第一楽章:敬司

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第一楽章:敬司

 校庭に植えられた桜の花はすでに散り、桜霞みに新緑の色が萌えている。春の陽気が連日うららかで、その喜びを全身に浴びている男子生徒が机に突っ伏して気持ちよさげな寝息を立てていた。上下に大きく揺れる両肩は、贅肉が刀でごっっそりと削がれたように肩甲骨が浮き出ていて、フライパンでこんがりと焦がされたようなお日様色の髪の毛数本が、腕の中で風の波に緩く揺れている。  中指でギュッと強めに押されたような鼻筋の先からはスウスウと息が漏れていて、そこから飛び出た透明の風船が大きくなったり小さくなったり。机の横を通り過ぎる同級生たちへ、コンニチハの会釈を何度も繰り返していた。近づいて耳をすますと「ああーマグロ美味そう……」とヨダレを流しながら、これまた幸せそうな夢を見ているではないか。  田子山(たごやま)美有(みう)は手に持っていた数学のワーク帳をクルクルと棒状に丸め、大きく振りかぶって勢いよく男子生徒の頭に叩きつけた。 スコーン! という軽快な音が教室に響く。  ふむ、悪くない。予想以上の良い音を出すことができて、美有は自分の腕にすこぶる満足した。 「……ってーな! 何すんだよ!」と、男子生徒が弾かれたように顔を上げる。 「デカチョー! もうすぐ部活の時間でしょ! いつまで夢見てんのよ、ヨダレを拭きなさい!」  美有は唾を飛ばしながら、ワーク帳に張り付いた埃を払う。デカチョーと呼ばれた男子生徒は叩かれた場所を右手で押さえ、左の袖でヨダレを拭った。 「タゴぉ、お前さあ、本の角で叩くな、角で」 「なんでよ」 「なんでよって、お前……」 「本気で叩いた方が目覚めもいいでしょ」 「おい。一回さあ、自分に叩かれてみろよ。死ぬほど痛てえんだよ、死ぬほど。せっかくの理想のマイドリームが丸つぶれじゃんか」 「知らないわよ、そんなこと」 「ひでえ。寿司を食べてたんだぞ。回んないやつな。らしゃーいって職人さんたちが白い鉢巻してるような、超本格的な高級寿司。トロットロの大トロだぞ。トロットロ。口を開けた瞬間に叩かれたもんだから、トロがマグロになって、シャリを残して海に逃げたじゃんか」
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