていると、私の目の前を見覚えのある女が通り過ぎようとしていた。思わず声に出してしまったので、向こうも気づいたようだ。  女はひどく驚いた様子で立ち止まった。  女は一瞬、怯えたような目つきをして、 「お久しぶりです。この度は本当に……」  そう言って、目の前の女は頭を深く下げた。  私が答えに窮していると、彼女は再び話し始めた。 「実は…、先ほど佐々木さんのお宅に伺ったんですが、転居されたんですね…」 「そうなんです。ちょうど今日、引越しをしまして。いつまでもあそこにいるのは苦しいので…、どこか遠くに引越しをしようかと」完全に嘘だ。引越しをしたわけではない。すべてを捨てたのだ。  私はふと疑問に思った。 「高橋さんはなぜ私の家へ?」 「実は…、お話がありまして…」  彼女は亡くなった涼子の同僚だった。涼子とは非常に気が合うらしく、私の家にもよく遊びに来ていた。 「それは涼子のことで?」 「はい」そう言うと、彼女は下を向いた。 「わかりました。では、近くの喫茶店に行きましょうか?」  そう言って、私は歩き始めると、彼女は無言でついて来た。  喫茶店に入り、窓側の奥の席が空いていたので、彼女を促す。彼女の方を先に座らせた。 「何か飲まれますか?」 「アイスコーヒーで」彼女はまだ下を向いている。  店員を呼び、アイスコーヒーを2つ注文した後は、無言が続く。  アイスコーヒーが運ばれてきてようやく彼女は前を向いた。どうやら私が話を促さないと、先に進まないようだ。 「で…、お話というのは?」 「はい、すみません。急にこんなことになってしまって」 「いえ、続けてください」 「新聞は読まれてますか?その…、涼子さんの報道は…」 「はい…。ずっと避けてきたんですが、今朝、まとめて見ました」 「そうですか…。では、今朝の朝刊なんですけど」彼女は大きく深呼吸をして、再び話し始めた。「涼子さんと同僚にトラブルがあって、という記事は読まれましたか?」 「はい、読みましたよ」 「そうですか…。トラブルというか、飲み会の席でよくその人に絡まれていたんですよ。山岡という男性教師なんですけどね」  そうだ、山岡かもしれない。確証はないが、涼子がその名前を言っていたような気がする。 「涼子さんから何か訊かれてましたか?」 「飲み会で嫌な人に絡まれるという話も聞いてましたし、涼子から誰かにつけられてるという相談も受けていました」 「やっぱり」彼女はどうやら山岡という男が涼子を殺したと決めつけているような雰囲気があった。 「でも、そうと決まったわけではないですよね?何か高橋さんなりの根拠があるんでしょか?」 「根拠というものではないですが、山岡は涼子のことが好きだったんだと思います。だから、飲み会でも積極的に話しかけていたんだと思うんですけど、当然、涼子には佐々木さんがいるわけで、涼子は山岡なんて歯牙にもかけないわけですよ。それで…」  彼女はその後は黙ってしまった。おそらく彼女が言ったいわゆるトラブルのようなものがあり、そこからストーカーにつながったと言いたいのだろう。  果たしてどうだろうか。確かにそういったこともありうるが、根拠に乏しい。 「明日、このことを警察に言いに行こうと思いまして…、それでその前に佐々木さんにも伝えておこうと」 「ありがとうございます。涼子の職場のこととか誰かにつけられているといったことは私も断片的にしか知らなかったものですから、お気遣いに感謝します」 「いえ…」そう言うと、彼女はまた下を向いてしまった。  数分間、お互いの間を沈黙が支配したが、ふいに彼女は前を向いてこう言った。 「お昼頃のテレビの報道ニュースは見られましたか?」 「いえ、見てないです」ネットカフェにずっといたから、リアルタイムでニュースは見れていない。 「涼子が殺された日の現場の目撃証言があったそうなんです。現場から赤のチェックのネクタイをした男性が走り去って行くのを見かけたそうなんです。その日、山岡は赤のチェックのネクタイをしていました」  その日はカプセルホテルに泊まった。今どきのカプセルホテルは昔と段違いで快適だった。  朝、目覚めてから昨日の高橋さんの話を反芻する。  山岡という男が殺したのかはわからない。証拠はほとんどないに等しかった。  だとしたら本人に確かめるしかないだろう。  高橋さんは今日、山岡のことで警察に出向くと言っていた。警察が山岡と事件の関連性をどの程度、把握しているのかわからない。高橋さんの主張を根拠薄弱として一蹴するかもしれないし、有力な手がかりとしてすぐに動き出すかもしれない。  だからこそ私は今日、動くしかなかった。  カプセルホテルをチェックアウトし、すぐに涼子の職場だった中学校に向かった。  中学校に到着すると、まだ登校時間に少し早かったので、子供の姿は見られない。涼子もだいたいこの時間にいつも出勤していたので、山岡も学校に来ている可能性が高い。  中学校の校門のある通りを東の方に進むと、公衆電話がぽつんとあった。今ではもはや公衆電話などほとんど設置されていない。探すのに一苦労だ。  