ひとりきりの広い部屋

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ひとりきりの広い部屋

 ひとりになってから気付いたけど、彼が何者なのか、わたしはほとんど知らなかった。白浪(しらなみ)孝治(こうじ)って名前であること、それから地方の生まれであるらしいこと、普段はそれなりに有名な会社で働いてお金には困ってなかったらしいこと……あとは、まぁ性格はとにかく明るかったかな?  一緒に暮らしていても、わたしは別に彼のことにそこまで干渉しなかったし、わたしがそうならと彼も対して深入りしてくることはなかった。だから本当に付き合ってるといっても、ほとんど同居してる他人みたいなもの。時々は恋人らしいこともしたけど、それぞれの時間を過ごしていることがほとんどだった。  適度に距離を置いた、心地いい時間。それが、たぶん彼がわたしにくれた最初の贈り物。独りになりたかったらそっとしておいてくれるし、寂しくなったときは側にいてくれる――その両方が叶う距離なんて、彼より前に付き合ってた人たちだと得られないものだったから。 『危ないじゃないか、そんなになるまで飲んでちゃ。何があるかわかんないだろ?』  ……あぁ、そのくせ、すごく心配性だったっけ。男友達と飲みに行くとかそういうのは、滅多にないにしてもそこまでうるさくなかったのに、遅くなったり、フラフラになって帰ったりしたときは必ず、心配そうな顔で軽く怒られてた気がする。  けど、それは決して束縛とかそういうんじゃなくて、むしろお父さんとかお母さんが言ってくるような、本当に心配してるって伝わる言い方だったっけ。あと外食先の料理が美味しかったりすると自分でも作れないか真剣に考えたりしてたな……。なんか、思い出したらちょっとだけおかしくて、笑いそうになったけど。  やっぱり、もういないんだよね。  もうお葬式も終わって、骨も拾った。初めて会った彼の家族にも挨拶したりして、引き取られていく彼を見送ったりもした。それなのに、やっぱりまだ、実感が湧かなかった。  不意に部屋のドアを開けて、『ただいま、ちょっと遅くなっちゃった! 寂しかったよ~』と笑いながらわたしに抱きついて来そうなのに、ドアがわたし以外の手で開けられることはない。  バラエティの好きだった彼がつけていたテレビも、わたしの気が向いてつけないと消えたまま。当番も何もなくなったのを忘れて、流しのお皿を洗い忘れたりもして。 「早くそっち行けたらいいのにね」  ふと、夜風が部屋に吹き込むように、そんな気持ちが芽生えた。そんなの実行に移せるはずもないけど、本当に、突然。  浮かび上がった気持ちを思わず口に出したとき。  彼が時々つけていた日記が、ぱたっ、と床に落ちた。
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