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「……うん、想像と違った」
私は都内にある立派な七階建てのビルを見上げる。
水珠と赤珠を屋敷に置いて、私たちがやってきたのは陰陽寮。
例の喰迷門を使っての移動は心身ともによくないので、安倍さんにお願いして電車通勤をしてもらった。
呪約書のせいで私から離れられない安倍さんは「喰迷門なら一瞬やのに」と、ものすごぉぉーく嫌そうな顔をしていたけれど。
にしても、てっきり神宮みたいな和風でだだっ広い建物を想像していたのだが、目の前にあるのはいかにもエリート社員が通っていそうな高層ビル。
予想外の外観に圧倒されていると、着物ではなく黒のスーツに着替えた安倍さんがスタスタと中に入っていく。
中は本当に普通の会社と変わらず受付があるのだが、そこに座っている受付嬢は額にお札が貼られたのっぺらぼうの式神。
他にも入館証の代わりに指で印を切って五芒星を見せると入館ゲートを通過できるとか、物珍しいものばかりできょろきょろしていると、安倍さんにギロリと睨まれた。
「口開けて歩くな。上京したての田舎者か。お前を連れて歩く俺までけったいな目で見られるやろ」
「これをポカンとせずに傍観できる、強靭な精神の女の子がいるのなら、連れてきてくださいよ……」
私の抗議を無視して、エレベーターに向かってずんずんと歩いていく安倍さん。私たちも続いて乗り込むと、タマくんは棘のあるため息をついた。
「女性に対して、きみは心が狭すぎるんじゃないか。器量のなさが言動と態度でバレるから、その口縫い付けたほうがいいと思うね」
「女性ねぇ……猫又憑きなんて、あやかしみたいなもんやろ。人ちゃう」
人じゃない……。
両親から『この、【化け物】が』『【気味が悪い】のよ!』と罵倒されたときのことが蘇り、自分の表情が固まるのがわかる。
私はまだ、あの過去に囚われてるの……?
ズキリと胸が痛み、いつまで私は弱いままなんだと俯く。つい自嘲的な笑みが浮かんでしまったとき──。
「口を慎め、彼女の耳を穢すな」
タマくんの空気がガラリと変わり、私は息を呑む。敵意を向けられた安倍さんは動じることなく、ふんっと鼻を鳴らした。
「過保護やな、あやかし同士仲良しなことで」
ピリピリとしだす空気。
このままじゃよくない、これから一緒に暮らすっていうのに……。
私は「そこまで!」と睨み合うふたりの間に入り、その胸を押して離した。
するとタマくんからは困惑の目が、安倍さんからは殺傷力抜群の鋭い目を向けられる。
逃げたい、もう息が詰まりそうだ。今後、この三人で密室には入りたくない。
そんな願いが通じたのか、チーンと開くエレベーターのドア。神様の起こした奇跡かと振り返ると、そこに広がるはごくごく普通のオフィスフロア。
テレアポみたいにヘッドフォンとマイクをつけて、パソコンに一心不乱に向かっているスーツ姿の男性がたくさんいる。
「これは……皆様、陰陽師で?」
目を瞬かせていると、脳天に安倍さんの拳が落ちてきた。
「あたっ、暴力反対!」
地味に痛む頭を両手で押さえる。
「こないに陰陽師がおるわけあらへんやろうが。陰陽師ってのは、天然記念物級に貴重なんやで。あいつらは陰陽師を補佐する式神や。東京都内であやかし絡みの問題発生したとき、通報を受けるスタッフや」
「式神……受付にいた式神と違って、人間との違いがわかりませんね」
「こらうちの所長が作った式神やさかいな。あの人は人間からかけ離れた式神は好んで作らへんねん」
「じゃあ、陰陽師はどこに?」
首を傾げながらエレベーターを出ると、棚の影に隠れるようにしゃがんでいる男性に遭遇する。
銀の長髪と瞳をした彼は黒のスーツの上から白い羽織りをはおっていて、私たちの存在に気づくと「あ、やっほー」となんともマイペースに片手を上げた。
「なにしてはるんですか、所長」
「その虫けらを見るような目がたまらないね、光明」
自分の身体を抱きしめてモジモジする大の大人を前に、まったく表情を変えない安倍さんのハートは鋼だ。
「またサボりですか。江永(えなが)さんに絞められますえ」
「江永さんって?」
つい会話に入ってしまった私に、「所長のお守……補佐役や」と言い直す安倍さん。
すると、所長さんは安倍さんの後ろにいた私とタマくんを見て、目を丸くする。
「おや、珍しい。光明がお客さんを連れてきた」
「お客ちゃいます。気づいてるんやろう、こいつらがただの人ちゃうって」
「そうだね、獣の匂い……失礼。妖気を感じるね」
所長さんは、すっと目を細めた。品定めするような視線に緊張していると、目の前にタマくんが立つ。
「おやおや、美しい忠誠心だね」
タマくんは無言で所長さんを見据えていた。気まずい空気が流れ、私はタマくんの隣に並ぶ。
「えっと……タマくんは幼馴染なので、忠誠とかそんなんじゃないですよ」
というか、忠誠って家来みたい。幼馴染の私たちを見て、そんな感想が出てくるって……所長さん、かなりの変わり者かも。
「幼馴染……そう、幼馴染ね」
所長さんはタマくんの肩をポンポンと叩き、私たちの横をすり抜けてどこかへと歩いていく。そして数歩先で足を止め、妖艶な笑みを浮かべながら振り返った。
「立ち話もなんだから、お茶でもどう?」
応接室に案内され、ソファーに腰を落とした私たちは簡単に自己紹介を済ませた。
向かいにいる所長さん──源英城(みなもと えいじ)さんは、三十四にして陰陽寮東京本部(おんみょうりょうとうきょうほんぶ)の所長を務めているすごい人らしい。
「じゃあ、美鈴ちゃんとの夫婦契約のおかげで、光明の呪いはひとまず解けたんだ?」
所長さんは懐から【TABASCO】と書かれたラベルが貼られている細長い瓶を取り出して、お茶にドボドボ投入した。
──え、今ナチュラルになに入れた?
