卯月 菫

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 東京は音に溢れている──人口が多い分、話し声はどこからでも聞こえてくる。トイレに入っていても化粧台の前で喋る声が聞こえてきて落ち着いてトイレもできやしない。  北海道に住んでいた頃の静けさが恋しいとさえ思ってしまう。耳を澄まして聞こえてくるのは風の音だけ──あの頃はそれが嫌だったのに今はそれを求めている。  風の音だけを聞くだなんて東京では無理な話で耳を澄まして聞こえてくるのは室外機の風の音。それは癒しの音ではなく生活音だ。  そろそろ慣れてもいい頃なのにいつまでも経っても私は都会人になれないでいる。  上京して5年──  私が就職した会社は東京都内にあるのだが今から混雑した中央線に乗り私の寝床がある『神ノ台(かみのだい)』まで戻らなければならない。  本当はスカイツリーが見えるような場所に住みたかったのだがあまりにも家賃が高すぎたので多摩地域中部でアパートを探した結果この神ノ台エリアに住む事になったのだ。 『次は神ノ台駅~神ノ台駅~お降りの方はお忘れ物がないようご注意ください』  満員だった電車内も神ノ台に着く頃には座れる程になっている。このまま降りずにどこか遠くへ行ってしまおうかとも思ったがチキンな私は素直に神ノ台駅で降りた。  頭の中は春彦の事で一杯だったが不思議とまだ涙は出ていない。
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