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帰宅して玄関を開けると、そこにお母さんがいた。お父さんの脱いだ靴の上に両足を乗せて腰かけていた。
私はぎょっとして後退る。しかし、既にメイク後の顔を見られているため、どこを隠すべきかと慌てふためく。
「おかえり」
お母さんの第一声はそれだった。
「……ただいま」
「何をこそこそしてるのかと思ったら……萌も女の子だね」
お母さんはそう言って笑う。急に照れ臭くなって顔を伏せた。服だけは駅のトイレで着替えてきたけれど、ウィッグを被っていたせいで癖のついた髪に、汚れたスニーカー。なんともアンバランスなのは自分が一番わかっていて、縮こまる。
「それ、どうしたの?」
「……自分でやった」
「いつ化粧なんて覚えたの」
「……最近」
真っ赤になってもじもじする私の背中を、立ち上がったお母さんがゆっくりと押す。
「好きな男の子でもいるの?」
「違うよ」
「じゃあ、何で急にオシャレしようと思ったの?」
「……綺麗な子と友達になって、色々貸してくれた。メイク道具も……」
お母さんと一緒に階段を登りながら、ゆっくりと話をする。考えてみれば、こんなふうにお母さんと2人だけで話をするのは久しぶりだった。
バスケをやってた頃には試合の度にお母さんがついてきてくれて、負けた時には励ましてくれた。それがバスケを辞めたら、弟達のバスケに目がいくようになって、中学の頃みたいにいつもいつもお母さんが側にいるわけじゃなくなった。
自室を開ける。そこには机とベッドと本棚があるだけ。ミヤにもらった化粧ポーチもワンピースも、クローゼットの中にしまってある。
「何でこっそり出掛けてたの?」
「……だって皆、笑うでしょ?」
私は腰を抜かすかのようにすとんとベッドの上に座った。その隣に腰かけたお母さん。
「笑わないよ。お兄ちゃんの服、嫌だったんだね。ごめんね」
お母さんは優しく私の頭の上に手を乗せ、ゆっくり撫でた。
その瞬間、ぶわっと涙が溢れた。
本当はもっとちゃんと女の子らしくなりたかった。髪も伸ばしたかったし、可愛い服も着たかった。だけど、私の周りは男ばっかりで、どうやったら女の子になれるのかわからなかった。
お母さんに抱き締められて泣くのは、中学の引退試合以来だ。懐かしいお母さんの匂いがして、いつから甘えることを忘れてしまったのかと考えてみる。
「お友達もいいけど、たまにはお母さんとも買い物行こうね」
「……うん」
「それから、やっぱり料理くらいはできるようになっておいた方がいいと思う」
「……考えとく」
未だに憎まれ口を叩く私に、お母さんは声を上げて笑った。
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