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カゼは万病のモト。
野生とオサラバしてハルカカナタのカレラには、そんなカンカクはもう残ってないだろう。
でも偉そうなことはいえない。
オレもそのカゼが原因で命が尽きようとしてる。
カゼの素が腹の中を荒らしまわって、俺の内臓はぐちゃぐちゃだ。
古くから伝わる三十四の方法すべてを試してみたけどダメだった。
カレラが作ったトキを刻む道具。その針の目盛り五つ分。
オレの命はもってそれくらいだ。
本当はここに戻ってくるつもりはなかった。
トクテクのオキテに従い、オレはひっそりとフメイに還っていくつもりだった。
でもそうしなかった。
カイズカの垣根の根元から庭に入り、隅にうずくまる。
二つのオスの尿の臭い。降り続く雨で薄れかけている。まだ本格的に縄張りは崩されていない。
なぜ戻ってきたんだろう。
最後にひと目あのコに会いたかったのだろうか。
みゃーお。
オレたちの真似をするあのコの声が蘇る。何の意味もない合図みたいなものなのに、しきりにみゃーおと話しかけてきたな。
カガヤキで意思疎通しているオレたちと、カガヤキを知らないカレラとでは、決して通じ合うことはないのに。
いろんな記憶が浮かぶ。初めてここに来たときのこと、恐る恐る伸ばされるあのコの小さな手、モグラを仕留めて帰って来て大騒ぎになったこと、雨上がりの日は決まって泥だらけのオレの足を拭こうとするあのコとの追いかけっこが始まる……。
ふわり。
オレの体が浮き上がった。
しまった。
ここまで感覚が鈍っていたとは。
もう逃げ出す体力は残っていない。
このままではオキテを破ってしまう。
オレたちには、カレラと同じように思考も感情もある。カガヤキで一定範囲内の同族とつながっているオレたちには、それだけの力が備わっている。そのことを決してカレラに知られてはならない。だから、オレたちは姿を消す。最後のトキ、感情をあらわにしてしまいそうな場合には。それがトクテクのオキテだ。
でも、もう遅い。
あのコが腕の中のオレの顔をじっと見つめている。
オレの両頬には涙の跡がくっきりとついているはずだ。
知られてしまった。
オレたちにも、カレラと同じような感情があるということを。オレたちも、悲しくて、寂しくて、懐かしくて、涙を流すということを。
突然、オレの体が震え出した。
いや。
オレではなくて、オレを抱いているあのコの体が震えてるんだ。
あのコは全身を震わせながら、ぼろぼろと涙を流していた。
あのコが流す涙と、オレの涙と、雨とで、オレの顔はべちゃべちゃだ。
でも、暖かくていい気持だ。
オキテのことなんてもうどうでもよくなってきた。
雨。
そうだ。
こんなのは大きな流れの中のほんの一瞬の出来事に過ぎないんだ。
だからそんなに泣かなくてもいい。
雨に濡れてる。
はやく家の中に入るんだ。
最後にいいことを教えてあげよう。
野生とオサラバしてハルカカナタのキミたちには、こんなカンカクはもう残ってないだろう。
カゼは万病のモトっていうんだぜ。
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