《 第一章 》王子様に憧れるということ

2/5
11人が本棚に入れています
本棚に追加
/25ページ
 廊下に見える正兄を見つめていたら、その視界の端に親友の美樹の姿が映った。わたしの方をさりげなく見ている。  どうしてそんな風にわたしのことを見るのだろう。美樹はわたしが正兄を見つめていると、時々少しだけ尖った目でこちらを伺う。前はそんなことなかったのに。  中学からの親友である美樹は、いつもいつもわたしが正兄を眺める度に「好きなんでしょ? いい加減認めなさい」と楽しそうに揶揄ってくる。 「いい加減にしてよ。わたし、好きな人いる。困る」  いつだかそう言ってしまったわたしの口調はきっと機嫌悪く聴こえただろう。美樹はその時、暫く黙り込んだ。それから「ごめん」と言った美樹の口調がいつもと少し違っていた。  わたしは機嫌を悪くしたわけではなく、その日に限ってひどく面倒くささを感じてしまい、うっかりしただけだった。うんざりはしていたけれども、揶揄ってくる美樹は楽しそうだから、別に構わないかなと思っていたのに。  しかし美樹はわたしが思った以上に重く受け止めてしまったのだろう。それからの美樹は一切揶揄ってこなくなった。けれどもきっと信じていない。だからあんな目でわたしを見るのだと思う。そうして、わたしは美樹に時也が好きだと言うことを伝えていなかったのだ。  好きな人がいると伝えていたのは美樹にだけだ。誰かは聞かれなかったから、時也だと教えていなかった。それに、美樹は時也のような平々凡々としたタイプがあまり好きじゃない。  美樹だけではなくて、友達たちもよく揶揄ってくる。時也と付き合いはじめてからも、面白おかしく色々と言ってくる。そしてわたしはむきになってあれやこれやと色んな言葉を並べてはみんなの爆笑を誘う役目を担う。  みんなには言わないのに美樹にだけやめてと言ってしまったのは、美樹が親友だからだ。みんなの前で戯けるのとは訳が違う。みんなに対してなにも言わないのは、みんなが面白半分で済ませているとわかっているからで、わたしはみんなとこのやりとりをする時だけはなにを言われても楽しく感じているのだ。美樹のは本気だ。揶揄いながらも、本気でわたしが正兄を好きだと思っている。時也と付き合いはじめてからも。  まだ親友と呼ぶには少し遠かった頃、うちに遊びに来た美樹が初めて正兄に会った時のことだ。廊下で正兄と三人で少し話をしてからわたしの部屋へ行った。  小ぶりの丸っこいテーブルで向かい同士に腰を下ろすと、美樹がとても真面目な顔をしていて、それでいて優しげな目をしていた。 「双葉って、正隆さんが好きのね。正隆さんも双葉のことが好きなのね」  美樹の語調はうっとりと夢見心地のようなものではなかった。まるで現実として捉えているようだった。  わたしは驚き過ぎて直ぐに言葉が出てこなかった。さっさと否定すればいいものを、驚愕のあまり思い付けず、「……そんなわけないじゃん」と言った声は絞り出したようなものになってしまった。これでは肯定しているようなものだ。 「でも、恋している目をしていたよ」 「正兄は、わたしの憧れ。それだけだよ。本当に」 「双葉はまだ気づいてないのね」  その言葉が嫌に脳裏に残っている、今でも。  それからも、事あるごとに美樹はわたしに指摘をしてきた。一緒に暮らしたりしてると気付きづらいのかもね、などとも言う。  美樹は大人っぽくて、みんなとはしゃいだりしない。わたしはどちらかといえば、そういうのも好きだ。大人っぽくいようと思うのに、なかなかうまくいかなくて、結局子供っぽいのだと思う。わたしは努力をして優等生を気取っているけれど、美樹はそのまんまでも優等生でしかない。人付き合いはあまり好きじゃない優等生。そんな美樹がわたしのことをやたらと構ってくれることがわたしは嬉しかった。  竹を割ったような性格、大人っぽい風貌と言動、美樹は意思がはっきりとしている。美樹のそういうところが大人だと思っているわたしは大人っぽくいようと常に努力しているつもりだ。大人っぽい美樹と居ると、自分も少しだけ大人な気がしてくる。美樹はまるでわたしをそんな風に扱わないけれども。美樹と過ごすことは心地好い。そうして気が付いたら閉鎖的な美樹が親友になっていた。  そんな美樹がいつまで経ってもわたしが正兄に恋をしていると勘違いしているということは、本気で信じているということだ。度々、「どう? そろそろ自覚した?」などとも問いかけてきていた。わたしは恋と憧れを切り離していたから、ひたすらに否定をつづける。そんな時のわたしを見つめる美樹の目はとても優しげである。今みたいに揶揄っては面白がるようになる前の話だ。完全に好きと憧れを切り離しているわたしは流されることはなく、どんな時も正兄を恋する目で見つめたことがない。というよりも、試してみたけれど無理だった。
/25ページ

最初のコメントを投稿しよう!