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 もんどりうって岩地に転がる。 「ごふっ……」  唇の血をぬぐい、サタナエルは顔を上げた。目の前には闇があるばかりで、何も見えない。  遠くから魔物の咆吼がわずかに聞こえる。また、清らかな水の気配がする。 「ここはどこじゃあああ! ケーキは! わたしのケーキ!」  声が反響した。どこかの洞穴の中のようだ。 「あの、ここ、ダンジョンの中です。『さいごの洞窟』っていう……」  消え入りそうな声の方に向くと、人影がひとつあった。その人はてのひらに光の球を作りだすと、頭上に向かって放った。高さ十メートルほどの天上で光は固定されて、周囲が明るく照らされた。  その男は、今までサタナエルが出会ったうちで最も平凡な顔をしていた。中肉中背、細い目はおどおどとおびえている。歳は十六歳くらい。男というよりまだ少年だ。鷲の紋章の刻まれた大振りの剣を腰に付け、プレートアーマーで胸や肩を武装している。特徴がなさすぎて目が滑って素通りしそうになるが、ある一点に視線がとどまった。 「がらがら」  少年の肩に澄ました瞳で乗っている、うさぎだ。紫の毛に覆われた身に、とんがり帽子をかぶり、鋭い赤目を光らせていた。ただのうさぎではない。魔物の臭いが濃かった。なぜ人間と魔物が一緒に……?  がらがら、と鳴くうさぎの頭を、少年が優しく撫でている。  サタナエルは首を回して周囲を確認した。言われた通りの洞穴で、前方に一本道があり、後方は三股に道が分かれていた。ここは、四つの道をつなぐ中継地点のようだ。中央には、深緑色の苔に覆われた縁の泉があり、水面が光に照らされて碧色に輝いていた。  自分とその少年の他に、倒れている者が二人いた。赤いマフラーを巻いた金髪の男と、身体の大きな白銀色の獣人だ。さっきから動かないので、死んでいるのかもしれない。またこの洞窟の全土には、魔物の気配が漂っている。その目の前のうさぎ以外にも、さらに邪悪な魔物がうようよいることだろう。  サタナエルは危険を案じて、とっさに大鎌を出現させると、両腕で構えた。身の丈ほどもある武器だが、扱いはお手の物だ。 「おまえは誰だ? なぜ魔物とともにいる?」 「僕は成瀬彩矢。これからラスボスを倒しにいく、勇者です。この子は仲間の、うささ」 「ナルセ。変わった名前だな」 「異世界から来たので」 「なんとおまえもか。わたしも今、魔界から人間界に連れて来られたみたいなんだけど。おまえか? おまえが呼びつけたのか?」 「えーと、はい。正確には僕の仲間だけど」  ナルセは指であごの下を掻いた。 「この世界のラスボスは破壊行動が大好きで、この世界を滅ぼそうとしている、究極の『悪』なんです。その名前を口にするだけで呪われて死ぬらしいので、ラスボスって呼んでます。あいつを倒さないとこの世は、微生物も一匹残らず死に絶える。もちろん僕も死ぬし……。元の世界に戻るためには倒すしかないんです。それが僕に課せられた役目」  サタナエルは冷ややかな瞳でナルセとやらを見た。悪魔に慈悲の心などあるわけがなかった。もちろん人間など、生きようが死のうが、朽ちて魔物のエサになろうが一向にかまわない。 「あああ、そんな小バエを見るような目で見ないでください!」  ナルセはその場に膝をつくと、手をそろえて、背中を丸めた。 「お願いします、僕と一緒に来てラスボスを倒してください! ここをまっすぐ行った扉の向こうに、もうアイツがいるんです。待ちかまえてる。この決戦の日のために、僕は一年も冒険してレベル上げして、お金を稼ぎ、最強の武器や防具を集めて備えてきました。やっと最後のダンジョンの、最後のセーブポイント『聖者の泉』まで来たんです!」
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