16人が本棚に入れています
本棚に追加
日本の裏社会といえば、何を想像するだろう。映画やドラマでお馴染みのヤクザか、時折芸能人の事件で発覚する覚醒剤、危険ドラックか。はたまた意外と身近な、監禁や殺人なんかを想像する人もいるかもしれない。
しかし普通に生きていれば、そんな闇の部分に触れることは多くないだろう。
____そう、普通に生きてさえいれば、彼らの存在を知る由もないのだ。
都内某所、中心街から外れた森の多い地区。あまり人が訪れない奥の方へ車で二十分ほど行くと、黒く荘厳な門が佇んでいる。
その門を超えていき、長い一直線の道を辿れば、鹿鳴館を思い出させるようなつくりの屋敷があった。
入口前の大きな噴水の周囲に、レクサスにベンツ、そしてセンチュリーと車が三台並んでいる。
一番前のレクサスの助手席から出てきた女が、勢いよくドアを閉めた。焦ったように後出てくる中年の運転手は、青い顔をして女を追いかける。
「古山先生、まだ出ないでくださいっ」
「あたしが用あるのは君らの主人なんだよ、いい加減呼んできてくれるかな」
ヒールを鳴らして玄関へと歩く。
肩まで雑に切られた紫色の髪に、綺麗な漆黒の目をした女だ。気怠げで退廃的な雰囲気がある美人だが、目の下の濃いクマや痩せすぎた身体がそれをかき消していた。その上男っぽい服に身を包んでいるものだから、女性的な色気は皆無といっていい。
古山と呼ばれた彼女は、いわゆる闇医者だ。腕の立つ優秀な医者として、裏の世界では名が通っている。
古山は制止の声を無視して玄関のチャイムを鳴らそうとし、寸前で動きを止めた。
今さっき通ってきた道から、一台の車がやってくる。軽自動車だった。
明るい色で、完全に場違いなその車は、我が物顔で駐車する。
古山はうんざりしたような顔をしてから、ひとつため息をついて軽に歩いて行った。
そうして何を思ったか、運転席側の扉を思いっきり____蹴った。
「ちょっ、何するんすかアンタ!? 」
窓が開けられて、運転していた星羅が悲鳴を上げる。
「うるさいなぁポチくん。どうせ君のちんたらした運転のお陰で、あたしがこんなに待たされることになったんだろう」
「だからって蹴ることないでしょ! つかこれ俺の愛車なんすよやめてください! 」
「ベンツだったら蹴らないから、ご主人様に買ってもらったらいいんじゃないかな」
「アンタね……仁さん、なんか言ってくださいよ。俺が理不尽にキレられてるんすけど」
星羅が目をやった後ろの席のドアが開き、仁が出てきた。拘束されてボロ布を被せられた何かを抱えて。
「遅れたのは星羅のせいじゃない」
古山はへぇ、と一言漏らして、灰色の瞳が暗く濁っているのを見た。仁のように無感情な男の、この不機嫌具合は珍しい。
「……まぁいいよ、それで、それ? 随分派手にやったけど、先にぶん殴られてたんだってね。オークション用には厳しいんじゃない」
「お前ならできるだろ」
「うーわ、信用してくれちゃって嬉しいなぁ。まっ、あたしは天才だからね」
ははは、と笑いながら言ってのける古山に、星羅が訝しげな顔をした。星羅は割と長い間仁の元で働いているが、実際に彼女の手術を見たことはない。
噂では、古山は『神の手』なんて呼ばれているが____見る限り細すぎる手は頼りない。しかも仕事仲間の言うことには、彼女は酒を飲まないと手が震えて仕事にならないらしい。それってただのアル中なのでは? とか聞く勇気はなかった。
そんなことを考える星羅を見透かしたように、古山が睨みをきかせる。
「ポチくんは信用してくれてないみたいだけどね。あたしのお世話にならないよう気張っておきなよ」
ひぇっ、と高速で頷く星羅を前に、仁が薄く笑った。柔らかく優しいものではなく、嘲るようなものだ。
「そうだな。先生の世話になるときは死にかけたときだ」
「はは、内臓飛び出ても助けるから安心しなよ。仁の腕がぶらんぶらんになったときも見事に治してみせたから」
「ぶらんぶらんって……!? 」
そういや左腕に縫った跡があるな、とは思っていたけれど。
古山は悪戯に成功した子供のように顔を緩ませて、「早くしないとね」とボロ布を被ったそれに手を伸ばした。
最初のコメントを投稿しよう!