0人が本棚に入れています
本棚に追加
おとぎ話のような夢
雲ひとつない青空の下、バラが虹色に咲き誇っていた。マッドハッターがみんなを呼んで、パーティは始まった。奥の席に老婦人が座っていて、演奏をにこにこと笑いながら見ていた。
アリスだけいなかったから、探しているうちに急に少女が目の前に現れた。
ころころと笑うその姿は老婦人によく似ていた。
彼女は俺の名前を親し気に呼んだ。
初対面のはずなのに、どこかで見たことある気がするのはなぜだろう。
「……ミ……ナナミ! おい!」
何度も呼んでいた少女の声が聞き慣れた声に変わる。
すさまじい形相をした黒髪が視界を覆っている。
「よかった、泣きながら寝てたから。
何があった? 大丈夫か?」
ゆっくりと起き上がる。
今日は一日中、銃弾の雨が降っていた。
外に出ることもできないから、無人シェルターに引きこもっていた。
以前の使用者の忘れ物かどうかは分からないが、小説が置いてあった。
時間潰しのついでに読んでいるうちに、寝落ちたらしい。
「そんなことで騒いでんじゃねえよ。
こっちが何事かと思った」
下を向くと涙が落ちた。
その瞬間、俺の肩を両手で強く掴む。
「今は何日だ? ここの場所分かるか?
俺の名前、言ってみろ」
早口でまくしたてる。
ぶり返した過去の傷は現実感を薄めてしまう。
だから、まずは現実を認識させることが重要なんだそうだ。
カリンもそれに従って、質問してくれているのだろう。
その表情はひどく、恐ろしいものだったけれど。
「大丈夫だよ。そういうことじゃない。
目の前で死ぬわけじゃないんだから、悲しそうにするな」
俺がそう言うと、きつく抱きしめる。
その背中はかすかに震えていた。
過保護すぎるというか、なんというか。
困ったもんだよ、本当に。
手を回し、ゆっくりと背中をさする。
二人で教会を出てから、雨にもだいぶ慣れてきた。
今日みたいに無人シェルターで避難できることを知った。宗教関係者ということで、葬式を開く役割も与えられた。
目的も見えてきて、旅もようやく落ち着いてきた。
今日もいくらか安定してる方なんだけどな。
それでも、あんな姿を見たら誰だって不安になるか。
「心配かけてごめん。
今日は楽しすぎて、泣いてたんだよ」
教会にいた頃は、雨が降るたびに怖くて仕方がなかった。
あそこは雨にすべてを奪われた子どもが集まっていた。
子どもの頃は、教会の先生に泣きついていた。
みんながいなくなった後は、カリンの前で泣いていた。
雨が降るたびに泣きじゃくる俺を見て、ドン引きしながらも受け入れてくれた。
あそこは誰もが傷を負っていたから、すぐに分かってくれたんだと思う。カリンの肩にもたれかけた。
「夢の話、聞いてくれないか?」
返答の代わりに、優しく受け止めてくれた。
怖いこと以外で涙を流す理由があるだなんて、思わなかったな。
「俺、白ウサギになってさ、バイオリン弾いてたんだ。
空がどこまでも青くて、バラに囲まれててさ。
おかしいよな、俺バイオリンなんて弾けないのに」
目を閉じて、話し始める。
こんなにくっきりと覚えている夢があるなんて、知らなかった。
夢から覚めた後は、いつも形のない恐怖の中に取り残されていた。
「テーブルにみんな揃ってるんだ。
帽子屋に三日月ウサギに眠りネズミ。あとは何だろう。ヘンゼルとグレーテルも招待されてたのかな?
何がおかしいって、赤の女王もそこにいるのにさ……裁判なんて開く気配もないんだ。みんなで楽しくパーティしてるんだ」
「それで?」
「目の前に品の良さそうなおばあちゃんが座っててさ。
演奏してる俺たちを楽しそうに見てるんだ。
んで、いつの間にかその人がアリスになった」
口から笑い声が漏れた。
「急に時間が巻き戻ったみたいで、時計の針は十二時ちょうどをさしてた。
小さな女の子になっても、楽しそうに笑っててさ。
すぐにその人だって分かった。演奏も起こされるまでずっと続いてたんだ」
ああ、こんな穏やかな気分は初めてだ。
葬式でピアノを弾いてる時も、旅の道中でも、町の人たちと話している時にもならなかったのに。
「そんなに楽しかったんなら、起こさなきゃよかったか?」
首を横に振った。
「多分、起きなきゃいけない時間だったんだよ。
お前にも見せてやりたかったな」
本当に楽しい夢だった。
俺の目からまた、涙がこぼれた。
最初のコメントを投稿しよう!