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綺麗な手
彩花の手は綺麗だね。
それは幼い頃から言われいたこと。
幼い頃の彩花にはその言葉の意味がわからなかった。他の子どもの手と比べ、白いくらいの違いしかわからなかったが、彩花ほ大きくなるにつれその言葉の意味がわかってきた。
指の関節はまっすぐに伸び
細く、不自然ではなく
はっきりとした輪郭のある手の形
彩花の手は綺麗だね。
それは大人になってからも言われた。
しかし、彩花にはその綺麗な手を何かに生かしたことはなかった。
彩花は中小企業の印刷会社の受付嬢になった今では
来客の方へ入館証を渡す時やお茶出しの時に
お世辞に言われるくらいだった。
彩花は、顔は特別綺麗ではなく、分厚い前髪で眉が見えないので、意外と表情が読み取りにくいのは本人もわかっていた。
このままでは就職もできないかもしれない――就職活動のカウントダウンが始まる頃、この恐怖は彩花の行動を変えたことが今の生活につながった。
地味なクラスメイトから、地味な会社員
彩花はそれだけは避けたく、大学三年の時に前髪を伸ばし、髪も重々しい黒からブラウンに変えた。もちろん、髪も痛まないように、美容院で販売しているいいシャンプーとリンスを買った。
メイクも今ではネット上であふれる動画を頼りに、化粧品とメイク方法を覚え、なんとか大学四年生になる頃には「地味な大学生」から「よくいそうな大学生」へ多少の変化はあった。
彩花は念願だった印刷会社に内定が決まったのには舞い上がった。
しかし、それが受付嬢だと知ると、彩花は頭が真っ白になった。
その時に、彩花は鏡を見た。
――もしかして、受付嬢にちょうどいい、と思われたのか?
「本に関わる仕事をしたい」、この彩花の言葉を叶えるために受付嬢にしか所属できなかったのか?
もしかしたら、地味な大学生の方が真面目に見られ、思い描いてた営業の仕事ができたのか?
悶々としましたが、彩花は春になる頃にはそんな気持ちは捨て、仕事に専念した。
彩花は受付の合間に自分の手を見た。
あれかは受付の仕事を覚え、契約社員のシフトも考え、三年が過ぎた。
高い給料ではないが、美容へ自己投資した。
脱毛をし、特に手の白さや肌のきめ細やかさが目立つようになった。
見た目も、勤務中は座っていることが多いため、会社帰りにはジムに通いうウェストは三センチ細くなり、足も細くて多少の筋肉質になった。
顔もかつての自分とは違い、化粧は上達し、肌も学生の頃とは比べ物にならないくらい綺麗になった――彩花がそうした。
この不思議と沸き立つ美容への執着が貯金を蝕んでいった。
彩花は駅の広告を見た。
綺麗な女優やモデルは、綺麗になることを求められ、それがお金になる。
しかし、ただの受付嬢の彩花は程よく綺麗に見られるために、努力を続けなくてはいけない……
同じ女なのに、女の価値が違う。
彩花の渦巻くこの気持ちを晴らしたのは、恋だった。
営業の先輩に告白されたのは、予想もつかない事態だった。
彩花は人生で女に産まれての至福を噛みしめたく
さらに美容に力を入れた。
先輩も銭座にあるレストランや有名なテーマパークに連れて行ってもらったり、ブランドのバックをプレゼントしてくれた。
「クリスマスにはお互いに、最高のプレゼントを贈り合うよ」
この一言は彩花の美しく装った顔をわずかに歪めた。
――彩花の頭の中にはこの前、記帳した貯金額が頭を過った。
その場は和やかに過ごせたが、彩花はスマホを血走った眼で操作し、いいバイトを探した。
――顔を出すのは避けたかった。会社が副業を認めていないのもあるが、受付嬢なので、すぐにばれると思ったからだ。
その時、彩花はとあるバイトの案件に目が行った。
――短期、指輪やブレスレットのモデル募集
彩花は目を輝かせた。それは彩花が心の奥で描いていた願いでもあった。
幼い頃から言われ続けたあの言葉がよみがえった。
彩花の手は綺麗だね。
