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魔道家からの迎え1
「ひさかた」
そう魔美子(まみこ)が唱えるのと同時に、そのほっそりとした手から白い光が放たれ、目の前にたちこめていたあやしい霧ははらわれた。
その光景を見た翔之介(しょうのすけ)(小学5年生・男子)は、やっぱり、この女の人についてきたのは間違いで、自分は今まで通り、楽しくはなくとも静代(しずよ)おばさんといっしょにいたほうがマシなんじゃなかったかと、後悔の念におそわれた。
彼女、陽城(ようじょう)魔美子と翔之介が出会ったのは、つい先ほど、三時間ほど前のことだった。
翔之介がいつも通りに小学校から帰ると、見たこともない大きな黒塗りの車がアパートの前に泊まっていたのである。
おんぼろアパートに似つかわしくないその高級感に、翔之介は一瞬胸騒ぎがしたが、気にしないように階段を上がって「ただいま」と部屋に入った。しかし、その胸さわぎは当たっていた。玄関に見慣れぬ上等そうな女ものの靴があったのだ。
十畳ほどの部屋が一間きりしかない家の中で、静代おばさんの前に、スーツ姿の若い女の人が座って待っていた。
それが魔美子だった。
「あんたのお父さんの家からいらっしゃったんだよ」
静代おばさんにいわれた翔之介は単純に
(ああ、ついに来たんだな)
と思った。
前々から静代おばさんに「いつかあんたの身内が迎えにやってくる」といわれていたか
らだ。そして
「そうなったらあたしにはそれを止めることは出来ない」とも。
それは法律的にどうとか、そういう問題じゃない。
「あたしみたいなふつうの人間にはとてもじゃないけど、あんたの身内のような特殊な人間には逆らえない」
のだと言われていた。
だから静代おばさんがもうすでに翔之介のリュックサックに着替えや何やらといった最低必要限のものをつめ終えて、いつでもここから少年が出ていける用意をしているのを見てもおどろかなかった。おばさんが前から自分に出て行ってもらいたがっていたことは重々わかっているからだ。
ただ、三年間いっしょに暮らしてきた区切りとしてだろうか、最後に五分だけふたりで話をしたいとおばさんがいい、それに応じて魔美子は外に出て行った。
気づまりな様子だったが、静代おばさんが一応、大人として話を切り出した。
「ま、あんたともこれでお別れだね。残念だけど」
その口ぶりはちっとも残念じゃなさそうだった。
「あんたのお母さんとの約束だったからね。身内が迎えに来るまで、たしかにあたしはあんたの世話を見たよ」
翔之介はうなずいた。三年前、病気に倒れて、そのまま亡くなってしまった母の面影はもちろん強く、少年の胸の中にある。
静代おばさんは少年の顔をちらっと見ると、目をそむけ話をつづけた。今までも何度となく聞かされてきた話だ。
「――あたしはあんたのお母さんの冬子さんにはとても世話になった。北海道の食品工場のパートで知りあいになったけど、なんでこんなところで働いているんだろうと思うくらい、そりゃ上品できれいな人だったよ。その冬子さんに恩があるから、あたしはお母さんの亡くなったあと、あんたを預かって育ててきたんだ。
冬子さんはあたしにこう言った。
『翔之介の父親は亡くなっています。が、その親類が必ずこの子を迎えに来るでしょう』
――じゃあ、あたしなんかではなく、その親類さんにこの子を育ててもらったらいいんじゃないかい?と言ったけど
『わたしはなるべくなら、この子にできるかぎりふつうの人間として育ってほしいのです。この子は必ず苦労します。「特殊」な子ですから。
――どうせ、いずれは彼らに見つかるでしょうが、わたしが死んでも数年間は見つからないようにしておきます』
どうやって見つからないようにするのか、あたしにはそんなことわからなかったけど、なにせあんたのお母さんは不思議な力を持っていたからね。その力のおかげであたしは医者からも見放された重い病気から命を助けてもらったんだ。
ええ、たしかにあんたのお母さんはふつうの人間じゃなかった。『あんた』がそうであるようにね」
おばさんは少しおびえていた。
そう、静代が翔之介の世話をいままで見てきたのは、冬子に命を助けられた恩義というのももちろんあったが、それ以上にあんな「ふつうじゃない」女にたのまれたことを断ったら、そのやっぱしふつうではない息子に自分がどんな目に合うかわからないという恐怖が大きかったというのが本当だった。
実際、小さいときから翔之介の身の回りでは不思議なことがよく起こった。なにもしていないのに電球が破裂したり、椅子や机が空に飛び上ったり、挙げ句には家の屋根が急に無くなってしまったりするというようなことだ。
それらの奇怪な現象は、すべて翔之介の感情が何らかの原因で昂ぶったりしたときに起こるものだった。静代にはそんな彼をどう扱っていいかわからないところもあり、三年間いっしょにいても、少年に対する薄気味悪さをぬぐうことができなかったのだ。
でも、翔之介にそんなおばさんをいとう気持ちはまるでなかった。静代おばさんにはけっして包むようなあたたかさはなかったけれど、かといって今まで自分をひどい目にあわすようなことは一度もしなかったし、なんといってもこの三年間、他人の自分を食べさせてくれたのだ。
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