自分の目を疑いながら、所長さんのお茶に投入されていく赤い液体──タバスコを凝視する。
「はい、ひとまずは……ですけど。ずっと夫婦やなんて、かんにんですさかいね。根本的にあの呪約書を無効にする術を探さな」
所長さんの隣に座っている安倍さんも、ポケットから小さなケースを取りだした。中から出てきたのは、朝食でも散々頬張っていたチョコレートだ。
……なんで常備してるの?
緑茶の中にチョコレートを入れて飲む安倍さんと、タバスコを入れて飲む所長さんを愕然としながら見守る。
私の隣にいるタマくんは、ボソリと……。
「陰陽師は味覚がおかしいのしか、いないのか?」
気分悪そうに、ふたりから目を逸らしていた。
「ああ、悪いね。私は辛党なんだよ、刺激物が好きなんだ。痛みは生を実感できるからね」
「唐辛子もそのままかじってますよね。尋常じゃない」
「うーん、光明も人のこと言えないけどね」
どっちもどっちだよ……。
と、タマくんと心の声が重なる。
「で、初めて陰陽寮に来た感想は?」
ニコニコしながら、所長さんが尋ねてくる。なんというか、掴みどころのない人だ。
「普通の会社みたいに見えます」
「ふふ、でしょ。でもここは、あやかし退治の専門課でもある。猫憑きのきみたちには、居心地悪くないかい?」
……なんだろう。所長さんは笑ってるのに、なにかを探られているような気になるのは。 それに、あやかし退治って……穏やかじゃないな。
返答に困っていると、タマくんが私の手を握ってくれた。隣を見ると、タマくんは所長さんに厳しい眼差しを向けている。
「人とあやかしは相容れないですからね」
タマくん……?
私もタマくんも、ただ猫又に憑かれてるだけの人間だ。
だけど所長さんの言い方は、私たちがあやかし扱いされているようにも取れて……不快な思いをしたのかも。
「遥か昔から敵対してきたからね。まあ、協力的なあやかしも増えてきたし、裏切られないことを祈るばかりだよ」
タバスコ入りのお茶をすする所長さんに、タマくんはなにも答えなかった。
「裏切るもなんも、協力関係にすらあらへんやろう。あやかしは駆除すべきもんです」
キッパリと言い切った安倍さんの瞳が翳る。心の奥にある深い闇の片鱗を見てしまったような気がして、背筋がひやりとした。
「光明、その意見に異論はないけどね。美鈴さんたちはそのあやかしに憑かれてるんだから、もっと気を使わないと」
気遣うように私を見る所長さんに、「気にしてませんから」と苦笑いで嘘を吐いた。
安倍さんにとって、あやかしに憑かれた私は駆除対象に近いんだろうな。一緒に暮らすのに害虫扱いなのは寂しい。
縁あって同じ屋根の下で生活するんだから、どうせなら家族みたいに打ち解けたい。そうなるまでに、かなりの時間がかかりそうだけど……。
「人にどうこう言える立場ですか」
バンッと開け放たれた扉の向こうに、極悪面の黒いスーツを着た男性が仁王立ちしている。
背後から黒いオーラを放ち、メガネを指で押し上げた彼を見て、所長さんの笑顔が凍りついた。
「あ……あー……比呂、これはね、ちょっと休憩してただけなんだよ。ははは、お茶でも飲む?」
所長さんが自分のタバスコ入り緑茶の入った湯吞みを差し出すと、男性の額にピキリと青筋が浮かぶ。
「いりませんよ。隙あらばサボろうとして、仕事をしてください」
静かに咎める男性は、私とタマくんに気づき、やや目を見張ると、すぐに「失礼いたしました」とお辞儀をする。
「来客ですか。お見苦しいところをお見せしました」
「あ、いえ……えっと……」
どなただろう? あと、タマくんで目が肥えているせいで気づくのが遅れたけど……この陰陽寮、イケメン率高くないだろうか。
イケメン陰陽師オフィス、ここに毎朝出勤できるなんて、世の女性の憧れシチュエーションだろうな。
「申し遅れました。俺は江永比呂、所長の補佐役を務めています」
折り目正しく腰を折る江永さんは、見かけの強面ぶりからは想像つかないほど礼儀正しい人だった。
この人が、さっき話題に出ていた所長さんのお守をしている江永さんらしい。
「補佐役って、つれない響きだよね。俺たち、中学からの親友でしょ」
「ここは職場です。プライベートな話題をペラペラ喋る場所ではありません」