次の日曜日、彩花は撮影現場に向かった。
事前に指定のメールアドレスに名前、年齢、最寄り駅と手の写真を送り、数日後に彩花に採用メールが来た時には、彩花は少し高めのハンドクリームを塗り、ハンドマッサージに行って日曜日に備えた。
写真の事務所は新宿の駅から少し歩たところにある、テナントの名前だらけのビルの中にあった。ホームページもあり、事前に確認はしたが、直感でそこまで怪しいところではないのと、知っているブランドのアクセサリーの写真を撮影しているとわかると、彩花は心を躍らせた。
彩花は向かう途中に見えた広告を見た。モデルが腕時計を付けている広告。彩花は自然と笑みを浮かべていた。
蛍光灯の明かりだけのエレベーターホールは無機質なもののようで、彩花は現実味を感じた。しかし、事務所の看板を見つけ、ドアを開けると、彩花は息を飲んだ。ふと思い出したのは七五三の時の撮影の記憶。傘のようなものが沢山並び、三脚には立派なカメラがある。撮影に関して知識がなく、部屋の雰囲気を見て明確なことは言えなかったが、これだけは確実にわかる。――撮影現場だ。カジュアルな服装の人が何人もいて、彩花に気が付くと、確認を取り、笑顔で案内された。
彩花はスタッフに簡単に説明されると流れるように作業は始まり、彩花は右手に指輪をつけてもらう。金属のひんやりとした冷たさ、重み、それと照明で光る――ダイヤモンド。
彩花は夢うつつではあったが、時間は速やかに進み。今日の仕事は終わった。最初に案内されたスタッフから次のシフトの相談をされた時には、平日でも平然と承諾をした。
一か月の間に、複数日を有給に使用し、彩花は女優になった気持ちでいた。このまま仕事が順調にいけば、すぐさま辞めてもいい、そう思っていた。
彩花は撮影が終わると、またシフトの話になると思い込んでいた。
しかし、スタッフから出た言葉は違った。「とても助かりました。」「専属のモデルが体調を崩して代役がすぐに見つかりましてよかったです」「また、機会がありましたら――」
――え?
彩花はおもわず仕事の終了に戸惑った。スタッフも少し不思議そうな顔をした。しかし、スタッフからは「短期の依頼で――」と笑顔を作りながら言う姿は、もう彩花は用済みだと言う。思っていたよりも金額がよかったから、続けたいと思い込んでいるのかと思っているのかもしれない――彩花は自分の素直な気持ちを伝えた。
わたしは小さい頃から、手が綺麗だねって言われていて
受付嬢もやっている。
顔も悪くないと思う、どうかわたしをモデルとして雇って欲しい
すると、奥から別のスタッフがやって来た――ベテランそうな男性だった。その男性はにこりともせずに彩花の目を見て言った。
「この度は大変お世話になりました。仕事もスムーズに進み、本当に有り難かったです。しかし、モデルとしての採用はしていません。
依頼を受けていただきました仕事は納期の関係で仕方なく、誰かが必要になりました。しかし、いつも手のモデルが必要とは限りません。そして、専属のモデルの子は手だけでなく、メイク、服のモデルもこなします。事務作業などの他の業務もこなし、この事務所で信頼を築いた。
あなたは今、築いたキャリアを壊す、その覚悟はありますか?」
彩花は黙り込み、黙ってお辞儀をするとどうやって家まで帰ったか記憶がないが、帰って来た。
「今年はホワイトクリスマスだな」
先輩の彼氏の言葉に彩花は外を見た。どうりで凍るような寒さな訳だ。
「ねえ、プレゼント」
彩花は有名ブランドの腕時計を渡した。――あの手のモデルのアルバイト代と賞与とクリスマスセールで安くなったていた腕時計。
彼は大いに喜んだ。彩花はこの顔を見て、思った。
彩花はいつも、甘い蜜が吸えることだけしか考えていないと――
このホワイトクリスマスの幻想的なところしか見ないで、冷たさを感じないようにしているように。
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