果たして使えるだろうかと思ったが、意外と手が覚えていたので、少しびっくりした。  事前に控えておいた電話番号をプッシュすると、すぐに女性の声で応答があった。もしかして高橋さんではないかと背筋に冷たいものが走ったが、どうやら違ったようだ。  適当に学生の保護者の名前を騙り、 「山岡先生はいらっしゃいますか?」  と言ったところ、電話応対した女性は逡巡したのち、「少々お待ちください」と言ってすぐに保留音が鳴り始めた。  しばらくして、山岡は電話に出た。 「お電話代わりました山岡です」少しこちらを警戒しているように感じた。 「もしもし」 「はい」山岡の声は沈んでいる。 「佐々木涼子さんのことなんですが」 「はあ…、なんでしょう?」 「あなたが殺したんですか?」 「はあ?」 「違うんですか?」 「違います」 「佐々木涼子さんにストーカーしていたんですよね?」 「していません」声が震えているように感じるのは気のせいだろうか。 「本当でしょうか?」 「いたずら電話はやめてください」 「いたずらではありませんよ。事実無根だとしたらなぜそんなに声が震えているんですか?」 「もう切りますよ」 「佐々木涼子さんが殺害された現場から赤のチェックのネクタイをつけた男性が走り去っていくのが目撃されてるそうですよ。あの日、山岡先生はどんなネクタイをつけていたんですか?」 「……」  その後、すぐに電話は切れてしまった。  証拠はないが、ほぼ間違いないように思った。  一日が非常に長く感じた。  これまでの人生で初めてのことかもしれない。  涼子が勤めていた中学校の向かいにある喫茶店で時間を潰すことにした。当然、山岡が出てくるのを待つためだ。  本当に何もすることがなかった。ただ、ぼんやりとこれまで涼子と過ごした日々を反芻していた。  一日の授業が終わり、続々と子供たちが校門から吐き出されてくる。  さらに2時間ほどが経過して、少しずつ教師が校門に姿を現すようになった。  山岡の容姿は高橋さんから昨日、聞いていた。  30歳。痩せ型。黒縁眼鏡をかけている。夏場はクールビズでネクタイをしない教師が多いそうだが、山岡は必ず着けているそうだ。おまけに派手な柄が多いらしい。  注意深く校門付近を観察する。  一向に山岡らしき男は姿を見せない。  少しずつ日が暮れてきた。  焦れったく思っていたとき、校門の奥の方から男性が歩いてくるのが目に入った。遠目にもネクタイをしているのがわかる。急いで会計を済ませ、外に出る。  店を出たとき、男はちょうど校門を出るところだった。  やっと見つけた。  30歳と聞いていたが、もう少し年齢が上のような気がする。黒縁眼鏡に加えて、緑色の派手なネクタイをしている。何よりも周囲に異常なまでの警戒をしているように感じた。  山岡は校門を西の方へ向かう。電車に乗るのだろう。  やがて駅が見えてきた。  やはり山岡は周囲をきょろきょろと見ながら、改札をくぐる。  電車はすぐに到着した。  同じ車両に乗り、離れたところから山岡を観察する。表情は読み取れない。  たった数駅で山岡は降りてしまった。私も急いで降りたものの、駅が帰宅途中のサラリーマンでごった返していて、見失ってしまった。  急いで階段を駆け下りると、山岡らしき人物の後ろ姿が見えた。  彼はちょうど駅の改札を出たところだった。  慌てて追いかけ、改札を抜けると、山岡が立ち止まっていた。  彼はしきりに目を泳がせている。そして、西口の方へ抜けていく。彼の目を見ても感情は読み取れない。  彼は駅構内を出て、すぐに右に曲がる。私も少し足を速めて、駅構内を出る。  彼は駅構内を出てすぐの信号待ちをしていた。しきりに足を動かしている。何を焦っているのだろうか。私も彼に近づく。  やがて信号は青に変わる。  人混みの中の彼を見失わないように前へと進む。  ひたすら前進する彼とは少し離れたところで観察しながら歩く。  彼は左右の動向は気にするが、後ろの様子には無頓着だなと思った。むしろ背後に気を配るべきだろう。そう思った矢先、彼はちらっと背後を窺い、少し歩を速める。  曲がり角で彼は曲がったので、一瞬、彼の姿は見えなくなる。いつしか住宅街に差し掛かっていた。  ゆっくりとした動作で曲がり角に近づき、なんの気もない素振りで曲がる。  彼は曲がり角を少し進んだ先の電柱でなぜか立ち止まっている。  頼りない街灯がぼんやりと彼を照らしている。  ゆっくりと近づく。  彼は動かない。  少しずつ距離を詰めていって初めて気づいた。彼は小刻みに震えている。寒気を催すような気候ではない。今日は熱帯夜。  やがて距離はゼロになる。  私は彼の右肩を掴む。  筋肉が硬直するのがわかった。  彼はゆっくりと私の方に顔を向ける。  暗闇の中で目と目が合う。  目は血走っている。  彼の肩を掴んだ右手に力を込める。  私は左手をさっとポケットに入れる。  左手を硬い何かが触れた。
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