卯月 菫

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 私以外に神ノ台駅で降りる人間はいなかった。ここは少しばかり田舎なのだ。  改札を出て時刻を確認すると日付が変わる15分前。あと15分で私は23歳になる。  ただただ虚しい。  誰も降りてこない深夜の駅前に立つと世界に取り残された最後の人物のような気分になり余計に虚しくなった。 「帰ろう。そして寝よう。もう疲れた……」  駅前の小さなコンビニでビールでも買って帰ろうかと思ったが楽しそうにはしゃぐカップルの姿が目に入り自動ドアの前で踵を返した。今は他人の幸せそうな顔を見て微笑ましいなんて思える心境ではない。  俯き加減でトボトボと歩いているとぼんやりとした明かりを感じた。  この道は基本街灯の明かりくらいしかない通り。こんな時間までやっている店なんてあっただろうか? 気がつくと、私は明かりの方へと歩みを進めていた。 f5be6c3e-0ba6-4930-b089-85f78e1303fe 「ここは……」  見慣れた店舗と店舗の間に見た事がない古民家が一軒。私が吸い寄せられた明かりはこの古民家から漏れている明かりだった。だが少しおかしい。右隣のタバコ屋と左隣の酒屋は知っている。その知っている店舗の間にこの古民家は構えられているのだ。毎日この通りを歩いているのに古民家に気付かないなんて事あるのだろうか。 「お店? なのかな」  早く帰りたいのに何故かその古民家が気になって仕方がない──橙色の明かりに吸い寄せられた私は明かりを求める蛾のようにその古民家の玄関前まで足を踏み入れてしまっていた。 「民家? だとしたら不法侵入……だよね」  古民家の引き戸のガラスから漏れる優しい橙色の明かりはどこか懐かしく引き戸を開けたら誰かが「おかえりなさい」と言ってくれそうな雰囲気がある。 「開けちゃおうかな……いや、だめだめ!」  まだ店かどうかもわからないのに引き戸に手を伸ばしそうになり、すんでの所で何とか堪えた。  呼び鈴は無い。表札も無い。ならば看板はないのかと周囲を見渡してみると積み上げられた空のビールケースに『商い中』と書かれた木札がちょこんと乗っていた。やはりここはお店なのだ。 「まだ営業中だよね……たぶん」  この古民家がお店だと確信した私はその温かな明かりが漏れる引き戸をゆっくりと横に引いた。 24527e66-ada9-475f-a018-f0b8f3a89ee4
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