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5. その日の晩(1)
ヒロユキは晩ごはんができるのをテーブル前に座ってまちながら、父親に昼間あった博物館での盗難事件について語った。
「じゃあ、なにかい?そんな大きなシカの像がだれにも気づかれずに持ち去られてしまったというのかい?」
「うん」
「夕方のニュースでも大きく取り上げられてたわよ!『真昼のミステリー』ですって!」
キッチンから夕食の用意をしながら母親がさけぶ。
「ふうん……監視カメラだってあるだろうに、いったいどうやって持ち出したんだろうな?」
食前のビールのつまみに柿の種をかじりながら、父親は考えていたが
「う――ん、わからんね。たしか、あのツノジカ像はだいぶん古いだろう?つくられた当時おとうさんも、友達といっしょにあの博物館に見学しに行ったおぼえがあるよ。ヒロユキもたべるかい?」
「えっ、そうなの?――うん、たべる」
柿の種に手をのばすヒロユキに、キッチンから
「やめてよ、あなた、ごはんのまえに。ヒロユキ、もうすぐできるからちょっとまちなさい」
との母親の声が飛んだ。
ヒロユキの父親は、中学生のとき短いあいだであるが、かむのに住んでいたことがあった。転勤が決まったとき「まさか三十年近くたって、また住むことになるとはなあ」とわらっていたぐらいだ。
「しかも、その博物館に行ったとき、おとうさんたちのグループが来館1万人目にあたってね、プレゼントにぬいぐるみをいくつかもらったんだ」
「ほんとう?ツノジカの?」
母親にダメと言われたのに柿の種をポリポリかみながらヒロユキが聞くと、父親は首をふって
「いや。それはたぶん、ハタノくんが取ったな。グループの中で、じゃんけんで勝ったものから好きなぬいぐるみを選んだんだけど、おとうさんは負けちゃってねぇ。最後にのこった、小さなツノのないシカのぬいぐるみしかもらえなかった」
「え――っ、そんなの、ヘンだよ。カムノオオツノジカには大きなツノがあるよ」
「そうだな、かっこよくはなかった。ピンク色だったし、もらってもあんまりうれしくなかったなあ。大きいツノがついてたハタノくんのぬいぐるみがうらやましかった」
父親はむかしのことを思いだして、なつかしくなったらしい。遠い目をちょっとすると
「……たしか、あのぬいぐるみは、わたしの『思い出トランク』に入っているはずだ。欲しいならヒロユキにあげるよ」
思い出トランクとは、その名のとおりヒロユキの父親が自分の思い出の品(と称するもの)を入れてある大きなトランクのことで、かさ高く場所を取るので、母親は目の敵(かたき)にしている。
引っ越しの時に「こんなの捨てちゃいなさいよ」と処分しようとしたが、父親はなんだかんだと理由をつけて、これを死守したのだ。
前にちょこっとヒロユキもその中身を見たことがあるが、お誕生会のときに色紙で作ったくさりかざりとか、音の出ないハーモニカとか、ただのがらくたにしか見えないものばかりだった。
アルバムなどの本当に大事なものは父親の実家においてあるので、なんでこんなものを大事に手元においてあるのかわからない。
だからヒロユキは
「おとうさんのだいじな思い出の品をもらうわけにはいかないよ」
と、やんわり断った。本心はもちろん
(ツノのないツノジカなんかもらってもしかたないよ)
だったが。
父親も苦笑しながら
「まあ、そりゃそうだろうな。――しかし、ふしぎなこともあるんだなあ。あんな大きな像がなくなるなんて」
と、ビールを飲みながら柿の種をポリポリかんだ。そこに
「はい、てんぷらがあがったよ。だめでしょ、ヒロくん。もう柿の種はかたづけて」
と、母親がエビやイカ、たまねぎやししとうをあげたものを大皿にのせて持ってきたとき
ピンポ――ン。
インタホンが鳴った。
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