「ふたりきりのときは英城って呼んでくれるのにぃ……英城、寂しい」
「三十四にもなるいい歳した男が寂しいなんて、所長の威厳に関わるのでやめてください」
かまいたがりの所長さんをさらりとかわすドライな江永さん。素っ気なくあしらわれても、めげない所長さんをいっそ尊敬する。
「そんなことより所長、京都本部の阿澄(あすみ)所長から電話ですよ。すぐに戻ってください」
「はぁ……あそこの所長、口悪いから苦手なんだよね」
「……所長がふざけるからでしょう」
江永さんに首根っこを掴まれ、引きずられるようにして応接室を出て行く所長さん。どんな気持ちで見送ればいいのか複雑だ。
「俺たちも仕事に出るで」
お茶を飲み切り、立ち上がる安倍さんを驚きながら見上げる。
「俺たちもって、私たちも!?」
「呪約書のせいで、お前を守らなあかんやろ。つーことは四六時中、一緒にいーひんとならへんってこっちゃ。こうやって俺の仕事についていくこともあるやろうし、使えるものは使わせてもらう」
本当に無茶苦茶だ、この人!
清々しいまでの冷徹王様ぶりに言葉が出ないでいると、タマくんが静かにご立腹している。
「俺たちをこき使う気でいるわけか。先に言っておくけど、その仕事は危険はないのか? 美鈴にもしものことがあったら、俺はきみを許さない」
「あやかしを相手にするんや、危険に決まってるやろ。ただ、忘れてるみたいだが、もしもそこの女になんかあれば、俺も呪いで死ぬやろ。そうならへんように手は打つ」
静かに口論するふたりの後ろについて部屋を出ると、デスクに座っている式神が「安倍様」と呼び止めた。
「化け狸が商店街で窃盗をしているようでして……」
「迷惑なやつらやな。駆除しに行くで」
駆除……あやかしって、そこまで邪険にしなきゃいけないような生き物なのかな。
私もそこまであやかしと親しいわけじゃない。そもそも、そう頻繁に遭遇するものでもないし。
けど、ときどきうちの庭に迷い込んでくるあやかしたちは、いきなり攻撃してくることはないし、タマくんのから揚げを貰いに来たり、庭の花を見物しに来たり、人間とそう変わりない。
「なにか……盗みを働く理由があるんじゃないでしょうか?」
「理由やと?」
安倍さんの片眉が怪訝そうに上がる。
「理由も聞かないで駆除なんて、可哀そうです」
「やっぱし、お前はあやかし側に立つんやな。可哀そうなんかちゃう、話し合う必要もあらへん」
歩き出した安倍さんの背には、近づく者を拒絶するような雰囲気があった。
「話し合いの機会も与えずに殺すのか……。俺には一方的に狩る陰陽師のほうが、知能の低い獣のように思える」
私の隣に立ったタマくんの目には険がある。第一印象が最悪だっただけに、タマくんは完全に安倍さんを敵視している。
でも、今回ばかりは私も安倍さんを庇えない。
所長さんもあやかしを退治することに肯定的だったし、陰陽師は話し合いもせずにあやかしを駆除するのが当たり前なのだろうか。
「光明のあやかし嫌いは重症なんだ」
急に私とタマくんの間に、ぬんっと顔を出したのは所長さんだ。
「わっ」と叫びながら、タマくんと後ろに飛び退くと、所長さんは「驚いた?」といたずらっ子の笑みを向けてくる。
子供というか、なんというか……。知り合って間もないので、所長さんのキャラがなかなかに掴みづらい。
お茶目とも言えるし、変人ともとれる所長さんを前に困惑しながら、タマくんは「ええと」と頬を掻く。
「そのあやかし嫌いの理由って?」
タマくんの質問に、所長さんは唇で弧を描く。そばに控えていた江永さんは、ふうっと息を吐いた。
「勝手に話していいんですか? 光明の許可もとらないで……」
「美鈴さんと光明は、一応夫婦だからね。〝あやかし〟が〝人間〟の彼になにをしたのか、歩み寄ろうとした結果、なにが起こるのか……一緒にいるリスクを知ってもらったほうがいいんだよ」
所長さんの貫くような視線に、気圧される。その唇がやけにゆっくりと開いたように見え、息遣いまで聞こえてきそうなほど周りの音が遠ざかる。
そして、放たれた言葉は──。
「光明は十歳のとき、両親をあやかしに殺されてる」
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