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店主に促されカウンターの前に並べられた木製の椅子に腰をかける。座席にはパッチワークの座布団が敷かれており、なんとなく祖父母の家を思い出した。
「お邪魔します……」
初めてのお店という事もあり、つい落ち着きのない子どものようにキョロキョロと見渡してしてしまう。古民家の中のカウンターはとても小ぢんまりとしており玄関で見た招き猫はこの客席にも飾られていた。招き猫以外にも狸や梟なんかも飾られている。店主は細々したものがお好きなようだ。
今の客席の様子はといえば私以外にお客さんはいない。椅子も四脚しかないので隠れ家的な料理屋さんなのかもしれない。
「もしかして閉店時間でしたか?」
店主は私の後ろにいると思い振り返って話し掛けたのだが、いつの間にかカウンターの内側に入っていた。
「あれ!? いつの間に!?」
店主は柔和な表情と口調でゆっくりと私に語りかけてくる。
「──このお店はね誰でも入れるって訳じゃないんだよ」
じっと見つめられると吸い込まれそうになる店主の瞳は緑色を帯びた暗い青色。
「それって……」
もう吸い込まれるという直前で大きな音が鳴り響き私は現実世界に引き戻された。
“ボーン”
「びっくりしたぁ……」
私を現実世界に引き戻した大きな音の正体は振り子時計だ。
針は12時に重なっている。
“ボーン”
“ボーン”
あと9回鳴ったら私は誕生日を迎える。
せっかく今日の出来事を忘れていたのに振り子時計が奏でる時を知らせる音で悲惨な1日だったことを思い出してしまった。
“ボーン”
“ボーン”
“ボ……”
6回目が鳴る途中で何故か音が途切れた。
「音が止まった……?」
「うるさいですよね、今夜は止めておきましょう」
「え、あ、ありがとうございます……」
ニッコリと微笑む店主の口振りはまるで自分が振り子時計の音を止めたかのような言い方だ。
「メニュー表どうぞ」
「ありがとうございます」
手渡された1枚の縦長なメニュー表は年季の入った卯の花色をしている。それをぱらりと捲ってみたのだがメニュー表には何も書かれていなかった。白紙のメニュー表だ。
「あ、あのぅ……何も書いていないんですけど……」
「本当かい? よぉく見てごらん」
店主に言われた通り目を凝らしメニュー表を見つめる──すると、手書きのような筆文字がゆっくりと一文字ずつ紙の中から浮かび上がってきたのだ。
「な、なにこれ!? カ……ル……ボ……ナ……ラ。カルボナーラ……?」
「菫さんはカルボナーラを食べたいんだね」
「え、なんで名前───」
何が起こっているのか理解が出来ず声を失っている私を見てクスリと笑う店主。
「少々お待ちくださいね」
そう私に言い残し店主はカウンターの横にある扉の中へと消えてしまった。
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